第4話 司書さんのお仕事
(こんなところで
空間ごと別次元に飛ばすこの技は、魔導書の被害から街や市民を守ために使われる。それが今この場で展開されたということは、近くにその存在がある証明である。
さらには、その術者も同様である。
(どこが出張ってきてんだ。ここは俺の管轄地区だぞ)
商店街のメインストリートに面した米屋だ、外に出ればもう開けたアーケードである。
おもむろに空間に光の割れ目が生じ、ドアが出現する。長い金髪の女が十名ほどの部下を引き連れ、颯爽とアーケードに降り立った。
「発見し次第、報告を。
指示も素早く、散開する手下ども。彼女は一人残り、俺に目を向けた。
「ああ、気配がするかと思えば。二等栞尉の姫昏支部長か」
俺には、二面性がある。というよりも、あえて二つに分けた。
魔導書を読み伏せる俺と、図書館の司書さんとしての俺だ。
「お久しぶりですね。イリスさん」
イリス・アーデン。俺たちは魔導書の被害を減らすという同じ目標を持ちながら、お互い相容れない存在として理解しあっている。
「おえ、なんだその気持ち悪い口調は。私のご挨拶への仕返しか。それともそういう力を持つ魔導書なのか」
アレは。と彼女の視線の先に、白いもやが固まり出した。
本の形を取りつつも、時に杖のように、さらには円形や方形に変化し、明確な形を持たなかった。
「これはあなた方の仕事ではありません。魔導書は独立した感情の発露だと何度も忠告したはずです」
「アレは人心を狂わせ平和を脅かす脅威だ。書き手がいないから書かれ手を捕まえる。我々の仕事だとも、
発光するもやに鉄鎖が絡む。形の有無にかかわらず鎖はその動きを封じることができる。
彼女はその扱いに長けている。そのことを、俺は嫌というほどに知っている。
「ふん。たかだかレベル3程度だろう。お前の手を煩わせるほどでもない」
もやが爆ぜた。膨大な光量は微かな質量を持ち、鉄鎖を砕き俺たちを激しく打った。目を庇ってもまぶたの裏に白いばかりの光景がしばらく続き、
「消えた? ブラインドを展開しているはずだぞ、そう遠くには」
「いや、まだあそこにいます」
ぐにゃりと空間がねじれている。蜃気楼のようなそれに彼女は鉄鎖を放つも、すり抜けるだけで効果はなかった。
彼女の部下が集まりだし、同じく鎖をかけてみても結果は同じである。
「射撃準備」
イリスは胸元のネックレスをロングライフルに変換させた。
「待ってください。題名もわからなければ筆者も、レベルだってわからない。なのに射撃だなんて」
「攻撃し続ければ魔導書の持つ魔力もそのうち消える」
「言ったでしょう。あれは感情そのものです。本なんですよ」
「黙れ。そもそも相手がどういう魔導書なのかを伝えてくるのが協会の意義だ」
「違う。私たちは魔導書をあるべき本の姿に戻し、正しく人の手に送り返すことを」
言い争っている暇はない。と彼女は俺の襟をとった。
「じゃあやってみろ。お得意の読み伏せをしろ。だが何かあれば撃つ。お前ごとな」
気持ちの悪い喋り方しやがって。吐き捨てられた侮蔑に、俺は途方に暮れるような心地になった。
(現場に出て読み伏せなんて、あれ以来だ)
鉄鎖も意に介さないほどの魔導書は、おそらくレベル3以上と判断して間違いない。もやはその姿を隠す気がないのだろう、俺たちを嘲笑うかのように、柔らかく明滅した。
「……私を撃っても構いませんが、お願いがひとつ」
百秒はとうに超えている。賢いあの子だから、きっと大人しくしているはずだ。この場所が異質だと理解し、その上でじっとしていることを選んだはずだ。
「あそこに一般人がいます。もしもの際には保護を頼みますよ」
その選択を正しいものにしたいんだ。彼女は、こんなのとは無縁の場所で生きるべきなんだ。
「一般人? お前の仲間じゃないのか、やけに強い気配がすると思っていたが」
相変わらず人外じみた感覚を持っているな。「被害者ですよ。巻き込まれてしまっただけの、一般人です」
魔導書へ向き直り、足を進める。待てと声がするも、それでは俺を引き止められない。肩の荷は降りたじゃないか、あの子さえ無事なら、あとはどうだっていいんだ。
「さあ。読ませてもらいますよ」
もやにそっと触れる。フルダイブの直前、挑発だろうか、あちらから本の形をとり、脳内へと表紙を見せつけてきた。
「タイトルは『
イリスに届くように叫んだ。俺たちは司書としてこういう情報提供をしなくてはならない。
その最中、全身に響き渡るように鐘が鳴った。フルダイブ中のその異音は、この魔導書の俺への拒絶の証明だった。
頭が割れるように痛み、肌には水膨れが、そして鐘の音に混ざる怪しげな声。著者は女神だと報告しても俺は正気を疑われないだろう、それほどの荘厳な音律が、俺を狂気へと引きずり込もうとしている。
「ページ数、千八百六十! 十三章で構築、その全てが呪文かそれに類する特級の魔導書だ! レベル5、応援を呼べ」
言葉尻はかき消えた。この喉がきつく締まるのだ。そしてアスファルトを踏みしめる足の感覚が薄れ、次第に上下左右の感覚もなくなっていく。
(増援は不明。イリスたちの射撃も効果があるかわからん。しかも)
もしこのブラインド内に司書とバトル・ライブラだけしかいなければ、俺はすぐさまフルダイブをやめて戦闘から離脱していただろう。レベル5の魔導書は、三等
しかしここには、誰がいる。
(俺がやるしかねえんだ)
誰がいるって、まあ、優しい司書さんでいたい俺がいるんだ。
「
ぐわんと打ち付ける鐘の響き。そしてこの書に記された魔術の深奥が、人知を超えた不可視であり前人未踏の魔境が、濁流になって脳を汚していく。
三章を四十ページほど過ぎただけで、脳の要領を軽く超えるだけの知識があった。神秘ではなく、生臭く腐った怖気だけが頭にこびりつき、目の奥が火傷するように疼く。
(
「蝶番よ、俺と書評会してみるか?」
感覚を失ったはずの俺の掌に、一冊の本が現れる。
司書は読み伏せを円滑にするために、魔導書を持っている。毒を以て毒を制するために。聞かせてやる、レベル5の
「『
風が音色を吹き飛ばし、暖かな感覚を取り戻させてくれる。暴風は「勇気の蝶番」を本の形に定着させ、鉄鎖を何重にも絡めると、ようやく読み伏せが再開できそうだ。
「あ、イリスさん! 最後まで何があるかわかりませんから、よろしく頼みますよ」
いつでも撃てるぞ。そう背中にぶつかる声の頼もしさったらない。
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