第2話 司書さんの明日はどうなる
図書館の裏口は異世界のミドルレインという街に繋がっている。
俺が望めばいつだって繋がるのだが、今日は掛羽さんにも言った通り、用事がある。
「遅いぞ
エリーデルス魔導書管理協会。
本が何らかの影響で変じた魔本や魔導書を管理するのが仕事で、この協会の支部を図書館と呼び、俺は大橋町の支部長なのだ。
「どうしていつもギリギリなんだ。そんなに書評会がイヤか」
だけど支部長同士でも上下関係はあるし、五分だろうが遅刻は遅刻だ。叱責は甘んじて受けなければならない。
「そういうわけじゃないが、まったくいつものメンツだ、嫌気がさしてもおかしくない」
協会のとある一室、殺風景な部屋には円卓とそれを囲む六つの席。しかしここには俺を含めても三人だけだ。
ミドルレインにあるエリーデルス魔導書管理協会の本部。地下三階のこの一室は、俺たちだけのためにあつらえられた仕事部屋兼お楽しみの場所だ。
「黙れ。さっさと座れ」
「言われなくても。よう村雨、元気か」
村雨涼子というのはミドルレインの司書である。最近は週に一度になってしまったこの書評会で、彼女はずっとヒーロー、いや、ヒロインである。
「うん。あなたほどじゃないけど」
「私も元気だぞ」
「あんたはいつもそうだろう。支部長」
減らず口を、と唸るのはエリザベス……なんとかさんだ。みんな支部長としか呼ばないから忘れた。
「ホントにもう、お前も支部長なんだからしっかりしてくれよ。村雨を見習え、今月で二冊だぞ、今日で三冊目。もう本部でも村雨はすごいって話で持ちきりだからな」
「すごいな村雨」
「えっへん」
エリーデルスの司書の中で、魔導書の
「ま、早速やろうぜ。遅れたのは悪かったよ。今日は村雨の」
「うん。『忘却者の釘』ってやつ」
アタッシュケースからそれを取り出すと、
「レベル2の魔本だな。内容は確認したか」
「一人でも対応できるくらいまで」
じゃあ、始めるね。
村雨が鉄鎖に触れた。弾け飛んだ鎖の破片が円卓に傷をつけ、風もないのに本がバラバラとページをめくる。青白く発光するそれは、人間の心に強引に割り入って喜怒哀楽を崩壊させるような不快感と虚脱感を与えてくる。
「
村雨の瞳は色を失い、まるで本に魂を吸い込まれたように虚である。痙攣する指先、滴り落ちる鼻血、そして紡がれる呪文のような奇声。
「……神よ。彼のものらに裁きを。私のこの悲痛さは、永劫を持ってしても擦り切れぬこの憎しみは! 罰せらるるは私か奴らか! この一本の釘に誓い、全てを貴方に捧げましょう! 深き夜の恋人よ! 忘るるものか、忌まわしき昼の娼婦よ! 私は自らに、この憎悪の光を刻みます、焼けた釘を持ち、どこまででも貫き縫い止めましょう! 忘れられぬよう、忘れぬよう……忘れぬよう、忘れられぬよう……」
村雨の喉が裂けた。その赤い飛沫が本にまで飛んだ。
「フルダイブなんかするからそうなるんだ」
「姫昏、レベル2なんかで村雨を失いたくはないぞ」
「はいはい」
金槌でも振り下ろすかのように、俺は拳を「忘却者の釘」に叩きつけた。栞のように、めくれ続けていたページはそこで止まった。
「
作者の狂気が頭の中に直接流れ込んでくる。全八十二ページの、まだ魔本になって日が浅いものだが、詰め込まれた恨みや妬みは甚だしい。
村雨が読んでいた部分も、これから読むはずだった部分も、ひとつの奔流になって脳と心を揺り動かしてくる。
筆が折れ、指を切ってまでして綴られているこの馬鹿馬鹿しい恨み言の全て体験し終えると、本は輝くのをやめた。
「読了」
「ご苦労。村雨、医務室に行くか」
「へ、平気です」
彼女はすでに怪我の治療を終えている。俺が読んでいる間に自己修復を済ませたらしいが、相変わらず凄まじい回復速度だ。
「それより姫昏、ありがとう。また失敗しちゃった」
「いいのさ。だが最初から没入はやめておけよ。しかも速読まで付与させて」
「あなたと支部長がいたから。私ひとりだったらしてないよ」
「村雨、どこまで読めた?」
支部長は光を失った本を手にとった。パラパラと表紙からゆっくりとページをめくり、普通の読書をし始めた。
「残り数ページくらいまで」
「じゃあ朗読してやる。あとちょっとで終わるから」
「もう読んだのかよ」
「さすがフルダイブの鬼」
「うるさいな。じゃあ、清聴しろ」
たいして長くもないが、罵詈雑言が羅列してあった。誰にもどこにもぶつけられない怨恨は、こうして書に認めるしかない。そういう強烈な感情がただの一冊の本を恐るべき魔本や魔導書へと変質させてしまうのだ。
「さて、一等
魔導書はただあるだけで禍をもたらす。それを処理するのが俺たちの役目であり、その工程を読了という。今日はその最終段階である
「まず、装丁だよね。冒頭にあったと思うけど、愛猫と愛犬の革をなめしたって」
「そういうの結構多いよな。まあ哀悼もしてたし、その愛情が恨みを緩和してんだろ。だからこそ危険度はレベル2なんだろうけど」
「靴職人だったらしいから結構しっかりしたカバーだよな。中身はずっと他人への愚痴ばかりで面白くはなかったけど」
禍の魔本は、読伏が終了するとしかるべき書架に収められる。が、やはり本というものは読まれてこそなので、公に本棚に並ぶこともある。
「癖のある字だよね。英語だけど、変な単語なかった?」
「書き間違いじゃなさそうだったし、造語じゃねえのか」
「私もそう思う。だがなんとなく意味はわかるものが多い。それになかなか的を射たようなこともいってたし、結構いい線いってないか、これ」
「ですよね。うん、中の上。私的には小説じゃなくて詩なのもグッド」
こうした書評会が、週に一度は行われている。最近は魔導書が増えているみたいだから、俺も現場に出る日がくるかもしれない。
(となると、休館も考えないとなあ)
お客さんは多くはないが、本を貸しっぱなしにさせておくのも気が引ける。それにおすすめしておいて、タイトルだって教えていない、これじゃあ司書さん失格だろう。
「おい姫昏、魔導書狂いのお前がなんで黙っているんだ」
いつの間にか俯いていたらしく、顔を上げると支部長が俺を睨んでいる。
「お前、支部長になってから変わったなあ」
「うるさい。あんたらがしゃべり終わるのを待っていただけさ」
くすくす笑う村雨は、いつもは静かなくせに、茶々を入れるときだけは声を張る。
「あー、支部長殿。姫昏二等
何を言ってやがる。それがあるべき司書の姿じゃねえか。
「はー、なるほど。しかし相手は中学生になったばかりらしいじゃないか?」
「だからって活劇を与えちゃいけねえなんて法はねえ。それに俺はしっかりポルノ寸前の愛憎劇を読むのは控えた方がいいと忠告した」
「ええ? それって誰のこと?」
「村雨、お前な、上官だからって容赦しねえぞ」
「だってその子、うちの図書館にきたもんね」
「は? 掛羽さんが?」
「掛羽さんっていうんだ、その子」
西部劇だったら銃を抜いていただろう。SFだったらビームだ。時代劇なら抜刀、特撮ならキックだ。
「支部長、止めるなよ」
「じょーとー。先手は譲ろうか」
懐に手を持っていくと、支部長は、そこまで、と手を打った。
「じゃれる相手を考えろ、馬鹿どもめ」
支部長は魔導書「忘却者の釘」に鉄鎖を施し、またケースに収めた。
「村雨、お前のところの書架へしまえ」
「はい。お任せを」
「姫昏」
「なんだよ。俺わるくないじゃん。今のは村雨が悪いじゃん。なんで村雨ばっかりに甘いんだよ。いつもそうじゃん」
「馬鹿か。くくく、駄々こねやがって。ははは」
笑うところじゃないんだけど、彼女は笑い上戸であるためこうなると少し間をおかなけれならない。
「ひっひ、あー、本当お前は」
「どうせいつもの小言だろ。たまには魔導書のひとつでも持って来いってことだろ?」
「それはそうでしょ」
村雨がそれに返事をした。俺よりも一回りくらい年下の、まだ二十にもなっていない小娘は、少しだけ寂しそうに、しかし明るくあれと律するように言う。
「禁忌に触れた数少ない人なんだから。低レベルの魔導書の一冊や二冊、ぱぱっと管理してくれなきゃ」
語尾が柔らかく間延びしている。それは彼女の性格からくる優しさで、つい甘えそうになった。
「ん、そうだな。支部長になってゆっくりできるかと思ったけど、後輩にはせっつかれるし上司にはいびられるし、大変だ」
「いびってないだろ」
「私のは激励だよ」
「そういうことにしておくよ。そんじゃまたな。なんかあったら呼んでくれ」
お疲れ、と背中で受け、軽く手を振る。村雨も支部長もヘラヘラしてはいるが、協会きっての実力者だ、俺なんかを呼ぶ必要はない。
ここ数年、いよいよ魔導書の被害が大きくなっている。大橋町ではそれほどでもないが、村雨のところは非戦闘員まで出撃しているらしい。
(図書館、しばらく休もうかなあ)
別に休んだってかまわねえんだ。みんなの憩いの場になるかと思ったが、お客さんはみんな顔と名前が覚えられるくらいしか来ねえ。
(だから休みたくねえんだよなあ)
優しい司書さんでいられるのも今のうちかもしれない。なんてな。
(どうだっていいんだ。どうだって)
結論を出したはずなのに、俺はポケットの中で図書館の鍵を握り締めている。
(どうだって、よくねえよなあ)
どれだけ考えたって、明日になれば決まった時間に開館するのだ。掃除や整理をして、昼飯はバックヤードでコンビニのおにぎりを食って、閉館を待つ。それが司書というものだ。俺は司書なんだ。優しい司書さんでいたいんだ。
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