エリーデルス魔法図書館

しえり

第1話 不思議な司書さん

「こんにちは、司書さん」


 私の住む大橋町には、小さな図書館がある。


「やあ掛羽かけばねさん。こんにちは。今日は何を借りていかれますか」


 洋風建築で、元々は教会だったみたいだけど、ずっと空家になっていて、外の壁は植物のツタが覆っている。図書館になってからも、それは味わいとして残されている。古びた本棚の木のささくれがちょっと気になるし、どこもかしこも古ぼけているけど、それがなんだか落ち着く。


「昨日借りたばっかりじゃない。それを読みにきたんだよ」


 私はこの春に中学生になったばかり。白いブレザーには染みひとつない。買ってもらったリュックサックは新品同然で、そこから教科書の隣にある一冊を抜き出す。


「高和正和の『道楽』ですか。あなたはランドセルを重そうに背負っている頃から活劇モノが好きですね」

「いいじゃない。でも最近はメルケにも手を出したんだ。『我ら戦人いくさびと』なんか素敵じゃない?」

「戦争ロマンじゃないですか。文芸部ではもっとロマンチックなものをテーマに書評会をするものだとばかり」


 彼はこのエリーデルス図書館の館長さん。ネームプレートには「ひめぐれ」と平仮名で書いてある。


「司書さん、それは偏見だよ? 本を読む人はそれに縛られちゃいけないって、司書さんが言ってたのに」


 この人は、とても不思議な人。私が注意すると、いつもニコニコして、


「ああ、いやあ、掛羽さんのおっしゃる通りだ」


 と、肯定して素直に謝る。しかもそれだけじゃない。


「ではその『道楽』が読み終わったら、私のとっておきの一冊を紹介しますよ」


 こんなことを言って、私をどんどん本の沼に引き摺り込もうとしてくる。活劇もミステリもファンタジーも、全ては彼が教えてくれた。


「えっと、ちなみになんてタイトル?」

「明言はしません。ですが、あなたの所属する文芸部でこれを読み合えば、あなたはたちどころにヒーローです」

「ヒロインじゃなくて?」


 彼は一瞬だけキョトンとして、すぐにクスクス笑う。


「失礼、おっしゃる通り、ヒロインだ。ですが主人公でもいいじゃないですか」

「んー、まあそれでもいいけど。でも次のテーマは決まってるよ」

「聞いてもよろしいですか?」

「ラブ・ロマンスだって。『花弁の落ちる時』だったかな」


 たちばな群青ぐんじょうという大月賞作家の六作目。十年くらい前の作品だけど、当時は全国の本屋さんからこの本がなくなったらしい。


「それは、橘の? 差し出がましいようですが、あれは」

「面白いって話だけど。誰も読んだことがなくて有名だから選んだって言ってたよ」

「我々が読めば面白いのですが、あれは恋というより愛がテーマですよ」

「私だって恋と愛くらいわかるよ?」


 司書さんの喉から「ひゅっ」と悲鳴がきこえた。「ご、ご存知でしたか」


「知ってるよ。お友達にはライクで、好きな人はラブ。ランドセルに入ってた教科書にだって載ってるよ」


 仰る通りです。と、なんだかほっとした顔。やっぱり不思議な人だ。


「またあそこの席にいるから、閉館の時間になったら教えてね」

「かしこまりました」


 六時には閉まるこの図書館だけど、司書さんは室内の掃除や片付けが済んでから呼びにきてくれる。三十分くらいだけど、なんだか読書の邪魔をしたくないっていう彼の気持ちが嬉しい。


(それに甘えちゃいけないんだけど、はあ、やっぱり面白いなあ)


 辻斬りや火付けによって江戸を恐怖に陥れる正体不明の忍者、それを成敗する剣客、梯子はしご新之助。幕府転覆を企む忍者集団にどう立ち向かうのか、そういうあらすじなんだけど、文芸部では受けがよくない。同級生のアキちゃんに勧めたらすごい食いついてきたけど。


「うわあ、新サマの兜割りだ。ドラマでやらないかなあ」


 声に出ていたのか、姫昏さんはペットボトルのお茶をくれた。200mlのちょうどいいやつだ。


「あなたは本読み以外にも演劇や朗読の才能がありそうですね」

「むっ、たまたま声に出ちゃっただけですよーだ」


 気がつくと館内の照明は私だけを照らしている。すでに六時三十五分だった。


「あ、ごめんなさい。遅くなっちゃったね」

「申し訳ありません。あなたの指が栞に触れるまではと思ったのですが、今日は少し用事がありまして」

「いつもの司書さんの会議?」

「ええ。近頃はなにかと忙しくて。ですがそのおかげで蔵書も増えたりしますから」


 それならばどんどんやってもらいたい。ここにある本は、彼自らが買い求めたものもあって、それらは手書きのポップでコーナー化されている。


「難しい海外の文学小説だけじゃなくて、『司書のオススメ』もよろしくお願いします」

「アッハッハ。あれは私の趣味ですからね。週刊連載の漫画もあるくらいですから、ええ、増やしておきますよ」


 彼の趣味はこれまた不思議で、ドイツ語の絵本や国内のマイナー女流作家の短編集、さらには藁半紙を麻紐で綴じたものまである。

 それが司書のオススメコーナーで、あまり人は寄り付かない。

 というよりも、この図書館に私以外の人が居たことがない。


「じゃあまたね司書さん」

「さようなら。またいつでもお越しください」


 玄関まで見送ってもらい、少しだけ振り返る。彼はまだそこにいて、太陽なのか月なのかわからない明るさのそこで、多分微笑んでいる。


(いつも思うけど、不思議な人だ)


 そういえば、小学校の将来の夢って作文に、司書って書いたっけ。それは多分、憧れというかなんというか、あの人の不思議な何かに惹かれたんだと思う。


 振り返ると彼はもういない。玄関の非常灯だけが不気味に光っていた。

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