挨拶のまえに

孤独とは楽しみであり、楽しみは詩となり詩はひとときの楽しみと無聊になるだろう。楽しみ、が何ひとつないのならば私はもう唯一の詩に触れることもやめよう。それは生命を手放すに等しい。順に皿を砕いていく。ガチャンガシャン、と孤独死した老人の家を壊している。いや、孤独死した老人ではない田辺伊三郎という名前で、彼は海軍の中尉であり、軍艦乗りでもあった。製糸工場の場長を務めたひとでもある。書道が得意で強面だが、ひとなつこい一面もあった。晩年は煙草と晩酌、犬だけが彼の友であり支えだった。いや、それも単なる憶測でしかない。皿を割る、大小さまざまな皿を割る。どの皿も色も形も使用年数まで違う。それでも破れたらただのゴミなのか。繋ぎ合わせれば、新たな幻想が宿るだろうか。孤独とは寄せ集めの人生だ。破れかぶれでも悪くはない。後、どれだけの皿を割れば良いのだろう。明け透けな裸電球が、お前は破壊を楽しんでいるのだろうという。手にしたハンマーがお喋りなやつを潰して、私は返す刀でさらに皿を割ることに熱中するのだった。もはや名前など知らないものたちが、省みられることなく砕けていく。私は頭から蒸気を噴き出しながら口から煙りを吐いた。やがて夜更けを迎えるころ壁は失われ、眩い陽が眼を射る。あと一皿であった。重機の唸りが高まり私の頭上に影がさした。振り下ろせ、誰かの声に合わせて最後の皿が砕かれた。地球の重力に逆らえない運命のように、どこかで熟れた果実が落ちて砕けた。乗せるべき皿がなくなったのだから、それもむべからぬことであった。

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