第7話 生者の葬列

 どこに私は行くのだろう。どこに私がいるのだろう。住所を聞きたいわけではない。最短距離を知りたいわけでもない。私はどこかを目指し、どこかへと歩き続けていた、はずだった。取り残されたわけではない。追い越したわけでもない。私は列のなかで進み続けている。しかし列の人ばかりが目につき、他のものは目印にさえならない。

 私にあるのは恐怖心だけ。その怯える心に縛られた私は、列を見失ってはならない一心で列と歩幅を合わせる。しかし、列の誰かに話しかけ、その恐怖心を解消しようとは思えなかった。怖かった。もし話しかけて誰かが舌打ちの一つでもしたならば、私は歩くことさえままならなくなるだろう。

 私は私の声が嫌いだ。特に録音された私の声が耳を舌なめずりされるかのような陰湿さを含んでおり、そのため私の声を聴いた者は嫌悪を抱いて私を拒絶する気がしてならない。録音されていないときに頭に響く私の声にはその陰鬱がないため、ますます他人の目を恐れてしまう。

 助けを求めればいいと、私が死にたいと吐き出す度に相談窓口が現れる。しかし、相談窓口の目的は結局のところ、私を生かし、私を働かせ、経済効果を創出するためでしかない。それを尊い命という大義名分でごまかしている。しかし、死だけが私の復讐でしかないと分かっていながら、私の死体に悪態をつかれることを想像してしまう。

 この怯え切った心は、私を極度の緊張に陥れ、そして私の異常に目ざとく気づく者の顔を見ては、私の心から不安以外の感情が離れ出ていってしまう。もう喜びも、高揚も、感動もこの手にほんの僅か。この列から抜け出たならば怯む心を忘れられるかと考えては、列を見失ってただ一人おいてけぼりにされてはならないと無意味に繰り返す。

 「君。君たちはどこに行くんだ?」

 声が聞こえて、その方を見ると、老いた男性が列に歩調をなんとか合わせ、誰かに問いかけている。列が止まる気配はない。私は気づかれないように少し見ては耳をそばだてる。しばらくの間があっても誰も彼の質問に答えようとしなかったが、溌剌とした声が列から発せられた。

 「……理想。理想だ!」

 それは自信と期待をひたすらに感じさせる男の声であった。その男は列をかき分けて老人に近づいていく。

 「理想ですか。良い響きですね」

 「はい。この列を見れば明らかです。こんなにも大勢の人が一つの方向を目指しています。それは誰もが理想を抱き、そこに邁進しているからに違いありません」

 「……そうですか。先の戦争では、列の周りを軍部が囲っておりました。今は違うといいのですが」

 「違いますよ。見てください。この列で飢える人は滅多にいません。そして社会をよりよくするために皆が生きています。破壊のためではありません。創造のために生きているのです。この理想を目指す自発的な隊列には美しさがあります」

 私は、熱弁を振るう男とは同じ釜の飯を食うことはできないと思ってしまった。もとより私の誰かとご飯を食べたいという欲求は息も絶え絶えなのであるが。私は私の咀嚼音や食器の重なる音で迷惑をかけていないかと気が気でなく、そのため誰かと一緒に食卓につきたいとは思えない。

 「ご老人。あなたもこの列を進みませんか?」

 「私はもういいのです。最後の景色は情緒がひどく凍り付いておりました。……もう戻れないのですね。私はここで列を離れます。最後に話し相手がいてよかった。ありがとうございます」

 「こちらこそ。この列の先の景色をご老人と見ることができないのは残念ですが、私も話せてよかったと思います。ありがとうございました」

 では、と老人は会釈をして列から去っていく。私はその姿を歩きながらも目で追い続けていた。熱弁を振るった男はさようならと言って見送った後、もとの位置に戻ることなく、そのまま列とともに進み続けている。

 この果てにあるのは理想などではないという予感がある。その先にあるものは私には分からないが、その場に私が居合わせることはおそらくなく、私は行進の途中で倒れ、その死体を人々が踏みつけていくだろう。私は地面を初めて見た。そこにあるのは折り重なる無数の死体で、列の先頭にいくにつれ死体の山が盛り上がっているようであった。

 この葬列は空へと続き、その末に一体何が見えてくるのだろうか。この縮こまった私の体を踏み越えた人々は、私を遥か遠くに取り残し、雨の上で雨を忘れ、雲を見下ろすのだろうか。倒れて道となる人や黙然と去っていく数人が目についた。列のなかで臆病に歩いていく私は、不思議と涙がやまなかった。

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