第5話 天国の罪

 花には人々が群れている。しかし散ってしまった花びらには誰一人目もくれず、なかには無頓着にそれを踏みつける者までいる。だからこそ一見すると和やかなこの公園から、冷酷さを嫌になるほど実感させられてしまう。花々が枯れるころ、彼らは目もくれなくなるだろう。


 曇天というのに、人通りが絶えない。加えて彼らの大半が花を写真になんとか収めようと立ち止まる。その幾つもの足が地面を踏み固め、雑草のない通り道が盤石になっていく。新たな花がその通り道に咲くことなどありえない。花は沿道に押しのけられたままの状態を余儀なくされてしまう。


 結局ここは天国でしかなかった。天国には罪人の居場所などない。ただ華美な大地を善人たちが享受し、醜さはそぎ落とされていくのだろう。そして誰一人として罪人の苦しみを知ることなく、己が天国の住人であることに安住し続けるのだろう。そこに正しさはあるのか。そこに人間はいるのか。


 殺させた魚の骨や皮も取り去らせ、よく飼いならされた獣も殺させて解体まで担わせる。天国には魚という生命ではなく魚肉があり、獣という生命ではなく名前だけが残った加工された肉塊がある。他にいるとすれば、魚は餌付けされて透明な壁の向こうで、獣は野性を抑圧されて柵のなかに閉じ込められている。天国には野性の血など存在せず、住人は命の単調に消し去られた肉に食らいつく。


 この天国を悲しむようになったのはいつからだろう。この精神を罪人のものと認めた時からだ。まだ罪人として裁かれていないが、もはや天国の住人ではないことは明瞭な事実であり、話し相手がよくこの顔に違和感や恐怖を感じていることが伝わってくる。すでにこの精神には罪人の烙印が押されており、面と向かって看過されるのも時期尚早だろう。


 しかしもはやこの天国でしか生活できなくなってしまった。天国にいる時間が長すぎたのである。醜さを捨て去っていくこの天国に、血を除去した肉や土のない野菜を住人が頬張るこの天国に、いつしか慣れてしまい、どうにもここではない場所で暮らせそうにない。それを知っているからこそ、天国からの追放を恐れてしまうときがある。


 しかし追放を恐れるだけではない。天国への怒りを抱くこともある。自身に関することについて不満はほとんどないのだが、天国の住人たちが、ここにある天国のみの安寧を願いつつ無駄とされる箇所をそぎ落として生きる彫像たちが、それが何でもないことであるかのように罪人を無意識に追い出して生きていることに、悲しみを知れと奥底で叫んでいる。匂いや顔、体を作りあげて生きる彫像のような人々は、どうして同じように生きている周囲の人間も、野生を削った彫像でしかないことに気がつかないのか。またそのようにしてできる天国が、悲しみを覆い隠していることになぜ気づかないのか。どうして野性を露わにした罪人を忌み嫌うのか。この天国の悲しみを知れ。こう問いかける度にそれは自身に対する戒めにもなっていく。


 ならば天国の使徒となり、罪人も天国の住人も救い続けろと野次を飛ばされることは想定済みだ。しかしこの精神は既に罪人である。天国の使徒の募集資格を満たせない。助けになりたいと願うようになった。けれどもその時には、既に助けられる側の罪人になっていた。ここに罪人の居場所はない。


 恐れも怒りも一瞬噴き上げていくだけで、すぐに倦怠に覆われてしまう。やがて倦怠ではなく熱狂に覆われるようになり、そしてまた倦怠を抱くようになる。いつ裁きを受けるのだろうか。倦怠のときならば粛々と去り、熱狂のときならば激烈にあがき、されど天国の大地は揺るぎないまま安穏であり続けるのだろう。


 はたして天国の住人は人間なのか。この罪人の苦しみを発狂者のものと断じるだけで、気にも留めない。罪人が一人また一人と追い出されていくなか、その特異な天国の住人証明を甘受する。運ばれてくる加工食品に関わった者たちの悲惨を知ろうともしない。さらにこの罪人の涙から遠ざかり、嘲り罵る。


 もういっそのこと、この感情ごと消えてみようか。天国からの裁定を待つ必要などない。この悲しみ、怒り、際限のない疑念を終わらせてしまえばいい。天国から追放される前に、飛び降りてしまえばいいのだ。この天国には罪人の席などなく、住人は視線すら向けないのだから、飛び降りた罪人の足跡にさえ気がつかないだろう。


 顔を上げる。ここにあるのは踏み固められた大地、隅に追いやられた花々、その花に好奇の目を向けて享楽を貪る人々で、この罪人は一人心を決めて立ち去ろうとする。そこに浮かんだまま飛んでくるのは、幾つものしゃぼん玉だ。見やった先には子どもと父親がおり、子どもはしゃぼん玉をご機嫌に生み出している。


 「しゃぼん玉。お母さん。きれい」


 近づいてくるのは母子だ。子どもがちょうどこの罪人の前で立ち止まり、浮かぶしゃぼん玉に触れる。手が触れたしゃぼん玉は破裂する。罪人の視線に気がついたその子どもは、罪人を見た。そして罪人にそれが何でもない行為であるかのように笑いかける。罪人は虚を突かれた。


 「ほら行くよ」


 その子どもの母親が、狂いきっているはずの罪人に一礼し、その子どもとともにこの場を離れていく。


 何も返事ができなかった。その子の笑顔を前に座り続けていただけだった。生起する後悔が心の四方八方を走り回る。それでもその子の笑顔は脳裏から消えなかった。近くに人はいなかったため、どう考えてもそれはこの罪人に向けられた笑顔だった。その一瞬の間、罪人であることなど忘れていた。


 この天国にいるのは紛れもない人間だと思い知らされる。誰一人として、この罪人の言葉を本気で相手にしてくれる者などいなかった。その事実に心をむしり取られていながらもなお、天国の住人が人間であると疑いもなく断言したくてたまらない。それほどまでに色彩豊かな白昼夢を見たかのような笑顔だった。


 涙を溢れそうなほど蓄えたこの雲から、まだ雨が降り出さないことを願う。その母子は傘を持っていないようだった。だからせめて彼らが外を歩くのをやめるまでの間涙を我慢し続け、彼らが雨粒に打たれないようにしたい。その間のあと少しだけこの天国で生きていたいと思えてしまった。


 その子どもはこれから天国の現実に気づいてしまうのかもしれない。いつか身近な人が罪人と成り果ててしまうかもしれない。いずれこの罪人と出会っていたことを忘れてしまうことだけは疑いようがなかった。そうであっても彼らにとって、この天国が理想郷であり続けるように。

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