第4話 夢想華園

 私は花を握るあなたの前に立ちます。あなたはここでいつも同じ花を持っています。あなたは未練を残しているのでしょう。それはきっとあなたの手にしているその花に関連しているはずです。私はしかし、あなたに理由を聞けません。だからこの花畑の只中であなたの言葉を待ちます。


 「私は幸せだったから、ここにいる理由を教えて」


 「ここに来たのはずいぶん前で、その日は雨が降っていたんだ。予定が合うその日を狙ったかのような雨で、それでも気がつけば人のまばらなこの公園を歩いているのが楽しくなっていた」


 「ごまかさないでよ。でも、楽しかったね」


 今日のこの公園には陽光が余すところなく注がれていて、花々ははつらつと背を伸ばしています。しかし一向に喜びを見せないあなたはその手の花に懐古の眼差しを送りました。私はその仕草に、やっぱりあなたが好きだと再確認させられます。顔を上げたあなたが言い足していきます。


 「もともと雨が嫌いだった。靴や服が濡れて、陰鬱になってしまうから。それでもあの日、雨粒の重みで首をもたげていく花々や、傘にぶつかったときの雨粒の反響音、途切れがちに続いていく何気ない会話の何もかもが好きになってしまった。その時からあの雨の日をよく思い出すようになった」


 「そう。あなたは出会ったときからそうだったけれど、雨の日になると機嫌が悪くなった。それが変わったのがあの日だったってこと、私、知らなかった。だってあなた、何も言わなかったから。教えてくれればよかったのに。それがあなたの思い残したことと関係しているとしたら」


 「分からない。本当のところは分からない。どうして今日は晴れているのだろう。もし雨だったなら、もう一度あの日に戻れたような気がしてならない。そうすればどうしてあの雨の日のことばかり思い返してしまうのか分かるような。そうだ。たしかあの日が、初めて好きと言われた日だったからじゃないかな」


 私もあなたとの思い出を掘り返してみます。あの日、私とあなたはある駅で待ち合わせをして、電車を乗り継ぎ、バスにも乗ってこの公園を訪れました。私は休日を一人で過ごしたくないという理由で、流されるままあなたとの小旅行に同行していました。


 「初め、当たるも八卦の心持ちで誘ってみて、その話に乗ってもらったことへの喜びと期待を裏切るかのような雨が不安だった。それでもここで挫けてはいけないと内心で奮起して無理に話しかけ続けた。力を込めすぎてしまっていた。それでも」


 「私はちょっと幸せそうな顔をしていたのかも。こんなにも私と向き合おうとしてくれる人がいると分かったから。きっとあなたのことだから、私と会う前は、干渉しすぎて距離をとられていたんじゃない。私はそれが嫌ではなかったけれど」


 「だからかな。あまり無理しないで話していいと言ってくれた。それがありがたかった。気が楽になった。あぁ。その瞬間だ。雨音が鮮烈に耳に残って花々の色がやけに輝きを伴ってきたのは。それで二人で今までになく充実した会話をした」


 「そう思ってくれて嬉しい。そろそろ教えてよ。どうしていつも花を持っているの」


 私は、思い出ばかり話して理由まで説明しないあなたに我慢できなくなり、ついに聞いてしまった。


 「この花はあの会話のときに好きな花と言っていたから持っているんだ。この花があれば何もかも思い出せてしまえるようで、だからここに雨が降ったなら、あの時を再現するつもりだった。降らなくても今再現して、どうしてあの時好きって言ってくれたのか考え直そうかな」


 「いいよ。死にたいと考えたことってあるの」


 「死にたくなったことは何度もある。もし死んだら、ここで会わないか。それでこの花たちとともに次へ行きたい」


 「それって告白だったりするの」


 「そうか。あの時、告白かどうか聞かれたな。その後は。愛させてください」


 私があなたを見つめていると、あなたは驚いた表情で私を見つめ返します。私の目からは涙が流れていきますが、あなたから目を背けません。通り過ぎる風の勢いのまま花々が揺らめくなか、分かったよと言うあなたも、私に確信をもって向き合います。


 「ここにいるということは約束通り待っていてくれているんだね。独り言ばかり言うようになっても、愛してもらっているんだ」


 「そうよ。だからもう諦めて。死んでしまったあなたは先へ進んで」


 私は花と私に囚われたあなたに、寂しさを隠しながら伝えます。


 「違う。死んでいるのは君だよ」


 私は花畑の只中に立っているはずの私の足元を見ます。そこでは一切踏まれていない花々が、はつらつと背を伸ばしているのです。私は突然、白い天井が黒で閉ざされていく光景を思い出しました。その後この公園を目指して歩き続けたことも蘇ってきます。


 あなたの言葉を待つ間もなく、私から全感覚が失われていき、それでもあなたに言葉を託そうとします。涙をこらえているあなたが、表情を少し緩めて愛していると私に言います。潤んでしまっているこの花畑が、まるであの時の雨の日のように思えてなりません。


 「大好き。さよなら」


 ここに心一杯の夢想を置き去ります。

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