パルネとネネとケルベロス
拝啓、田舎のお母ちゃん。めっきり寒くなりましたが、ネネは元気でやっています。
何をって、そうですね、お掃除にお洗濯に……それからケルベロスのおさんぽ!
お料理は、まだまだ勉強中です。ふっふっふ。ネネはなんと、あの名門リッカー家でメイドさんをしているのです! えっへん!
ちなみに、今はですね……パルネお嬢様の椅子をやってますね。
「四つん這いで手紙を書くなんて、なまいきな椅子ね」
「むふぅ。鍛えてますからっ」
ちっちゃなメイドの背中に腰掛けたパルネ嬢へ、下から朗らか筋肉回答が返ってくる。
手紙の文面をチラ見していた嬢は、涼やかに告げる。
「名門、というのは直したほうが良いわ」
ソーサー片手にカップの紅茶をひとくち、他人事のように続ける。
「家督を継いだのが十三歳の生娘……遺産はわずか、使用人はあなたしか残っていない」
パルネ嬢の語らいに、傍らで伏していた大型犬が「バフ!」と反駁する。
「お前もいたわね、ケルベロス。たのもしい番犬」
「それでっ――どう直せばよいでしょう!」
メイド兼椅子のネネが尋ね、パルネ嬢は不敵に笑う。
「あなたは、どう直すべきと思って?」
「う~~ん、くそざこ?」
んんっ! と咳払いした嬢は、紅茶セットを手にしたまま腰を上げる。西日が射し込む窓辺に向かい、決意を込めて口にする。
「超・名門よ」
その時、窓からの夕焼けが微かに翳る。と同時に、ケルベロスが真っ先に動いていた。愛犬にパルネ嬢は押し倒され、顔面に紅茶を被る。ファッキン・ホット(くそ熱い)
次いでガラスの割れる音。パルネ嬢は投石だと気づく。
「ネネ」
名前を呼ぶより疾く、メイドが跳んでいた。エプロンドレスの裾がふわりと舞い、ジャンピングボレーな蹴撃が繰り出され――パン! と乾いた音がして、失礼な石ころは塵となる。
見事に着地したメイドが、セミロングの黒髪を靡かせ振り返り、屈託ない笑顔でVサイン。
彼女の頭頂では、超ロングな白兎の耳が揺れているのだった。
――獣人。それは、亜人(デミ)とも呼ばれる、社会的に下等な位置づけをされている種族である。生まれながらに誰しもが魔法の素養すなわち魔力を持つ、この世界の在り様に反し、獣人は例外なく魔力0というハンディキャップを持つ。代わりにフィジカルの点では常人を凌駕し、主に肉体労働の担い手として世界を支えている。
「頭脳労働なら任せておきなさい」
ことばに反し、パルネ嬢は釘をくわえて木槌を振るう。窓に板切れで×(ばってん)して、からっ風を防いだ後、廊下へ出てメインディッシュに取り掛かっている。
寝室手前の床板をネネに(力まかせに)剥がさせ、床下の土をケルベロスに掘らせた……残るは仕掛け板を嵌めて完成だ。
「ネネがやりますよお、お嬢様ぁ~」
じぶんがやる! とねだる幼子のように、カンテラを提げた兎耳メイドが小刻みに跳ねる。
「あなたにはあなたの役割があるの。――ほら、ちゃんと照らしなさいな」
ぶーたれながらネネが屈んで、カンテラの灯を近づける。大人しくさせているぶんには無害な兎だが、パワー&体幹とトレードオフで繊細さに欠き、これまで数多の掃除用具とパルネ嬢の洋服をダメにしている。
「……故郷の田舎で、そーゆー狩りの罠、見たことあります!」
割いた竹を穴の上に渡して、藁とか枯葉を乗せて……。ネネが所感を口にする。
「正解よ」
「お家でイノシシ狩りを?」
「おばか。狩るのは不届きもの! 不法侵入者っ!」
パルネ嬢が答えると、ネネは屈んだまま身体ごと傾げる。兎耳が被さり隣のケルベロスが迷惑そう。
「お嬢様なら、魔法? で罠づくりヨユーなのでわ」
「良い質問ね」
嵌め込んだ仕掛け板を確認しつつ、パルネ嬢は解説する。
「今日び、罠といえば魔法トラップ……不届きな侵入者もそう考える」
裏を返せば、魔法による罠しか警戒しない。この暗闇のなか、魔力探知はしても床板の細工には注意を払わない。
「投石する原っ始人に似合いの末路だわ」
ヨシ! 額の汗をぬぐい、パルネ嬢は竣工を宣言する。あっちから歩いてきて引っ掛かってみなさい――過酷な動作テストを指示すると、ネネはカンテラを置いて、てってって~と定位置に着く。わざとらしい忍び足でよーいスタート。したかと思えば、およそ趣旨に反して、ぴょんとジャンプして仕掛け板を踏み抜く。
バカン! 仕様どおり床が崩落した。先にある縦穴はケルベロスの力作。奈落というほど深さはないが、底にはケルベロスの糞が待ち受ける。まず糞まみれになり憤死する。
(――うちのメイドでなければ)
Y字ポーズでボッシュートされる様を腕組みして見送る。一拍置いて、
「お嬢様ぁ~!!」
軽やかにネネが飛び出してきた。穴の中で壁蹴りをループさせ登り切ったのだ。
想定外だったのは、パルネ嬢へ向けて、前のめりにフィニッシュをかましたこと!
「きゃあ!」
一日のうち、わんこに続いて兎にも押し倒されようとは。ちび兎メイドに組み敷かれ、お嬢様は、つい漏らした黄色い声を「んんっ!」と誤魔化す。どこ吹く風でメイドは頬ずり……その圧で、ふたりの下にある床板が沈む。
背中で直に感じたパルネ嬢は、咄嗟に寝がえりを打つ。ネネを巻き込んで反転する。
間一髪――天井からナイフやフォークが降り注ぎ、さっきまで身体のあった場所が串刺し。柱に糸を這わせて吊っていた追撃トラップだ。例によって仕掛け板を踏むと、ぷっつん糸が千切れる仕組みになっている。
一方、パルネ嬢はいうと、ぷっつんキレたというより呆れた様子。
「まったく……世話の焼ける子」
夢中で気づいてなかったでしょ。今度はパルネ嬢が馬乗りになり、眼下のメイドを窘める。
メイドのネネは、まっすぐ星空を仰ぐように嬢を見つめ、わずかに頬をふくらませる。
「何本か刺さっても、がまんするもん」
「するな」
パルネ嬢はでこぴんを食らわせる。ダメージ0の気配でネネが続ける。
「それに……ネネがドジしそうになったら、お嬢様がたすけてくれるでしょ」
「今回は、たまたまよ」
「ネネを拾ってくれた、あの日だって……」
思い出トークを切り出され、つい半年前の出来事がフラッシュバックする。
「やめなさい。あなたを拾ったのは、わたしの身代わりにするため」
いざ決闘を申し込まれたとき〝代理させる〟ため。代わりに命を賭けさせる、生贄にするためだから。――カンテラの灯が照らす中、後ろ昏さを浮かべてパルネ嬢は目を逸らす。
「生贄なのに、たすけてくれるんですか?」
「ばかね。生贄というのは、そういうものよ」
贄にされるまでは、生かされチヤホヤされるものだわ。パルネ嬢は苦笑してネネの頬に触れる。その淑やかに細い指先を、小さな手が握る。
「ゆーわりに、ふだん家具扱いですけどお~」
「待って。指を折られる気がしてきたわ。冷や汗でてきた」
「チヤホヤしてくださいます!?」
「……いっしょに寝てあげるくらいは、ね」
やったあ! と仰向けバンザイするネネの声と重なり、ケルベロスの唸り声が低く響く。
(かまってあげないから拗ねたかしら? いや違うわね)
パルネ嬢はネネに馬乗りしたまま、廊下の先――ケルベロスが威嚇している先を注視する。もう一つのカンテラの灯がゆらめき、暗がりから、もう一人のメイドが現れる。
「パルネ様」
ふたり+一匹の年齢を足しても届かぬであろう、おば……妙齢のメイドが、しかめ面で嬢を睨めつけてくる。
「お戯れはホドホドに」
「戯れ? これは自己防衛よ、自・己・防・衛っ!」
「屋敷の床板を壊して、食器を突き立て、亜人とまぐわいをされているのが?」
「……」
「叔父様がお許しになりませんよ」
彼女は、パルネ・リッカーのメイドではない。別の街で暮らしている叔父、ピム・リッカーが寄越した〝監視役〟の人間だ。叔父には後見と称してやりたい放題されている。
(落とし穴、こいつも落ちればよかったんだけどな)
「聞いておられますか」
「あー、聞いてるわ。で? 叔父様に許されてウチに来ているアナタは、今この時まで何をやっていたのかしら」
「――と、申しますと」
「話にならない」
夕刻、寝室でガラスが割れた音をスルーしておいて。そもそも、掃除・洗濯・料理のうち、こいつは何一つ請け負わない。やるのはピムから命じられた監視だけ。それも外敵からの脅威を監視しているわけじゃない。わたしを、パルネ・リッカーの行動を監視している。
「近く、叔父様のところへ直談判に行くわ」
「ご自由に」
その時、ネネのおなかが「ぐう」とフリーダムに声を上げた。
「……ちなみに訊くけど夕食は?」
「ご自由に」
でしょうね。パルネ嬢が諦観まじりの嘲りをぶつけると、ピムのメイドは無言で踵を返し、廊下の暗がりへと消えていく。
「ネネ、あいつきらい」
「気が合うわね。わたしもよ」
ネネの上でフッと笑い。身体を寄せてきたケルベロスを撫でて。
パルネ嬢は優雅に宣言する。
「さあ、リッカー家の夕餉にしましょう」
まずは食糧庫を覗いてからね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます