27.うちの子

 見送ってから数分後、そのまま家の前で待っていれば、桜子さくらこさんの姿が見えてきた。走っている彼女は遠目からでも何かを持っているのが分かった。

「あれって……袋?」

 私は口に出してすぐ、数分前の彼女の問題発言を思い出す。確かに大きな袋に入れてとか何とか言っていた。でもまさか本当にそうするとは当然思っていなかった。

「ご主人……」

 腕の中の継兎つぐとは私を仰ぎ見て呟く。

「彼女、いわゆるヤバい人ですかね」

「言わないでください。それで言ったら私もぬいぐるみと話しているヤバい人、ですよ」

「ですねえ……」

 そんなやり取りをしていると、あっという間に桜子さんがやってきた。遠目で見た通り、やはり大きな袋を抱えていた。でも子どもを抱えているにしては軽そうに見えるのは気のせいだろうか。それとも単純に彼女が意外と力持ちなのか。

「早速ですけど、うちの子連れてきたのでお家に入っても良いですか?」

 そう言う桜子さんの手元でガサガサと袋が音を立てる。ああ本当に入っているんだなと思いながら、彼女を我が家に招き入れた。

「たいしたもてなしは出来ませんけど……」

 そんな私の言葉に彼女は「おかまいなく」と返した。このしっかりとした返事を聞くと、とても子どもを袋に入れている人とは思えない。

 リビングにある大きめなテーブルの前に座布団を敷き座ってもらう。私は茶菓子なんてあっただろうかと戸棚を探し、大福があったのでそれをお茶と一緒に彼女の席へと置いた。すると、また袋がガサガサと音を立てる。

「出してあげた方が良いんじゃないですか?」

 袋の口は結んだりテープで止められたりはしていないものの、さすがにこのままの状態は良くないだろう。継兎は袋をつんつんと突いている。

「どんな子なんですかね?仲良く出来ると良いなあ」

 継兎の言葉に反応したのは、桜子さんではなかった。

「つんつんするの止めてよお」

 それは初めて聞く、なんとも間の抜けた声だった。つまり、桜子さんが言う“うちの子”の声なのだろう。声とともに、袋の口が下へと動いていく。その過程で手が見えた。

「あ……」

 その手は到底人間とは思えない、動物のような―あるいはぬいぐるみのような、もふもふとした手だった。その手が袋をガサガサと動かし、遂に手の主の全貌が見える。

「おお!くまさんですよ、ご主人!」

 継兎の言葉の通り、袋の中にいたのは熊であった。もちろん本物の熊ではなく、もっと可愛らしいぬいぐるみ。首元にはリボンが付いている。

「さくちゃんすごい走るんだもん。頭がぐわんぐわんするし、こわかったあ」

 その熊のぬいぐるみは両手を目元において泣きまねをしている。もしかしたら本当に泣いているのかもしれない。おっとりとした話し方も相まってとても可愛らしく見える。

「ごめんね、くまこ。急ごうと思って……」

 桜子さんはそんなぬいぐるみの頭に手を置き優しく撫でていた。とても大事にしていることが分かる。そして、私は大きな勘違いをしていたことに安堵した。もし勘違いではなく本当に子どもが入っていたら、さすがに彼女に常識を説かなければいけないところだった。動くぬいぐるみを見て安堵するというのもおかしな話ではあるのだが、既に継兎との暮らしで慣れてしまっているのだから仕方がない。それに、これで彼女の今までの言動にも納得がいく。

「桜子さん、その子が?」

 私の問いに彼女は撫でる手を止めず、顔だけこちらに向けた。

「はい!うちの子……くまこちゃんです」

 そう言うと撫でていた手を下ろし、挨拶をするよう促した。

「えっと、くまこちゃんです」

 自分で自分の名前にちゃん付けするのはあまり聞いたことがない。そんな特殊な挨拶をしたかと思えば、しっかりとお辞儀をしてきたのでこちらもそれに倣って返す。

「くまこ……さんは」

 私が呼び名に悩みつつそう言えば、明らかにむすっとしていた。

「違うもん」

 そう言って桜子さんの後ろに隠れてしまった。何が嫌だったのだろう。私が疑問に思っていると、桜子さんが少し笑いながら答えてくれる。

「この子、ちゃん付けじゃないと嫌なんですよ。その方が可愛いからって」

「……くまこ、さん?」

 桜子さんの後ろから少し顔を出してこちらを覗いているが、それ以外に反応はない。

「くまこちゃん?」

「はい!」

 今度は大きな声で返事をし、耳が少し動いたかと思えば、片手を上げて出てきてくれた。これには私も桜子さんも笑うしかない。桜子さんが可愛がっている理由がよく分かる。これは全てにおいて可愛すぎる。そして、そんな和やかな様子を見て不機嫌な様子のものが一人。

「ご主人までそんな笑っちゃって……別にたいしたことないじゃないですか。ちょっともふもふしているからって……」

 俯いている継兎のぼやきが聞こえた。多分もふもふとした毛並みが羨ましいのだろう。でも正直、継兎にその手の生地は似合わないと思う。「継兎は今のままでいいんですよ」と言えば、継兎はばっと顔を上げ、私の周りをぐるぐると回り始める。

「そうですよね!そうですよね!えへへへ!」

 長い耳と手をバタバタしながら走り回っていた。お客さんもいるんだしそんなに暴れないでほしい。

「すみません。騒々しくて」

 私が頭を下げると桜子さんはくまこちゃんを膝に乗せていた。

「お互い大変ですね」

 その言葉には大変ということ以上に楽しいだとか嬉しいだとか、そういった感情の方が多く読み取れた。きっと、振り回されることすらも楽しいのだろう。

「ですね……」

 周りをぐるぐる走る継兎を見る。確かに継兎との生活は退屈がないし、私自身前よりも感情を表に出すようになったような気がする。

「埃が舞うから止めなさい」

「はい……」

 注意されて走り回るのを止めた継兎は見るからにしょんぼりしていたが、それを見ている私は自然と笑っていた。

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