23.不確定要素

空気は、重い。当然ではある。

行くなと言われていた場所に、嘘をついてまで赴いたのだから。


あれから継兎つぐとは無言で店に入ると、私の腕を掴み、引っ張るようにして店を出た。出る時、またのお越しを、なんて暢気な男性の声が聞こえた気がする。


ずっと無言の継兎に対し、こちらから話を切り出す気にもなれなかった。

何を言ったところで嘘をついて出掛けたことに変わりはない。私も多少の罪悪感くらいは持っていた。

私の腕をぎゅっと掴んだままの継兎からは、何の感情も読み取れない。

そのままお互い何も言葉を発さず、帰宅した。


リビングまで来て、その場で立ち竦む継兎。

私はただ、その後ろ姿を見つめるしか出来ない。でもさすがにこのままの雰囲気ではいたくない。先に謝罪はしなければ、と思う。思うのだが、どうにも口が動かない。そもそも何から言えば良いのだろう。嘘をついたこと。行くなと言われていた場所へ行ったこと。でもここで謝罪しても、私が欲しがっていた答えは何も貰えないんだろうな、なんて思ってしまった。

私があの場所へ行ったのは、知りたいことがあったから。多分その知りたいことについて、継兎は少なからず何か知っている。でもそれを私に教えたくないらしい。


「すみませんでした」


頭の中でいろいろと考えてはみたものの、良い謝罪文なんて分からないし、何ならその行動に至った言い訳なんて考えてしまう。これではどれだけ考えたところで謝罪文なんて思いつかない。

結果、謝罪の際の一番簡単な言葉を一言発するにとどめた。


「本当に、思ってますか?」

それは今にも消えそうな小さな声だった。


「思ってます」

私ははっきりと口にした。

でも、私の中の感情がそれだけではないことも知ってほしい。


「継兎が何かを思って接触してほしくないと思ったのは分かっているつもりです。でも、実際に行動に移してしまうくらいには、あの女性の言葉が頭から消えなかった。どうしても気になった」


「どうしてです?」


「自分のことだと思ったからです。あの女性が言っていたのは継兎のことじゃない。私のことですよね」


「それは」


「教えてください。知っているんですよね、あの言葉の意味を」

継兎の言葉を待たずにそう言えば、継兎はゆっくり振り返り、私の顔を見た。涙を流しているわけではない。それなのに、その表情は泣いているようだった。


「怖いんです」

「怖い?」

「はい。今はまだ詳しくは言えません。でも、いずれは言うつもりでした。ただ、まだ確信がないですし」

「あの女性の言葉は私に向けたものだった、ということは合っているんですよね?」

「それはそうだと思います。そう言われることについては、心当たりが、あるので」

継兎は俯き、言葉を続けた。


「もしも…もしもご主人が、知ることで傷つくようなら、今のままでいられないなら知らなくていいと思ったんです。もちろんご主人は自分のことを知る権利があります。それは分かるんです。でも、わたしは怖い。ご主人がご主人を知った時、何か起きてしまうんじゃないかって。何かに巻き込まれてしまうんじゃないかって」


継兎は核心には触れない。だから私は、継兎が何を言っているのか全然理解出来ない。何故自分を知ることが傷つくことに繋がるのか。


「必ず、私がご主人自身のことを話します。今は無理でも、いずれ絶対に話します。だからどうか、それまでは自分を知ろうとしないで。わたし以外の誰かから何を言われても、無視して。わたしは、今のご主人のことも、大好きだから」


至極真面目に話す継兎に戸惑いながらも、その様子に自分のことを第一に考えてくれているのは明白だった。分かりましたと言えば、ほっとした表情が見える。


そして継兎は小さく口を動かしたが、その言葉はわたしの耳には届かなかった。


「わたしはあなたに、壊れてほしくない」

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