16.勉強
「ではこれのおつりは1000円になるということですね。なるほど……」
あれから数日、継兎に勉強を教えていた。もちろん買い物に行くのに必要な最低限の知識だ。現金には硬貨とお札があることや、それらを支払う際の方法、簡単な計算。時々ふと我に返って、私は一体何をやっているのかと遠い目をしそうになる。
「勉強って面白いですね!」
継兎は初めての勉強がとても楽しいらしく、私の拙い教え方でも耳を傾け一生懸命だった。
「最初のうちだけですよ、そんなのは」
自分でも素っ気ない声が出たなと思う。
「ご主人は楽しくなかったんですか?」
「別に、普通ですかね」
反射的に出た返答だった。でも正直に言うと、そんなことあまり覚えていない。
「本当に?」
その声はいつもより感情の起伏が少ないものだった。
「なんですか?楽しかったか楽しくなかったかで判断してほしいんですか?それなら」
継兎の態度の変化にむっとして投げやりに答えようとしたのに、言葉は最後まで発することが出来なかった。
「そもそもそれを判断出来るほど記憶があるんですか?」
私の声に被せるように、継兎が呟いた。大きな声ではないのに、その言葉は私の耳から離れない。たまに継兎はこういった何かを確認するかのような態度をとるが、私からしたら何がしたいのか何が言いたいのか意味が分からない。
「小さい頃の記憶なんて朧げなのが普通ですよ。何となくしか覚えていないものでしょう」
「何となく、は覚えているんですね」
やけに突っ掛かってくるのは何故だ。確かに私は小さい頃の記憶がほとんどないが、それは特別変なことではないだろう。例えば、特に楽しかった記憶や嫌だった記憶は鮮明に覚えていても、その他どうでもいいことなんて全然覚えていなかったりする。つまり特別な記憶が無ければ全然覚えてなくたって普通だ。むしろ小さい頃の記憶なんて鮮明に覚えている人の方が少ないのではと思う。でも継兎が、私が幼少期に遊んでいたぬいぐるみなら私よりも私を知っている可能性はある。その頃から既に継兎という自我が芽生えていたのなら、可能性は高い。だから何か確認したいことでもあるのだろうか。だから確認する為にこんな質問をするのではないか。
「まあ、何となくではありますけどね」
継兎の様子を窺いつつ言えば、こちらをじっと見つめていた。
「そうなんですね」
先程とは打って変わって明るい声だ。もう追求する気はないらしい。
「そんなことより、勉強なんてもうこれくらいで大丈夫でしょう。簡単な計算さえ出来れば十分です。何なら計算なんて出来なくたって、支払い金額と同額、あるいはそれ以上出せれば問題ありませんし」
「じゃあこれで一人で買い物出来ますか?」
「はい」
継兎が一人で買い物に行けるか否か、それだけで言えばきっと普通に買い物は出来るだろう。ただ私が不安なのは、変なところに行ったり、何かトラブルに巻き込まれないか、なのだ。
「変な人に話し掛けられても反応せず無視してくださいね」
「いきなりなんですか?」
私の言葉に継兎は怪訝な顔をしている。それくらい分かる、とでも言いたげだ。
「買い物の清算よりも別の部分の方が不安なので」
「そんな子供扱いしないでください!」
「実際子供でしょう」
「違います!」
付喪神を子供扱いするなんて、とぼやいているが私が言っているのはそういう意味ではない。
「いえ、私が作ったのなら私の子供ということで間違ってはいないはずですよ」
「あ、そういう…」
ぎゃあぎゃあと文句を言っていたのが大人しくなる。
「親が子供を心配するのって、こういうことなんですかね」
「心配してくれるんですか?」
「そうですね。何かをやらかしそうで、心配で心配で……」
「そんなお転婆じゃないです!」
結構好き勝手に動くし、ずけずけとものを言うところがあるから不安なのだ。
「わたしは人間社会の勉強をしたいんです」
デートに行く前の下準備ということで出掛けるはずなのに、当初の目的を忘れていないか。いや、私としてはもう理由とかはどうでもいいのだが、とにかくデートなんて早く終わればいい。これに尽きる。
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