10.同じもの
その衝撃は大きかった、と言いたいところだがそうでもない。その可能性をずっと否定していただけで、目を向けていなかっただけだからだ。だって私には、このぬいぐるみを作った記憶がないのだ。さすがに幼い頃に作ったにしてもこんな存在感あるぬいぐるみなら覚えていそうなものだが、全く覚えがない。
何度も頭を下げて謝る彼女と別れ家に入っても、何も考えられず玄関で立ち尽くす。私が作ったからこんなにも拙いのか。汚いと思い、見ることが堪え難いと感じたのか。
過去の自分の作品を見て恥ずかしくなったりするが、最初に見たとき感じたのはそういうことだったのだ。多分、もの作りを始めてから間もない、かなり初期のものなのだろう。記憶はないが、この出来ならきっとそうだろう。それにしても、自分の作ったぬいぐるみが動くとはますます不気味ではないか。
継兎が私を好きなのは言動から理解出来る。これは自惚れではなく、確信だ。でも問題はそこではない。先程の彼女の言葉、ご主人からとても愛されているぬいぐるみ。つまり、私も継兎を好き、ということである。正気ではない。このへんてこなぬいぐるみを好きとは思えない。そもそも作ったことすら覚えていないのだから仕方ない。
そこまで考えてふと思い出す。一気に現実に引き戻されたようだ。
「もう、動かないんですか?」
手の中のぬいぐるみに目を向け出した声は、自分でも驚くことに何故だか掠れていた。相変わらずぐったりしたそのぬいぐるみは、ただの、普通のぬいぐるみだ。
当然動く気配などない。
「ずっと、一緒だったんですかね」
思わず下を向き小さく呟けば、気配がした。手の中のぬいぐるみではない、別のものの気配。
「ご主人。どうしました」
突然の声にばっと顔を上げれば、眼前には継兎と同じ声音を発する、銀髪の彼女がいた。いろいろありすぎて処理しきれない。これは一体何なのだ。どういうことなのか、頭が働かない。混乱している私を横目に、銀髪の彼女は私の手元を見る。
「あれ、わたしひなたぼっこで綺麗になってるはずなのにちょっと汚くありませんか。というか、糸解れてます。もしかしてご主人、私がいないのを良いことに乱暴に扱ってましたか」
人間のように見えるが、声音は感情の起伏が乏しく感じる。継兎のように喋るその様子に、困惑しない方がおかしいだろう。
「継兎」
試しに、名前を呼んでみる。
「はい、なんでしょう」
答えるのは手にしたぬいぐるみではなく、目の前の銀髪の彼女。継兎が連れて来た、あの人形である。
「誰」
口から出たのはただ一言、率直な感想である。
「だから、継兎です」
彼女はむっとしたように言った。そんな不服そうな態度をされてもこちらも困る。私だって理解出来るものならしたいのだ。だが出来ない。だから心底困っている。
「継兎はこれ、です」
私が手にしているものを突き出せば、彼女は首を傾げた。
「知ってます。これもわたしです」
また、意味の分からないことを言う。
でもそういえば、この人形を持ってくる時もそんなことをぶつぶつ言っていたような気もする。
「わたし、干された時に言いました。ずっと干されてるとつまんないしご主人のそばにいれないので、ひなたぼっこ飽きたらお人形になってますって。ご主人は最後まで聞かずに部屋に戻ってたみたいですけど」
自身を継兎だと名乗る人形は、酷いですとぼやいている。
「つまり?」
私は彼女の言いたいことが全く分からず結論を促した。
「つまり、兎のぬいぐるみも、この銀髪の女性の人形も、どちらもあなたの継兎です」
「いや全く分からないんですが…」
この銀髪の女性―継兎が言うには、ぬいぐるみと人形が同一人物だというのだ。そもそも人物という表現も合っているかは分からないのだが、言い始めたら切りが無いのでもう気にしないでおこう。
「とりあえず戻りますね。そっちの方がご主人は慣れてますし」
彼女はそう言うなり、玄関からリビングの隅―いつも銀髪の彼女を置いている場所―に移動した。移動理由は、玄関で変わると私が彼女を定位置に動かすことになって大変だろうから、らしい。一緒にそこまで行けば、彼女の動きがぴたりと止まる。もはやそこに“生”は感じられない。代わりに私の手の中で、動くものがある。
「どうです、ご主人」
ぬいぐるみが、動き、喋る。
これで分かりましたかと言わんばかりにこちらに顔を向けているが、全く何が何やら、である。
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