9.製作者

「もうこんな時間…」

辺りは既に暗くなっていた。洗濯物の事を思い出し、外に出て取り込んでいく。

そこでふと、1本のハンガーが目に留まる。何も掛かっていない。外に出ているハンガーには全てものが掛かっていたはずだ。今唯一自分が取り込んでいないもの、それは普段洗濯なんてしないものだった。


「継兎…?」


継兎の姿が、ないのだ。あれは動くぬいぐるみだ。自分でどこかに行った可能性だって大いにある。遠慮がちに声を出してみる。

「継兎」

耳を澄ましても、何も感じ取れない。反応はない。もしかしたら少し散歩でもしているのか。家の周りにゆっくり目をやる。


すると、前方から人が走ってくるのが見えた。長い髪、スカートがひらめくのが分かる。女性だ。そして何かを手にしている。それは、この世で一番私と会話をしているであろうもの。

「すみません!この子!」

女性は一直線に私の方へ走りながら大きく声を発した。この子、というのは手にしている継兎のことだろう。私の前まで来た女性は、ぐっと両手を突き出して来た。正確には、両手で持っている、継兎を。

「近所の子達が、この子を持ってて、この子どうしたのって、聞いたら…」

一生懸命走って来たのだろう。肩で息をしながら話す女性。額にはうっすら汗が滲んでいる。


「変なのがぶら下がってたから取って来た、って。だから、ちゃんと持ち主のところに返さなきゃって。それで、持って来たんです。お化け屋敷からとってきたんだって言うから、きっとここのことだろうと思って…本当に、すみませんでした」

女性は深々と頭を下げた。

やったのはその近所の子達なのだから、別に自分が謝る事はないだろうに。

それにしても、人の家の洗濯物を勝手に持っていくとはいくら子供と言えど許されることではない。面倒なのでわざわざその子供のことを聞いて家に行き咎めるなんて気もないが、今後継兎を洗うことがあれば気をつけた方が良いかもしれない。


「わざわざ、ありがとうございます」

そう言って彼女の手から継兎を受け取れば、いつもの感覚がなかった。今にも動き出しそうな感覚。体はぐったりしている。ただのぬいぐるみだ。いや、それが普通なのだ。動くことがおかしいのだ。それなのに何故だろう。

「あの、どうかしましたか?」

受け取ったままじっとぬいぐるみを見ている私に女性が声をかける。何か思う事でもあるのだろうか。

「特に何もないですが」

この場合、何もないことが問題とも言えるが、事情を知らない女性にそれを言っても無意味だ。それこそ変人扱いされて終わりだ。

「この子が戻って来たのに、なんだか悲しそうです」

「悲しそう?」

「はい」

「私が?」

「はい」

悲しそう、の意味を少し考えてみる。もしかしなくとも、継兎に“生”を感じない事だろうか。私はそれが悲しいのか。そもそもぬいぐるみの“生”とはなんだ。自分でも分からない。

「あ、もしかしてどこか壊れてましたか!?縫い目とかこんなに…」

「いや、これは元々で」

彼女は私の沈黙を別の意味で捉えたらしい。壊されたと思われても仕方ないと思えるくらいの見た目なのだと再認識した。確かに少し糸の解れはあるものの、戻せないようなものはない。少しの解れはあるが大丈夫だと言えば、彼女は申し訳なさそうに再度頭を下げた。

その後改めて継兎をじっと見つめる。

「もしかして手作りですか?」

「はい。あ、いえ、多分」

ぼーっとしていて思わず彼女の言葉に肯定してしまったが、これが手作りかどうか確信はない。こんな既製品ないとは思うのだが、だからといって祖母がこれを作るとも思えないのだ。あまりにも拙すぎる。もちろん他の可能性だってある。あの場所にあった手作りのような稚拙な出来のぬいぐるみ、一番に考えられる可能性はどう考えても一つだ。むしろそれしかないとすら思う。そんなこと私が一番分かっている。ただ、考えないようにしているだけなのだ。


「すごいですね。きっとこの子、一生懸命作ってもらったんですね」

「そう、ですかね」

「絶対そうですよ。それに、世界に二つとないなんて、それってすごいことですよ。ぬいぐるみ大好きな私には分かります!この子は“ご主人”にとってもとっても愛されてるんですね。それにこの子も、きっと“ご主人”が大好きですよ!」

「…」

彼女の言葉に衝撃を受けた。まだ彼女なりのぬいぐるみ論を展開しているが、そんなもの全く頭に入って来ない。まさか継兎以外からあの単語を、呼び名を聞くとは思わないだろう。そして彼女の言葉で、考えないようにしていたことに思考が巡る。

正直、おもちゃ箱を開けて見つけたあの瞬間から、なんとなくそんな気はしていた。祖母があんな稚拙な作りのぬいぐるみを作るはずが無い。あの部屋は私と祖母が一緒に過ごした部屋。

そんなの、普通に考えたら答えは一つだろう。


「やっぱり、私なんですね」


私が継兎を作ったのだ。

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