6.愛された証

あれからあのぬいぐるみを継兎と呼ぶようになった。

もちろん、向こうはといえば相変わらずである。

「ご主人」

リビングの隅にある作業台で趣味の工作をしながら、この呼び名に慣れてしまった事に溜め息が出た。彫刻刀で木材を削りつつ、声を発するそちらを向けば、継兎があの銀髪の人形の周りをぐるぐると回っていた。

「お洋服、ほしくないですか」

誰の、なんて聞かなくても分かる。銀髪の彼女にたいしてなのだろう。今も服は着ているのだが、ただの赤色のジャージである。綺麗な人形だから何を着せても綺麗だろうなんて思った。

「服を買え、と?」

「作るに決まってます」

その返答に、なんとなく嫌な予感はしていた。

「一応聞きますけど、誰が?」

もうほとんど聞く意味もないのだが、一応聞くだけ聞いてみた。

「ご主人が」

予想通りの回答である。

「却下」

すぐさま拒絶した。

「なんでですか。服だって作れるくせに。ケチ」

私は服を作れるなんて言ったことはないし、継兎の前で作ったこともない。それなのに作れると確信があるのは私が小さい頃からいろいろ作ったりしているのを見ていたからだろうか。裁縫自体は出来なくはないが、わざわざする気は毛頭ない。


「そもそも彼女の好みが分からないです」

もうやり取りも面倒なので適当なことを言えば、継兎は「確かに好みは大事です」なんて言っている。いや私が本気でそれを気にしているわけがないだろう。それにちゃんと好みがあって、それが分かったところで、当然作る気はない。ケチで結構だ。こちらの労力を考えたことがあるのか。もちろん無いのだろう。

「ちなみにご主人、女性がどんな服着てると嬉しいですか。ご主人の好みは」

思いもよらぬ方向からの攻撃である。何故自分の好みを聞くのか、銀髪の彼女の好みに関係があるのか疑問だ。

「ない」

速答したが、これは本当の事だ。そもそも、そういった概念がなかった。

「どんな服でもかわいいってことですか」

「いや…まあ、そうですね」

投げやりに返事をしてふと思う。私は何を律儀にこんな馬鹿げた質問に答えているのか。それもぬいぐるみの質問にだ。最初に動いて喋る継兎を見た時も、そこまで驚かなかった。もちろん全く驚きがなかったわけではないが、普通ならもっと驚くものじゃないだろうか。小さい頃にも、何かこれと似たような経験があった気もする。それはいつ、なにとの会話だったのだろう。

「ご主人」

思考の渦に吞み込まれていた時、いつの間にか作業台まで上っていた継兎の声で我に返った。そして、継兎をじっと見てみる。やはり何度見ても不格好な汚いぬいぐるみである。それがきっと客観的かつ一般的な感想だ。そう思うのだが、なんというか、このぬいぐるみといると変な感じがするのだ。懐かしい感じというか、でも単純にそれだけではない気がする。


小さい頃の記憶なんてものは、たとえ全然覚えてなくとも、ただ昔のことで忘れているだけかもしれない。でも何か忘れてはいけなかったとても大切なものもあるかもしれない。その忘れている記憶の中にしか答えはないのだから、大切なものだったかどうか、なんて分からない。

「ご主人、なんだか難しい顔してましたよ」

継兎はそう言いながら私の手に触れていた。というより長い手でバンバン叩きまくっている。綿が詰まった手で叩かれても痛くはないが、その行動自体についてムカつきはする。

「ぬいぐるみには分からないような深いことを考えてただけです」

そう言って継兎の長い手を払いのけると、心外だと言わんばかりに声を上げた。

「それを言うなら人間だってぬいぐるみの気持ちは分かりません」

継兎の意見は確かに正論ではあるのかもしれない。でもそれは、ぬいぐるみの全てが継兎のように動き、喋り、意思を持っているなら、の話だ。

「人の気持ちだって汲み取るのが難しい時があるのに、何に反応もないものたちの気持ちなんて分かるわけがないでしょう」

思わず溜め息が出た。こんなやり取りをしている自分に呆れる。しかも話し相手はぬいぐるみ。

「それは理解しようとしてないからです。動物とだって会話出来ないじゃないですか。それでも“ご飯が食べたいのかな”“具合が悪いのかな”って理解しようとしてるから機微にも気付けるんです」

継兎はぬいぐるみと思えないくらいしっかりした意見を言うことがある。

正論であるとも言えるが、ぬいぐるみと動物を同列に語るのもどうなのか。


「じゃあ聞きますけど。君たちを理解しようとしたら機微に気付けると?その意思がこちらにあれば、少しでも動いて喋って意思疎通してくれるんですか?」

継兎は予想通り黙ってしまった。それはそうだ。もし今の言葉の通りなら、純粋な心優しい子供とは意思疎通出来てしまうではないか。そうなればぬいぐるみと一人で遊ぶなんてことではなく、本当にぬいぐるみと会話をする子供が出てきてしまう。

こんなこと言いたくはないが、それは不気味だ。親からしたらその子供の言動は人形の髪が伸びた、とかそういった類いのもので恐怖すら感じるかもしれない。

「それでも、大事にしてくれて、お出掛けはいつも一緒で、可愛がってくれたんです」

継兎が思いの外しょんぼりしていて、何だか私がいじめたみたいな空気だ。本当のことを言っただけだというのに。


空気を変えようと何か別の話題を探すが、そんなもの簡単に出てくるはずもない。

「それで、そんなに汚いんですね」

継兎の言葉に対する感想しか出て来なかった。その一言でこの空気が変わるはずも無く、言葉の選択を間違えたかと更に別の言葉を探す。

だが、結果的にこの言葉選びは正解だったらしい。

「わたしは汚いって言われるの意外と好きです。いろんな境遇の子がいるので、汚い子のみんながみんな幸せとは言えないと思いますけど、愛されている子程汚かったりします」

先程よりも声が明るくなっているのは明白だった。

「つまり?」

私の催促に、更に弾んだ声が耳に届く。

もしかしたら今までで一番の嬉しそうな声だったかもしれない。


「わたし、めちゃくちゃ愛されてました!」

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