5.名前
喋って動くぬいぐるみと共同生活を始めて数日、こんな日常にも既に慣れてきたそんなある日の事だった。
「いつになったら名前を呼んでくれるんですか」
リビングのカーペット上でごろごろしているぬいぐるみは明らかに不満げに声を上げた。
「そもそも、名前知りませんし」
素直にそう言えば動きを止め愕然としているぬいぐるみと目が合った。多分。
「名前、知らない…」
「自己紹介とかしました?していませんよね。逆に、それで知っていたら怖いでしょう」
「こわい…」
束の間の沈黙があったが、すぐに声がした。
「じゃあ、今、つけてください。ご主人」
「あの、まずその“ご主人”っていうのやめませんか?」
もう何を言っても無駄そうではあるが、この主従感が凄過ぎる呼び名はどうにかしたい。
「そんなことよりわたしの名前です」
私にとっては全くもってそんなことで済む問題ではない。
だがこうなっては名前を付けるまで他の事には聞く耳持たず、なのだろう。たった数日と言えど一緒に過ごしたのだ。何となくではあるが性格は理解しているつもりだ。
「文句言っても受け付けませんよ」
ほんの少し考えて、口を開いた。
「継ぎ接ぎの兎のぬいぐるみなので
本当に適当に付けた名前だった。ぱっと思いついたから、それだけ。ただ、その割にはちゃんとした名前を思いついたなとも思う。
そんなぱっと出てきた名前だが、思いの外すごく喜ばれた。人だったら嬉しさのあまり泣いているのでは、というレベルでの歓喜である。「やっぱりご主人はご主人ですね」と、そう言われた。
「そういえば、私の名前については聞かないんですね」
私がぬいぐるみの名前を知らなかったように、ぬいぐるみも私の名前を知らない。自己紹介なんてしていないから当然だ。あれだけ名前名前と言っていたわりに、私の名前には一切興味が無いらしい。聞いて欲しいわけではないのだが、何となく釈然としない。
「いいんです。ご主人はご主人なので」
「はい?」
継兎と接し始めてから何度目かの変な声が出た。全てこのぬいぐるみのせいである。当然と言えば当然だが、一人の時はこんなに感情の起伏などなかった。
「聞いても意味がないんです」
いや、なかなかに酷いことを言っているのだが、継兎はそのことを理解しているのか。つまり私の名前には意味がないということか。もう継兎の中では私の名前はご主人で決定らしい。
「ご主人の名前はご主人です。わたしにとって、これが全てです。この名前は何よりも意味のあるものです」
追い討ちをかけるように放たれた言葉に、何も理解が出来ず、もう何も言う気にならなかった。
ただ一つ分かったのは、今後も私はずっとこのぬいぐるみのご主人なのだろうということだ。
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