第18話 織田信長 2
織田信長は、非常に頭の切れる男だった。それは秀吉とそう差も無いほどであったが、秀吉は出自が農民であった為、天下統一後の行動はあまり褒められたものではない。その反面、既に天下統一を実質的にしていた信長は、大名の出であるだけあって
、気性は荒いものの、愚行はしていない。
信長を非情な男だと思った人の、初めの勘違いから、非情だと思う人々への思想に繋がったのだと私は思う。前回書いた敦盛の歌と同じであり、彼を非情だと思った最初の人は、90%以上の確率で、比叡山焼き討ちをしたから、そう思ったのであろう。
しかし、信長は簡単に決断を下したのでは決してない。我慢を何度もした結果、そうしなければ天下統一は出来ないと思ったから、敢えて命令を下した。そうしなければ勝てないと、秀吉も思っていたはずであるが、言葉には出せなかった。仮にあの時点で、秀吉が大名でも、その命令は出来なかったと言える。
明智光秀は信長に対して、それを止めようとしたが、代案は無かった。
昼間には農民のふりをしながら、夜になると比叡山に立て籠もり、織田軍は多くの犠牲を出した。
誰かがしないと天下統一は出来ないままである事は、誰の目から見ても明らかであったが、敢えて、悪役を買って出たのは信長だけである。彼はその片鱗を多く残している。誰かに好かれようとも思わず、平和にする為に天下統一をしようとしていた。
それには比叡山焼き討ちは、通らなければならない道であった。
今の日本の自衛隊に似ている。兵器は多く抱えていたが、自分からは攻めようとせず誰からも攻められないようにしていたが、その軍事力は非常に強力であった。
信長は色々優れた面があったが、反面では気性の荒さが目立っていた。しかしカリスマ性もあり、賢く、部下たちにも慕われていた。
何かを成し遂げるのは簡単な事では無い。しかも200年も続いて更に悪化していく世の中を、平和に導くのは、非常に難しい道のりだったであろうと言える。
そして多くの人間は意味も無い肩書を求める者であるが故、逃げて来た、足利義昭を京までの道にいる敵を倒して、足利義昭を京に帰した。
そして足利義昭は、その功績に対して、肩書を与えようとした。しかし信長にとってそれがどれほど意味の無いものか知っていた為、辞退した。足利義昭は功績に対して肩書が低いから辞退したと思い込み、更に上位の肩書を与えるよう命じたが、信長はそれも当然辞退した。
この事により、足利義昭は信長が自分の地位を狙っているのだと、勘違いし、本願寺や松永久秀、朝倉、浅井など面々に信長包囲網を敷き、助けてもらったにも関わらず敵対した。
信長は現実を見ていた。しかし、足利義昭は武田や上杉にまでも助けを求めた。武田家のミスのひとつにあったのが、あまり知られてはいないが、武田の大船団を戦いに投入しなかった事も、信長を軽視してはいなかったが、そこまで強いとは思わなかった事があげられる。
実際、武田の攻勢で徳川家は多くの将兵を失っていた。信長は鉄砲で一気に片付けるつもりでいた為、援軍要請に対して、鉄砲が集まるまで援軍を出さなかった。
徳川家は一枚岩であり、三河武士は最強だと言われていた。それは家康は部下を大切にしていたからでもある。
信長は武田家を殲滅させた後、徳川家に対して、鉄砲隊を組めるまで、武田家を防いでくれた事に対して、犠牲に対して金を送った。それは失ったものを遥かに上回るほどの額であったが、家康としては、部下の命を、金に変えられた事に対して、完全に納得はしなかった。
信長は天下統一への道を切り開いた人物であり、誰もが避けて通る道を、戦国時代で唯一全ての恨みを背負う覚悟で、比叡山を焼き討ちした。
真の英雄には色々なタイプがいる。分かりやすい人は英雄と云われ、理解しにくい人は悪人とされるのが、世の常である。だからこそよく知る事が大切なのである。
それは今を生きている私たちにも言える事である。
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