第73話 罠

 夕食の時間。イザベラとクレアたちの会話は弾んでいた。


「では、イザベラ様はあと二週間はこちらに滞在する予定なのですね」

「はい。父が、勉強になるから小麦の種まきを手伝ってきなさいと言うんです。本格的なシーズンに入るまではこちらに滞在する予定です」


「素晴らしいお父様ね」


 レーヌ男爵の姿が思い浮かんで、クレアの顔はつい綻ぶ。


「父が私に課す課題は、変わったものが多くて……勉強が遅れてしまうのが少し心配ですわ」


 イザベラはそう言いつつも、ニコニコ笑っている。レーヌ家の懐かしく温かい雰囲気に、クレアはなんだかホッとする。


「イザベラ嬢の家庭教師は何という先生だ」


 答えを知りつつも、ヴィークが聞く。


「ここ……二ヶ月ほどはおりません。殿下もご存知の通り、レーヌ男爵家の評判はあまりよくなくて」

「だったら、たまに王宮に来ると良い」


 ヴィークの答えに、クレアはつい声が大きくなる。


「そうね! 私の部屋は離宮にあるから、気にすることないわ。王立学校が終わった後で良ければ一緒に勉強をしましょう。帰りは転移魔……いえ、きちんと送るから心配ないわ!」

 

 つい、転移魔法で送る、と言いそうになったクレアは慌てて誤魔化す。クレアが珍しくはしゃいで過ごしている姿を、ヴィークと側近たちは微笑ましく見守っていた。


「ほ、本当ですか……、クレア様……」

「ええ」


 クレアは、隣席で恐縮と感激に打ち震えるイザベラの手を握る。


 一方で、一人蚊帳の外のシャーロットはテーブルの端からイザベラを睨みつけていた。


(なんなの、あの子。ヴィーク様は私に声すらかけてくれなかったのに、あの子は会話の中心になっているわ。どういうこと!)


 自分以外の誰かを中心として進む夕食の風景は、シャーロットの心の奥底から13歳を迎えるまでの鬱屈した感情を思い起こさせ、嫉妬心を煽るのに十分だった。



 ―――――



 翌日。


 日中、ヴィークはキース、ドニと一緒に領主のところに話を聞きに行き、クレアはイザベラを誘って湖の周辺を散策し、楽しい一日を過ごした。


 イザベラはすっかりクレアに心を許した様子で、二人は本当の姉妹のようにさえ見える。


 翌朝早くカルティナを発つことになっているクレアはイザベラと離れるのが惜しかったが、イザベラがウルツに戻った後にレーヌ家を訪問するという約束を交わした。


 そして一日を終えた一行は、カルティナの街のメインストリートにあるレストランで夕食を済ませると、イザベラを送り届けてから屋敷に戻ったのだった。



 帰宅直後のサロンでは、めずらしくヴィークがシャーロットに声をかける。


「シャーロット嬢、少し向こうで話さないか」


 側近たちとディオンは視線こそ動かさないものの、主君と彼女の会話に意識を注ぐ。クレアだけは心配そうにヴィークのほうを見た。


「……ヴィーク様……! もちろん!」


 イベント到来、とばかりにシャーロットが立ち上がる。


「少し外すぞ」


 ヴィークは微笑んでクレアの髪を軽く撫で、ロビーを出て行った。勝ち誇ったような表情でクレアを見下ろしながら、シャーロットがそれに続く。


 二人が出て行った後、少し間を置いてからキースとディオンが廊下に出た。


 サロンから廊下へと続く扉が閉まった後で、リュイが言う。


「心配しなくて大丈夫だよ。ヴィークにも考えがあるはず。加護はかけているから安心して」


 シャーロットの表情がツボにはまったらしいドニも、笑いながらクレアを元気づけるように続ける。


「そうそう。ヴィークはあれでも一応切れ者の第一王子で通ってるんだよ? キースとディオンも見張ってるし、大丈夫!」

「そうよね……」


 クレアは、こくんと頷いた。


「ヴィーク様に誘っていただけるなんて、本当にうれしいです!」


 シャーロットははしゃぎながら扉を閉め、ソファに座る。ヴィークがシャーロットを案内したのは、サロンからロビーを挟んで反対側にある応接間だった。


 シャーロットが閉じた扉を再度開けなおしたうえで、彼女の向かいに座ったヴィークは言う。


「……貴女がパフィート国に来た本当の理由を聞いてもいいか。アスベルト殿下に知らせたところ、彼は酷く驚いていて謝罪を受けたが」


「だって、お姉さまに会いたかったんです! ……マルティーノ公爵家では私は虐げられていましたが……それでも私のただ一人のお姉さまですもの」


 俯いて話すシャーロットの言葉は、芝居がかっている。


「だからと言って、誰にも相談なしで『扉』を使うとは軽率すぎるな」


「それは本当にごめんなさい……でも、私には味方なんて……相談する相手すらもいなかったんです。国には居場所がなく、婚約者のアスベルト様も形ばかりのものですわ。だから、誰か私のことを分かってくれるとうれしいなって」


 健気なヒロインを演じるシャーロットに対し、ヴィークの表情は固い。


「そうか。それで、この国で分かってくれる人は見つかったのか」

「ええ。とてもカッコイイ攻略対象……ではなく、王子様に出会いました! 彼は私の運命の人です!」


(……!)


 シャーロットの言葉に乗る魔力に気が付いたヴィークは、さらに追い打ちをかける。


「俺が、貴女の運命の人だと?」

「そうなんです、ヴィーク様!」


 シャーロットは、立ち上がって無理やりに彼の手を握る。ヴィークは、敢えて不敬だとは言わなかった。その手は青白く発光しているように見える。


「……クレアお姉さまは敵ですわ。お姉さまを追い出して、私のことをその場所に置いてください!」


 シャーロットは言葉に白の魔力を潜ませたうえで、手を握ってだめ押しの洗脳を仕掛けたはずだった。一瞬、ヴィークの表情が緩んだように見え、シャーロットの願望は成功したように思えた。



「……だからと言って、友好国の王位継承権を持つ者に白の魔力で洗脳を仕掛けるとは、感心しないな」



 シャーロットの耳に聞こえてきたのは、身が凍るような冷たい声だ。


 ヴィークが一瞬緩んだように見えたのは、こんなに稚拙な手段が通用すると思い込んでいるシャーロットへの憐みだった。ヴィークはシャーロットの手を振り払って立ち上がる。


「……えっ? どうして……」


 シャーロットは呆然としている。


「シャーロット・マルティーノ嬢。貴女は自分が今何をしたのかさえ理解していないのだろうな。これは、重罪だぞ。相手がパフィート国の第一王子とあっては、頼みの綱のアスベルト殿下も口出しは許されない。そのことを、よく理解しているのか」


「そんな……私は……ヴィーク様、何かの間違いです」


 シャーロットは、自分の力を知らな過ぎる分、過信もし過ぎていた。この世界のヒロインであることに加えて、持っている魔力の色はこの世界で今存在が確認されている最高ランクのもの。


 その自分を退けられる存在があるなんて、思いもしていなかった。


 加えて、彼女はこの人生では攻略済みのアスベルトに洗脳を仕掛けることはしていなかった。さらに、不勉強なばかりに高位の魔力の色で捻じ曲げられない良質な加護の存在を知らない。


 だからこそ、この場でヴィークに躊躇なく洗脳をかけようとしたとも言えた。


「キース」

「お呼びですか、殿下」


 開いたままの扉の向こうからキースが顔を見せる。


「至急、国王陛下に知らせを。準備が整い次第、クレアの力で王宮に戻る」

「御意」


「待って……私は本当に何も知らないわ! 洗脳なんてしてない! ヴィーク様が何か見間違ったんじゃないかしら!」


 ヴィークは、シャーロットの声がまるで聞こえていないかのように振る舞う。


「ディオン」

「はい」

「出立の用意が出来るまで、彼女についていろ」

「御意」



 応接間を出たヴィークはキースと共に広いロビーを抜け、クレアたちがいるサロンへ向かっていた。


「……キース」

「なんですか、殿下」


 ヴィークの傷ついたような表情に気が付いたキースは、この場にそぐわないのんびりした声色で返事をする。


「俺は……わざと隙を見せてこの状況を作った。酷いと思うか」


「二国間の平和、そして未来の王妃殿下のためだろう。それに、遅かれ早かれこうなっていた。……シャーロット嬢の魔力に干渉する口実を作るには、どう考えてもこのタイミングがベストだ。俺でもそうするよ」


 キースは、高貴な弟分の背中をポンと叩いた。





 サロンに戻ったヴィークから事の顛末を聞いたクレアたちは、すぐに帰城の準備を始めた。


(まさか……シャーロットがヴィークに白の魔法を使おうとするなんて)


 クレアは怒りで手が震え、荷物整理がなかなか進まない。


「クレア、大丈夫? 手伝うよ」


 一足先に荷造りを終えたリュイがクレアの部屋に姿を見せる。


「リュイ……ありがとう。ごめんなさい……急がないといけないのは分かっているのだけれど、手が震えてしまって」


 さっきまでの楽しい時間が、クレアにとっては嘘のようだった。


「ヴィークなら心配ないよ。絶対に、私が保証する」


 リュイの力強い言葉に、クレアはこくこくと首を縦に振る。


「でも、シャーロットに……私は結局何もできなかったわ。一年前からやり直したっていうのに! なんて無力なの」


「……本当に何もできていないと思う?」

「リュイ?」


 リュイがクレアに怒ったような表情を向けるのは初めてのことだった。


「今、パフィート国とノストン国の間には強固な繋がりができつつある。クレアは気が付いていないかもしれないけれど、それは全部ヴィークじゃなくてクレアの功績だよ」


 震える手を押さえるために組んだままのクレアの両手を痛いほどに強く包み込んで、リュイはさらに続ける。


「私はクレアが見てきた世界を知らないけれど、確実にこのいい流れを作ったのはクレア。ニコラ嬢の留学を後押ししたのも、アスベルト殿下の協力を得られているのもね。だから、何も無駄になってない」


 怒りに見えたリュイの瞳の色は、彼女がヴィークを叱咤激励するときのものと同じだった。卑屈になり過ぎていると指摘を受けたクレアはハッとした。そして、前を向く。


「リュイ、ありがとう。……ごめんなさい。こんなことを言わせてしまって」

「主君には内緒だよ。拗ねそうだから」

「ふふっ、そうね」


 リュイはいつものクールな表情に戻って言う。


「落ち着いたら一仕事あるけど、平気?」


「ええ! 旅行に連れてきてもらったんだもの。しっかり役に立つわ!」


 クレアは、やっと震えが収まった両手を握り締めた。

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