第72話 休暇

 クレアは、扉として描かれた魔法陣の中央に倒れていたシャーロットを転移魔法で自室に運び、ベッドに寝かせた。


「ディオン、ヴィーク達を。……でも忙しいだろうから、報告だけでいいわ」

「了解! 少し待ってて」


 ディオンはヴィークに状況を知らせるため執務室へと向かう。

 クレアはベッドの傍らの長椅子に腰掛け、眠ったままの妹の顔を見つめた。


(さっき、魔力の流れを見てみたら反応がなく空っぽだったわ。念のため、もう一度リュイに見立ててもらった方がいいとは思うけれど……きっと、ほとんど訓練していないのに扉を使ったことで魔力を使い果たしてしまったのね)


 状況からして、シャーロットが勝手に『扉』を使ったことは明白だった。


(まだ、正式にアスベルト殿下との婚約が解消されたわけではないのよね。ということは、卒業パーティーに出られなくて自暴自棄になって出てきてしまったのかしら)


 クレアがシャーロットの境遇に思いを巡らせていると、話を聞いたヴィークが駆け込んできた。側近たちも一緒だ。


「クレア、大丈夫か」

「ヴィーク! ごめんなさい、忙しいのに。妹は眠っているし、私は何ともないわ」


「少し見せて」


 リュイがベッドの側に膝をつき、シャーロットの白い手を取る。クレアたちは、固唾を呑んでその様子を見守った。


「……魔力の反応が微弱だね。魔力を使いすぎて気を失ってるんだと思う。彼女は『白』だよね? それなら、すぐに目覚めそうではあるけれど」


 リュイの見立てはクレアと同じだった。


「では、目覚め次第、ノストン国に送り返すか」


 キースの提案に、ヴィークが首を振る。


「実は……今日の夜から、ニコラの両親であるウィンザー公夫妻が内密にノストン国を訪問する予定なのだ。公務ではないからほとんどの者は知らないが。……娘の良き友人であるアスベルト殿下に会ってみたいということでな」


「それは……彼女とウィンザー公を歓迎する一行が王宮で鉢合わせしたら面倒なことになるな」


 キースの不安は当たっている。ノストン国王家にとって、アスベルトとシャーロットの婚約解消は避けられないという認識だった。しかし、マルティーノ公爵家の強い魔力が国を立ち行かせるために不可欠という考えは変わらない。


 シャーロットを側室として置くのが手っ取り早いが、それではマルティーノ公爵家の名誉を傷つけることにもなる。しかし、シャーロットの性格を考えると聖女などの特別な職業に就くことも難しいとアスベルトは判断していた。


 一方で、ノストン国王家は第一王子と親しくしているパフィート国の王族であるニコラが後釜に収まってくれることを期待している。


 とはいっても、一年の間に二度の婚約解消をしている王子が相手ではウィンザー公側も首を縦に振るはずがない。その意味で、今回の『友人の両親』としての私的な訪問は、両家の関係の試金石ともなるものだった。


「想像したくもないわ……」


 シャーロットがニコラのことを自分の立場を脅かす敵として判断しているのは明白だった。


 そのニコラの両親が、『アスベルト殿下の良きご友人の家族』としてノストン国王家に招待されているということを知ったら。それを考えるだけで、クレアは青ざめる。


「……お姉さま?」


 それは、久しぶりに聞く妹の声だった。クレアが驚いてベッドのほうを振り向くと、シャーロットが目を開けていた。


 ……が、シャーロットはクレアを見てはいない。視線は宙を泳ぎ、クレアの後ろにいるヴィークを映していた。


「お姉さま……あの方は誰? アスベルト様よりかっこいいわ!」

「シャーロット……」


 さっきまで気を失っていたとは思えないシャーロットの発言に、クレアはため息が出る。


「こちらの方は、パフィート国の第一王子であるヴィーク殿下よ。貴女が勝手に扉を使ってしまったから、今後の対処について検討中なの」


「勝手に……って、王子様の前で人聞きが悪いです! クレアお姉さま。ただ、お姉さまに会いに来ただけなのに……」


 大袈裟に肩を落として泣きそうな素振りを見せるシャーロットに、ドニが笑いを堪えきれずくるっと後ろを向く。


 何も言わないヴィークを不自然に思ったクレアは、後ろの様子を窺う。さっきまでクレアに向けられていた優しい視線が嘘のように彼の瞳は冷たい。クレアが見慣れている第一王子のそれとも違った。


 以前、クレアはリディアから『これまでヴィーク殿下はどんな令嬢も側に置いてこなかった』という話を聞いた。


 王立学校や普段の人当たりの良さを思うと信じがたかったが、いま目の前で彼の冷たい瞳を見て、こういうことなのかと納得する。


「……キース、ドニ。後は頼む。……リュイとディオンはついてこい。話がある」


 ヴィークはシャーロットを軽く一瞥すると、側近たちに目配せをしてから二人を伴って寝室を出て行った。



「クレアお姉さま、ヴィーク様は人がお嫌いなのかしら?私に声をかけてくださらなかったわ!」

「シャーロット。そういう問題ではないわ。『扉』を勝手に使うなんて、侵略と思われて捕らえられてもおかしくはないことをしたのよ、あなたは」


 クレアは長椅子から立ち上がり、シャーロットの顔をのぞき込んで諭す。しかし、彼女はどこ吹く風だ。


「あんな素敵な王子様がいるなんて……卒業パーティーに出られなかったのはこのためなのね! これから楽しみだわ! バカンス代わりに来て本当によかった!」


「想像以上だね、これは……大丈夫、キース?」

「……」


 ドニの囁きに、キースは目を見開いたまま無言でふるふると首を振ったのだった。





 ヴィークはクレアの部屋を出て、隣室であるディオンの部屋に入った。


「これから、国王陛下に相談のうえノストン国王とアスベルト殿下に急ぎの書簡を送る。対応についてはその結果次第だが……恐らく、数日はパフィート国に置く必要が出てくるのではないかと思う」


 リュイもディオンもそのことは予想していたらしく、頷いた。


「さっき、わずかに体内に残っていた魔力を見たけれど、現時点でそんなに対処が難しいわけではないよ。恐らく、魔術をあまり学んでいないのと、精霊とのやり取りがうまくいっていないんだと思う。普通は、いくら洗礼を受けたばかりでも『白』なら扉を使ったぐらいで気絶しない」


 リュイは、暗にシャーロットが精霊に好かれていないことを示していた。基本的に、洗礼式を終えれば固有の魔力の色に応じた力を精霊たちは貸してくれる。


 が、洗礼式を終えた瞬間から勉強もせず悪いことにしか魔法を使っていないシャーロットは、本来の力を発揮できない状態になっているようだ。


「魔法を悪いことばかりに使ってそうだもんね、あの子は」


 ディオンはいつもの爽やかな表情だったが、クレアと二人でいるときとは違い、瞳に鋭さを感じさせる。


「彼女の魔力は、速やかに干渉できるようにするべきだ。ベストなのは、魔力竜巻が発生してクレアの本当の力がノストン国に知られる前に実行することだな。だが……クレアの心情やシャーロット嬢の白の魔力を頼りにするノストン国との関係を考えると、今この場で禁呪を使うことは望ましくない」


 一目会っただけでシャーロットの愚かさを理解したヴィークは、危機感を増していた。彼の懸念を理解したディオンは言う。


「シャーロット嬢には僕がつくよ。いざというときの許可を、殿下」

「ああ。必要があれば躊躇することなく禁呪を使え。外交問題に発展しても、俺が責任を持つ」

「御意」


「リュイ、カルティナにはシャーロット嬢も連れて行くぞ。目の届くところにいてもらった方が安心だ。シャーロット嬢の滞在中、リュイは俺ではなくクレアにつけ」

「御意、クレアのことは任せて」



 ―――――



 翌日の夕方、クレアたちはカルティナにいた。


「王都ウルツから半日で行けるところにこんなに素敵な場所があったなんて! 収穫期は、さらに絶景でしょうね!」


 クレアは目を輝かせる。


「ああ。次はその時期に来るか」


 前日、遅くまでかかって書類仕事を片付けたヴィークは少し眠そうだ。


 見渡す限り、一面の畑。


 これから種まきの時期に入るため、土はどこを見てもフカフカに耕されている。


 カルティナは、貴族たちの別荘や商店などがまとまってある湖のほとりを除けば、ほぼ全域が小麦畑だ。高地に位置することに加え、あまりにも敷地が広大すぎて、地平線までの一面すべてが農地だった。


「パフィート国は広いけれど、ウルツの近くにも観光地はいろいろあるんだよ」

「聞いたことはあったけれど、こんな規模だなんて! ほかの観光地にも行ってみたいわ」


 リュイの言葉に、クレアは心が躍る。今回は心配の種を一緒に連れての旅になってしまったが、もっとこの国のことを知りたいという思いで胸がいっぱいだった。


「本当にきれいですねぇ。一面のあの茶色、心が震えて涙が出そうです。さて、畑は見たし、お姉さま早く行きましょうよ」

「キミは本当にすごいね」


 シャーロットの抑揚のない声に、ドニが楽しそうに相槌を打つ。遊び慣れているドニでも、彼女の性格は新鮮らしかった。


 一行は王都ウルツを昼過ぎに出た。ヴィーク達は私的な旅行に馬車はあまり使わない。この旅でも、馬に乗れないクレアはリュイの馬に、シャーロットはドニの馬に乗せてもらっていた。


「今回の旅は3日間だが、湖のほとりにある王家の別荘に滞在するぞ」

「王家の別荘に泊まるなんて、楽しみ! アスベルト様には連れて行っていただいたことがないもの! ……お姉さまはありますよね!」


 ヴィークは初対面以来、ずっとシャーロットを完全に無視しているが、彼女はそれをものともしない。


 しかもシャーロットはヴィークとクレアの関係に気が付いているらしく、二人がぎくしゃくしそうな話題をあえて振る。


「それは子供の頃の話よ。……大きくなってからは招待を受けたことなど一度も」

「だろうな」


 心配するな、と言うかのように優しい視線を向けるヴィークに、クレアは微笑んだ。そんな二人を見て、シャーロットは歯ぎしりをする。


(この王子様のこと……よく知らないけれど、絶対に攻略対象よね! なんでお姉さまのほうが仲が良いの? どこかで間違った!?)


「周辺にはほかの貴族たちの別荘もある。別荘地と呼ばれるだけあって、メインストリートは王都ウルツにも見劣りしないなかなか華やかな街だぞ」


 ヴィークの発言を受けてリュイが言う。


「昨日手配した時点では、いくつかの別荘は滞在中みたいだった」


「じゃあ、挨拶に来ているかもしれないな。領主に話を聞くのは明日にして、とりあえず王家の別荘へ行くか」


 キースの言葉に、一行は頷いて出発した。


 王家の別荘は、歴史を感じさせるアンティークな佇まいだった。当然のことながら、敷地は周辺の貴族たちの別荘の数倍以上だ。


 ただ闇雲に新しい建物を造るわけではなく、昔ながらの良き姿を残して修復しながら大切に使われている様子を感じて、クレアは感動した。


「素敵なお屋敷ね。懐かしい感じがして落ち着くのに、丁寧に管理されていて古さを感じないわ!」

「パフィート王家は基本的にケチだからな」


 ヴィークは得意げだ。


 到着してサロンで休憩をしていると、玄関で呼び鈴が鳴った。しばらくして、執事が扉を開けて顔を出す。


「お隣の屋敷に滞在中の、レーヌ男爵家のご令嬢が殿下へご挨拶にいらしています」


(……レーヌ男爵家!?)


 クレアは、驚きで危うくティーカップを落とすところだった。


「レーヌ男爵家の令嬢というと……たしか、イザベラ嬢だったか」

「ああ。ヴィークもだけど、俺達もまだ会ったことがないな」


 ヴィークとキースの会話を聞きながら、クレアは口元を押さえる。どきどきと、心臓の音が大きくなった。


 クレアは、レーヌ家に家庭教師として採用されてからの一週間を思い出した。


(そうだわ。たしか、イザベラお嬢様はこの時期に別荘地で休暇を過ごされていたはず……!)


「クレア、レーヌ男爵家って」


 ディオンがシャーロットに気を配りながらクレアに囁く。シャーロットは広いサロンの中をはしゃぎまわっていて、会話が聞こえる距離にはいない。


「私が、一度目の人生で家庭教師をしていた男爵家よ。イザベラ様は、私の生徒」


 クレアの呟きに、シャーロットを除いた全員が驚き入る。


「失礼いたします」


 そこに、クレアにとってとても懐かしい、少女の声がした。



「イザベラ・レーヌと申します。この度はお目にかかれて光栄にございます」



 紅潮した頬に、切れ長の美しい目。恐る恐るヴィークの手を取って挨拶をする彼女は、たしかにイザベラだった。


(王家主催の夜会に参加するのでさえ怖がっていたのに……一人できちんと挨拶に来て、本当にえらいわ)


 二度目の人生では叶わないと思っていたイザベラとの再会への嬉しさと、まだ13歳の教え子が努めて立派に振る舞おうとしていることに、クレアは涙腺が緩みそうになる。


 目を潤ませているクレアに気が付いたヴィークが、イザベラに言う。


「初めまして、イザベラ嬢。俺はヴィークだ。もしよかったら、夕食を一緒にとらないか」

「……! こ、光栄でございます」


 返答とは真逆に、イザベラの表情には戸惑いが見える。きっと、挨拶を済ませたらすぐに緊張から解放される予定だったのだろう。


 ぷるぷると震えているイザベラの姿に我慢しきれなくなったクレアは一歩前に出て優しくイザベラの手を取り、少し屈んで視線を合わせる。


「イザベラ様、私はクレア・マルティーノと申します。夕食までの間、一緒にお話ししませんか。……詩集はお好きでしょうか」

「は、はい。好きです」


 二人のやり取りに、ヴィークは満足気だ。


「イザベラ嬢、彼女はノストン国の名門、マルティーノ公爵家の令嬢だ。仲良くするといい。……クレア、この屋敷内には図書室があるぞ。自由に使え」


「ヴィーク、ありがとう」


 クレアは、満面の笑みを返した。

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