第71話 訪問者

 王立貴族学院の卒業パーティーを間近に控えたある日、アスベルトはマルティーノ家を訪ねていた。


 アスベルトが側近のサロモンと共に通されたのは、応接室ではなくシャーロットの二間続きの私室だ。この私室には魔法を制御する術がかけられているものの、謹慎期間を過ごすには快適で豪華すぎる。


 オスカーの怒りを目の前で感じたはずのアスベルトは違和感を覚えたが、最近のマルティーノ公爵家では、当主のマルティーノ公と後継ぎのオスカーの間に確執があるらしいことも同時に耳に入っていた。


 シャーロットの育て方を間違ったと嘆きつつも結局は甘く持て余し気味のマルティーノ公の姿が、この部屋一つで浮き彫りになっている。


 シャーロットの支度が整うまでの間、アスベルトは窓の外に見える庭に目をやる。寒い時期が終わりに近付き、庭には少しずつ春の気配が漂い始めていた。


(幼い頃、この庭でクレアと遊んだことがあったな)


 ノストン国の名門公爵家として君臨し続けるこのマルティーノ家のことを、王家は代々重用してきた。きっとそれはこれからも変わらないが、これからアスベルトが告げようとしている言葉は、間違いなくこの名門の歴史を傷つけるものだった。


「アスベルト様、お久しぶりです! お待たせしてごめんなさい!」


 奥の部屋から出てきたシャーロットはなぜか派手なドレス姿だった。まるで夜会に着ていくようなゴージャスなつくりのドレスに、アクセサリーもそろえて化粧までしている。とても謹慎中には見えず、アスベルトは不快さを隠せない。


 一緒に出てきた侍女も決まりが悪そうにする様子はなく、自分の主人が謹慎中であることをすっかり忘れているようだ。


 一体どういうことだ、と怒鳴りそうになるのを堪えて、アスベルトは聞く。


「どうしたのだ、その恰好は」

「王立貴族学院の卒業パーティー用に、新しく作ったのです! いかがですか?」


 くるっと回ってはしゃぐシャーロットに、アスベルトはため息をついた。


「シャーロット。君は謹慎中だろう。今度の卒業パーティーに出るつもりでいるのか」


「もちろんですわ! だって、殿下の卒業パーティーですもの! 私は病気で療養中ということになっているのでしょう? 回復したと言えば、問題なく出られますよね!」


 自分がしでかしたことの重みが分かっていないシャーロットに、アスベルトは頭痛がしてくる。ノストン国王家とマルティーノ家の関係に思いを馳せ、これから口にする言葉をためらっていた自分が馬鹿らしくなった。


「シャーロット。君が卒業パーティーに出るというなら、エスコートはサロモンにさせるがよいな?」

「……! ど、どういうことですか? アスベルト様はお休みですか?」


「そうではない。私は、ニコラ嬢と共に行くつもりだ。君はもうすぐ明けるとはいえ、一応謹慎中の身だろう。もしどうしても出るというのなら止めないが、私はエスコートしない」


「そ、そんな……。おかしいわ! だって、アスベルト様は私の婚約者よね!? ニコラ様に何か言われたのですか? ……許せない!」


 シャーロットの愛らしい瞳がつり上がり、醜悪な表情に変わった。シャーロットの性格の悪さはアスベルトも把握していたが、現れた本性は予想以上だったことに些かショックを受ける。


 しっかりと根回しが済むまでは彼女をあまり刺激しない方がいいと判断したアスベルトは、方向を転換した。


「大国・パフィートの王族であるニコラ嬢がいるのに、相応の地位の者がエスコートしないわけにはいかないだろう。期せずして、婚約者である君はお妃教育の序盤中の序盤にいる。私の婚約者として夜会に出るには、まだ足りないだろう」


 アスベルトは、アンのお妃教育から逃げ続けたシャーロットの行動を暗に批判していた。


「でも……卒業パーティーは……嘘……どういうことなの……」


 卒業パーティーはアスベルトルートのメインイベントだと思い込んでいるシャーロットは放心している。


「こちらの部屋には魔法を無効にする術がかかっています。あまり愚かなことはお考えになりませんように」


 シャーロットは無表情で言うサロモンを睨みつけた。


「シャーロット。何も、今すぐに婚約を解消しようというわけではない。ただ、もう少し君の資質を見極める必要があると言っているだけだ。……お妃教育への取り組みも含めてな」


「そ、そういうことですか……アスベルト様! ごめんなさい、私、勘違いをしていました」


 婚約解消ではない、という言葉だけを都合よく切り取って理解したシャーロットには笑顔が戻る。この世界はすべて自分のためにある、そう思い込んでいるからこその愚かさだった。


(そうよね。私はヒロインだもの! ……でも、アスベルト様の口ぶりからすると、休暇中にあのおばさんのところに連れて行かれそうで嫌だわ。……そうだ!)


 可憐そうに見える表情を取り繕いながら、シャーロットはもっともアスベルトが実行してほしくない悪事を思いついた。



 ――――



 その、3時間前。


 アスベルトは、王宮で国王陛下に面会していた。

 

「国王陛下。今度の王立貴族学院の卒業パーティーですが、私は婚約者のシャーロット嬢ではなくパフィート国からの留学生であるニコラ・ウィンザー嬢をエスコートしたいと考えています」


 息子の意外な宣言に、ノストン国王は目を見張る。


「本気か。……悪くはないが……」


 マルティーノ家への配慮を口にしようとした国王だったが、言葉が続かない。国王も、随分前からシャーロットの立ち居振る舞いについて懸念しているところだった。


「ニコラ嬢は次期生徒会長であり、全生徒の手本となる令嬢です。シャーロット嬢は現在病気療養中ですし、第一王子としてニコラ嬢とともに出席するのが妥当かと」


 アスベルトは、国王の後ろに控えるマルティーノ公に目配せをする。


「そ、そうですな。殿下のおっしゃる通りです。マルティーノ公爵家としても、賛成いたします」


 シャーロットが病気療養中ではなく自宅謹慎中だということを知っているのは、王立貴族学院のごく一部の人物だけだ。アスベルトの配慮で首の皮一枚つながった状態のマルティーノ公は同意することしかできない。


「そうか。ではアスベルト、お前が好きなようにするがいい」

「御意」


 アスベルトが頭を下げるのを目を細めて眺めた国王は、マルティーノ公に告げる。


「……マルティーノ公。この後の予定を確認してきてくれるか」

「承知いたしました」


 彼が執務室から出て行くのを見届けた後で、国王はアスベルトに聞く。


「ニコラ・ウィンザー嬢をエスコートしたいというのは、地位を気にしてのことだけか」


 予想外に突っ込んだ質問に、アスベルトの思考は止まった。


「……。私は……この国の未来のために、最善の道を選びたいと思っています」

「ほう」


「今はなぜか、私が心の奥底で願っていることがこの国の最善の道と重なっていて……正直に申し上げると、混乱しています。ですが、個人の感情で動いているわけでは決して」


「そうか。よく分かったぞ。……励むがよい」


 こうしてアスベルトは、シャーロットとの婚約解消に向けて動くことについて実質的に許可を得たという格好になったのだった。





 翌週、王立貴族学院の卒業パーティーは盛大に執り行われた。


 アスベルトは望み通りニコラをエスコートした。予想外の組み合わせに、出席した貴族からは病気療養中のマルティーノ公爵家の令嬢を気遣う声も聞かれたが、それ以上に二人を称賛する声の方が多い。


 アスベルトの、ニコラを選びたいという国王陛下へのアピールは成功した。



 ―――――


「この休暇中、カルティナへ行かないか」


 執務室で、書類に囲まれたヴィークが言う。机に積まれた書類があまりにも大量すぎて、顔が見えない。


「それはいいな。……でも、この書類が全部片付いたらな、ヴィーク」


 捌ききれない新たな書類を補助机に置きながら、キースが呆れている。


「カルティナって、あの有名な農業地帯の?」

「そう。自然に恵まれた、小麦畑が広がる地域。広く知られた別荘地でもあるよ」


 クレアの質問にリュイが答える。


 ノストン国の王立貴族学院より少し早く、パフィート国の王立学校は休暇に入っていた。今日も、クレアは午後から教会の聖女のところで癒しの魔法を学ぶことになっている。その前に、ヴィークの書類仕事を手伝いに来たのだった。


「ごはんはおいしいし、景色はきれいだし、視察と休暇を兼ねていくのにはちょうどいい場所だね! さんせー!」


 ドニの言葉に、ヴィークは頷く。


「ああ。休暇もいいが、昨年は農作物が不作だったからな。領主からは報告を受けているが、一応この目で見て確認しておきたくてな」


 クレアは、彼らの会話に耳を傾けつつ、少しだけ残念な気持ちになる。本音では自分も一緒に行きたかったが、公務ということであれば同行が叶わないのは分かり切っていた。


「クレアはカルティナ、はじめてだね」


 リュイの言葉にクレアは顔を上げる。


「私も……一緒に行っていいの?」


「もちろんだ。私的な旅行だぞ、これは」


 うず高く積まれた書類の向こう側からヴィークの声が聞こえた。


「……うれしい! ありがとう」


「ヴィーク。クレアがすっごく喜んでるよ。瞳がキラキラ! 書類で見えなくて残念だね」


 ドニがヴィークをからかう。


「この顔が見られないのは、この書類の決裁を待っている人たちからの罰でしょ」

「その前に……まず、休暇中に終わるのか、この量」


 リュイとキースも続ける。


 ヴィークが抱えている仕事量は、恐ろしく莫大だ。優秀さを知っているからこそ、こうしてプレッシャーをかけながらスピードを上げさせて一気に書類仕事を片付ける、というのが側近たちの方法だとクレアは知っていた。


「……」


 書類の山の向こうからは、何も聞こえない。カリカリというペンを走らせる音が、心なしか少し速まった気がする。


 クレアと側近たちは顔を見合わせて、笑った。



 ―――――



 教会で聖女からの魔法講習を受け終わったクレアは、離宮の自室へと帰ろうとしていた。しかし、ふと気になる気配を感じて足を止める。


「ディオン……何か感じない?」

「そうかな? 僕は分からないけれど」


 そこは、魔術師たちの詰め所となる部屋の前だった。


(もう皆帰っている時間だけれど……この違和感は何かしら)


 魔術師の部屋は二つあり、一方にはパフィート国とノストン国を結ぶ『扉』が設置されている。クレアが気になるのは、この『扉』が設置されているほうの部屋だった。


(これは……微かな魔力の気配?)


 恐る恐る、クレアは扉を開ける。


「……!? どうして……!」





 そこには、異母妹が倒れていた。

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