第74話 ヒロインの行き先

 クレアの転移魔法を使って一行が王宮に戻ると、もう夜だというのに城内は騒がしかった。


「ここって……パフィート国の王宮よね? どういうこと!?」


 ディオンの魔法によって眠らされていたシャーロットは、術を解かれて目を覚まし、わめいている。


「ヴィーク殿下! お早いお帰りで……! 先程、ノストン国王と第一王子が『扉』で到着したと聞いています」


 王宮の入口にヴィークの姿を見つけた衛兵が、慌てて知らせに走ってくる。


「やはりそうか。至急、謁見の間に」


 ヴィークの囁きにクレアは頷いて、そのまま飛んだ。




 ピリピリとした緊張感に包まれながら謁見の間に入ったクレアは驚く。


 そこには、ノストン国王とアスベルトだけではなく、父であるマルティーノ公や兄オスカー、聖女アンまでもが揃っていたからだ。


 夜間に報告を受けてすぐにこの面子で訪問するとは、ノストン国が今回の件をどれだけ重大視しているかが分かる。


(ノストン国としては絶対に失敗は許されないということね。でも、確かにその通りだわ)


 ヴィークの後ろ、ディオンとシャーロットの隣に並んだクレアの目には、酷く青ざめた顔色をしているノストン国王とアスベルトが映った。


 クレアは、マルティーノ公爵家の一員としてすぐにでも謝罪の言葉を口にしたかったが、この場ではそれが許されないことを十分に理解していた。


「ヴィーク。……我が国の第一王子であるお前に洗脳の術をかけようとしたというのは、その令嬢か」


 ヴィークと同じ瞳の色をしたパフィート国王が問う。


「はい。確かに、この目で確認しました」


 予想通りのヴィークの返答に、ノストン国王が項垂れた。


「パフィート国王……我が国の者がこの度は本当に申し訳ないことを……。どうお詫びしたらいいのか」


「待って! 確かに、少しだけ魔力は使いました。でも、私の意思じゃないわ。頼まれたんです!」

「シャーロット!」


 突然弁解を始めたシャーロットをクレアは止めようとする。しかし、発言の許可を得るまでは話してはいけないことも知らない彼女は、止まらない。


「レーヌ男爵家のイザベラって子に頼まれたんです! 王家との繋がりを作りたいから、ヴィーク様の心を動かして取り入るチャンスを作って欲しいと。二人でお話する機会を作るぐらいなら、と思いましたが、次第に要求がエスカレートしてきて、私怖かったんです……。それに、クレアお姉さまではヴィーク様を守れませんわ。だから、私が一時的にお守りしようと」


「なんと……」


 ノストン国からの一行の中で、マルティーノ公だけは真偽を確かめたいような素振りを見せているが、ほかは誰一人としてシャーロットの言い分を信じる様子がない。


「彼女はまだ13歳だぞ。何を言うんだ」


 ヴィークが軽蔑したような冷たい声色で返す。


「あ! そうだったわ!……」


 自身の不名誉をレーヌ男爵家とイザベラに押し付けようとするシャーロットの言い訳には、洗礼を迎える年齢のことがすっぽり抜け落ちていた。


 シャーロットの鈴を転がすような声は彼女の自慢だったが、それが仇となる。この場にいるすべての者たちには、シャーロットが自分の都合よくヴィークを洗脳しようとしたこと、そしてレーヌ男爵家に罪を擦り付けようとしたことが伝わった。


 パフィート国では、王家への反逆は非常に重い罪に問われる。王位継承順位の最上位に君臨するヴィークヘの洗脳は、たとえ未遂であっても下手を打つとオズワルドやミード家と同等の処分を受ける可能性があった。


(もし、ノストン国側がシャーロットを庇おうとしたら、ノストン国にとって最悪の結果になるわ)


 状況を見守っていたクレアは、意を決して進言する。


「……ノストン国の国王陛下に、恐れながら申し上げます」

「クレア嬢か」


「妹は……シャーロットは、本当にノストン国にとって必要な存在でしょうか」

「クレアお姉さま!? どうしてそんなことを言うの!? そんなの……酷い……」


「シャーロット、陛下の御前です。口を慎みなさい」


 クレアはぴしゃりと言い放つ。シャーロットがヴィークを洗脳しようとしたことだけではなく、かわいいイザベラとレーヌ男爵家に罪を着せようとしたことにもクレアは酷く腹を立てていた。


 シャーロットの存在を無視して話は進む。


「……クレア嬢。マルティーノ公爵家の、我が国における役割を十分知っているだろう」


 ノストン国王は、はっきりと『シャーロットの力が必要だ』とは言わなかった。その歯切れの悪さに、決断を迷っていることをクレアは悟る。


「確かに、過去の歴史においてはそうだったかもしれません。しかし、適性のない者にその任を課すことは酷ではないのでしょうか。現に、妹はこうして勝手に隣国を訪れて重罪を犯し、国を窮地に追い込んでいます。マルティーノ公爵家の一員として、憂慮すべき存在です」


「だが、白の魔力を手放すことは……」


 ノストン国王が言わんとすることをクレアはよく分かっていた。強すぎる魔力を持つ者は、重用して出来るだけ側に置いておきたいのだ。反旗を翻し、クーデターを起こされないために。


「そうよ、私がいないとノストン国は大変なのよ? 国王陛下、お父様ぁ……お姉さまはすぐ私を……酷いですわ……」


 ノストン国王の迷いを察知したシャーロットは、すぐに歪みに取り入ろうとする。


 クレアには、この光景に既視感があった。


(そうだわ……あの、シャーロットが白の魔法を放った夜会でも似た光景を見た)


 自分の我儘を通そうとするシャーロットが、願いが叶わないと知ったときに、あれは起こったのだった。


 それを思い出したクレアは、不貞腐れるシャーロットの腕を掴んだままのディオンの瞳を覗き込む。事態は、もうギリギリのところまで来ていた。


「……ごめんなさい」


 その呟きは、ディオンにしか聞こえないほどの小声だった。しかし、すぐに理解した彼はニコッと笑って頷く。


「えっ……何なの?」


 ディオンはシャーロットの腕を掴んでいない方の手で彼女の手を握る。その瞬間、彼の瞳は赤く染まった。以前、雑談がてらディオンは、禁呪を使うときに見られるこの瞳の色の変化を「血の色」だと言っていた。


 それは純粋に、禁呪がミード家の長男しか使えないことに由来するものでもあったが、今では、没落したミード伯爵家が流させてきた罪の色だと言う。


 クレアはその色を再び目の前にして、不謹慎だと思いながらも美しいと感じていた。



 光も音も、何もなかった。



 ディオンの禁呪は、一瞬で終わった。


 こんなに静かなものなのかと、驚きすら覚えるほどに。


 目の前で行われた信じられない光景に、謁見の間では動揺が広がる。


「待て……今のはどういうことだ」

「彼は旧ミード伯爵家の跡取りだろう。まさか」


 この部屋にいるパフィート国の者たちは、ディオンが旧ミード伯爵家の一員で最後の禁呪の使い手だと知っていた。


「……えっ? 何が起きたの?」


 シャーロットはノストン国側の出席者たちと同様に、自分の身に何が起きたのか分かっていなかった。リュイが振り返って呆然としたままのシャーロットの手を握る。


 リュイの目配せに頷いたヴィークは、ノストン国王に向かって誘導を仕掛けた。


「陛下は、白の魔力を王家の管轄の元に置けない場合悪用される可能性がある、ということを最も懸念されていましたね」


 本音では『本人に』と付け加えたかったが、マルティーノ家の体裁を考えて飲み込む。


「ああ、そうだ。シャーロット嬢を手放すことは厭わないが、それが最も懸念すべきところだ」

「でしたら、もう問題ありません。今、彼女の魔力は極めて弱いものになったはずです」


「それは一体」


 ノストン国王の顔色が変わる。


「今、シャーロット嬢にはパフィート国の名門が持つ禁呪が使われました。古くから存在した、本来は国を守るための魔法です」

「なんと……」


「待って……。それ、どういうことよ! ……私……さっきから、なにか変なのよ!」


 青ざめたシャーロットが金切り声をあげる。自分に生じた違和感を分かっているようだ。


「失礼いたします」


 アンが両国王に一礼してシャーロットに近付き、震える彼女の手を握った。


「……ヴィーク殿下のおっしゃる通りよ……彼女の魔力は複雑に干渉されているわ」

「だから、それはどういうことなのかって聞いているじゃない!」


 シャーロットの質問には誰も答えない。マルティーノ公でさえ、白い顔をして立っているのがやっとの様子だ。


「聖女アン。……僕が生まれた伯爵家は、ノストン国のマルティーノ公爵家と同様に、古くは王家の傍流に行きつく名門でした。しかし、与えられた力や特権を正しいことに使えず、没落しています。相応の地位を与えられるものは、責任も同時に負うべきです」


 ディオンの言葉に視界が滲みそうになるのを、クレアは唇を噛んで堪える。そして、爽やかな好青年の思いがけない背景を知ったアンは優しく頷いた。


「貴方がおっしゃる通りですわ。……国王陛下。国民の安寧を願う教会としても、これは必要なことだったと同意します」


「ア……アン叔母様! 治してくれないの? このままじゃ私……助けて……」


 側で発せられるシャーロットの悲痛な叫びは、クレアがどうしても避けたかったものだ。ノストン国とパフィート国の友好関係を築くことと、シャーロットも含めた誰もが傷つかないことがクレアの望みだった。


 恐らく、後者はもう叶わないのだろう。しかしその反面、今真っ直ぐに踏ん張って立つクレアを支えているのは、彼女への怒りでもあった。


「シャーロット。あなたが正しい道に戻るチャンスは、これまでに何度もあったのよ。どうしてそれを……」


 怒りで言葉が続かないクレアの肩をアンが優しく抱く。


 クレアの様子を見たヴィークはパフィート国王に向き直ると、片膝をついた。


「国王陛下。今回、シャーロット嬢がとった軽率な行動の経緯には、私にも責任があります。今、十分に話はお聞きになったかと思います。彼女の処分は、元々彼女を更生させようと努力していたノストン国側に委ねるべきかと」


 事の成り行きを興味深く見守っていたパフィート国王が、ヴィークに似た余裕たっぷりの笑みを浮かべて言う。


「……フッ。そうか。そこが、お前の落としどころか」


「はい。今回の件は、私に一任いただいたものと認識しています」

「そうだったな。……好きにするがいい」

「御意」


「なんと……! お心遣い、どう感謝を申し上げればよいか……」


 シャーロットの処分をノストン国に委ねるということは、パフィート国王としては実質許したも同然だった。驚愕の知らせを受け、取るものも取り敢えず謝罪にやってきたノストン国王は恐縮しきりだ。


「私はどうなるの? お父様!」


 マルティーノ公は何も発さない。たとえ、パフィート国から許しを得たとしても、ノストン国内でのマルティーノ家の発言力が低下するのは目に見えていた。それどころか、国に帰れば、彼も責任を問われる立場だ。


「彼女は、私にお任せいただけますか。行き先は、王都ティラードから遠く離れた北の修道院が良いでしょう。シャーロットを立ち直らせるには、華やかな世界から離れて堅実さを知ることが必要です」


 アンの進言をかき消すように、シャーロットは叫ぶ。


「嫌よ! あんなところ! だって……魔法が使えなくちゃ、一生逃げられないじゃな……い……」


 アンは、優しくシャーロットのおでこを押さえる。シャーロットは目が虚ろになり、喋らなくなった。


「シャーロット!?」

「鎮静剤のようなものだから安心してね」


 急に静かになったシャーロットの姿に動揺するクレアに、アンが微笑んだ。



 ―――――



 謁見の間での話し合いを終えた後、クレアはノストン国からの一行を送るために魔術師の部屋に向かっていた。


「しかし……こんな時間に魔術師が常駐しているとは、パフィート国はさすがだな」


 アスベルトの言葉に、クレアは何も言わず微笑む。件の話し合いが長引いたせいで、すっかり夜半だった。


「来たときは、私の魔力を使ったんだけどね。ごめんね、急なことだったから、6人で帰るにはまだ足りないみたいなの」


 アンは、クレアに優しく語り掛ける。ディオンはついてきておらず、クレアは一人だ。中庭に面した回廊を抜けると、『扉』はすぐそこだった。


「国王陛下、アスベルト殿下、お父様。私は、皆様にお話ししなければいけないことがございます」


 クレアは重い口を開いた。


「ヴィーク殿下とのことであれば、知っているぞ。ともにパフィート国への道中を過ごしたではないか」


 ノストン国王に、アスベルトが同意する。


「ああ。今回、ヴィーク殿下が寛大な措置を申し出てくださったのは、シャーロットがクレアの妹だからだろう」


 兄オスカーも何か言いたげだったが、王族二人の前では自重している様子だ。マルティーノ公は放心したまま、そしてシャーロットは虚ろな目をして従順についてくる。


「いえ……そうではなくて……」


 思いがけず、暢気すぎる話題にクレアは赤面する。アンは柔らかい笑顔を浮かべてクレアの背中を優しく推す。今なら大丈夫、そう言ってくれている気がした。


「……母の……私たちの母の出身は、ノストン国ではありませんでした」


「それはどういうことだ」


 パフィート国に来てから一言も話していなかったオスカーが聞き返す。


「私は、15歳の誕生日に迎えた洗礼式で、マルティーノ公爵家の女傑としては到底認められない魔力しか受け取れませんでした。それは、……母が滅亡したリンデル国の王族の末裔だったからです」


「母上が……?」


 オスカーが息を呑む様子にクレアは緊張感を増す。しかし、ここで終わる訳にはいかなかった。深呼吸をしてから、さらに続ける。


「私も立ち寄ったリンデル島の聖泉で思いがけず洗礼を受けることになり、事の顛末を知りました。これまで黙っていて、本当に申し訳ございません。お兄様も洗礼を受けなおしてください」


 クレアが立ち止まって頭を下げた場所は、『扉』がある部屋の前だった。部屋の灯りは消えていて、当然魔術師は一人も残っていない。誰がノストン国へ送り届ける予定だったのかは、明白だった。


「つまり、クレアは淡いピンクではなく、もっと上位の色を授かっていると。……シャーロットが白だということを考慮すると、それ以上の色と!」


 クレアが恐る恐る顔を上げると、妹の裏切りに怒るかと思われたオスカーは、なぜか興奮していた。


「オスカーお兄様……?」


「パフィート国との国力の違いを考慮すると、ノストン国の公爵家出身ではヴィーク殿下の正妃には難しいのではと思っていたのだ。しかし、世界に二人といない魔力の持ち主ということになると……これは、かなり大きく前進したな」


「え、ええ……お兄様……」


 兄の予想外の反応に、クレアは狼狽えた。クレアの表情から硬さがとれたことを確認したオスカーは、もう一度向き直る。


「……クレア。前にも言ったが、きちんと伝わっていなかったようなので、もっと分かりやすくもう一度言う。私は、お前のことを高く評価し信頼している。今回も、しっかり立ち回ってくれた。クレアの判断なら、私は何も言わない。当然、過ぎたことについてもだ」


 兄の言葉に、クレアは涙腺が緩みそうになるのを堪える。許されたことで、泣くわけには行かなかった。


「……ありがとうございます。お母様のこと……今まで黙っていて……本当にごめんなさい」


「だが、洗礼は受けなおすぞ。私は騎士としての任には就いていないが、国の役に立てるかもしれない。結果が楽しみだ」


 告白を前向きに捉えてくれたオスカーに、クレアは救われた。


「となると、ヴィーク殿下が『扉』を設置したのはほぼノストン国のためだったのだな」


 アスベルトの問いに、クレアは頷く。


「もちろん、ニコラ様の留学が前提ではありましたが……答えは御察しの通りですわ。ノストン国で私の力が必要になったときにいつでも行けるようにと」


「パフィート国の第一王子は噂通りだな。一歩先を行く」


 ノストン国王もすっかり感心した様子だ。これでもしクレアがヴィークと婚約することになったとしても、反対を受ける心配はないだろう。


「私は……何も知らなかった」


 それまで放心状態で話が聞こえていないように思えた父の言葉に、クレアは固まる。


「自分の正妻が抱えていた過去も、クレアとヴィーク殿下がそこまで踏み込んだ関係であることも、何もかも。シャーロットのこともクレアに比べて劣るのは分かっていたが、天真爛漫さがあれば、殿下を癒すことができるだろうと。……私は浅はかだ」


 父親の沈んだ顔を目の前にしても、クレアは優しく慰める気にならなかった。


「お父様。今、私も同じことを思っています。私は、妹の本質について何も理解していませんでした。ただ、環境を整えて、気遣ってあげればいつかは思いやりある淑女になれるものだと思っていました。……今日を終えて、一体何が正しかったのかは正直分かりませんわ」


 クレアの瞳に映る虚ろな目をしたシャーロットは、数時間後には元に戻るとは分かっていても哀れだった。


「マルティーノ公。貴殿にできることは、ただ一つだ」


 話を聞いていたノストン国王が口を開く。


「……何でしょうか、国王陛下」


「家督と爵位をオスカーに譲るのだ。事の重大さを考えると、たとえ名門・マルティーノ公爵家といえども降爵は避けられない。しかし、すぐに引退し、オスカーに後を譲るのであれば不問とする。シャーロットの不祥事に関しても、あえて公にはしない」


「そんなことでよろしいのですか。我が……いえ、マルティーノ家のための寛大なご配慮、なんと感謝を申し上げれば」


 深く頭を下げる父に倣い、オスカーも深い礼をする。二人の最敬礼を見ながら、クレアはやっとこれで終わった、と感じていた。

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