第69話 この世界のヒロイン

 それからさらに数週間後。ノストン国では、ついにシャーロットが洗礼の日を迎えた。


 父ベンジャミンは空気を読まず、クレアに『妹の一大イベントなのだから扉を使って帰ってくるように』との手紙を出そうとしたが、クレアを気遣う兄オスカーによってめでたく阻止された。


 そこには、妹を思う気持ちが半分。残りは、大量に魔力を消費する『扉』を私用に使うことでパフィート国王家からの印象を悪くしたくないという配慮に占められていた。


 報告する手紙の文面にだだ洩れする兄の野望にクレアは笑うしかない。しかし、もしヴィークとの結婚が決まったら兄は大喜びするのだと思うと、家からの期待に応えたいと思っていた頃の自尊心が救われる気がした。


 一方、当のシャーロットは、予定通り白の魔力を手にした。


 国王陛下とマルティーノ公は大喜び。アスベルトも本来は喜ばないといけない立場だったが、なぜかショックを受けている自分に驚いていた。


(シャーロットが白の魔力を目覚めさせたことは、この国にとって喜ばしいことだ。にもかかわらず、このすっきりしない気持ちはなんだ)


 洗礼式後の夜会でシャーロットをエスコートするのを放棄し、会場の隅でアスベルトはふさぎ込む。


「アスベルト様! ここにいたんですね。みなさまに私のことを紹介してくださらないと!」


 アスベルトの姿をやっと見つけたシャーロットは、彼の腕に巻き付いて会場の中央へと引っ張ろうとする。しかし、無意識のうちに踏ん張るアスベルトは、なかなか動かない。


 今日は、シャーロットがアスベルトの婚約者の座に収まってから二回目の夜会だった。前回はクレアとの婚約解消からあまり時間が経っていなかったため、彼女には婚約者としての出席は許されなかった。


 というわけで、憧れの王子様のエスコートで羨望の眼差しを浴びられるこの日のことを、シャーロットはずっと楽しみにしていたのだ。


 できれば、目の上のたんこぶであるニコラに第一王子の婚約者である自分の姿を見せつけたい。しかし、彼女が出席すると主役を奪われてしまう。



 そこで、シャーロットはこっそり父ベンジャミンが管理していた招待客名簿に細工をし、ニコラの名前を消した。


 バレたときに父の立場が危うくなるのは容易に想像できたが、彼女には知ったことではない。姉も父もニコラも、国王やアスベルトですら、シャーロットには成り上がりの材料でしかないのだから。


「今日は……ニコラ嬢の姿が見えないようだな」


「ああ。そのことですか! ……キャロライン様に聞きましたわ。ニコラ様は私のように下賤な者の洗礼を祝う夜会には出たくないと言っていたと。私はニコラ様と仲良くしたいのに……何だかすっかり嫌われてしまって……悲しいです」


(……彼女は来ないのか)


 ニコラが出席しないことが少なからずショックだったアスベルトの耳には、シャーロットが発する言葉の後半が届かない。


 シャーロットが手にしているグラスは心なしか白く光っている。アスベルトが、ぼうっとしながら『こんなに光るグラスはこの会場で準備されていたか』と思ったとき、背後から大きな声がした。


「……シャーロット! 今日はおめでとう。これで、もっと教会に来てくれるようになるとうれしいのだけれど」


「ア……アン叔母様。ありがとうございます……」

「聖女アン。私の婚約者がいつも迷惑をかけて、申し訳ない」


 微笑みながら近づいてきたアンに、アスベルトは軽く頭を下げる。


「大丈夫ですわ。シャーロットが一筋縄では行かないことは予想していたことですし。……それにしても、シャーロット。早速なのね。びっくりしちゃったわ」


 アンの視線にシャーロットは不貞腐れて目を逸らす。


「殿下、こちらを」


 アンはアスベルトにスパークリングウォーターが入ったグラスを渡す。グラスには、細かい泡がしゅわしゅわと揺れている。


「お酒ばかり飲んでいると、酔ってしまいますからね」


 ニコニコと笑みを浮かべながら意味深に話すアンに、シャーロットは唇を噛んだ。



 ◇◇◇



 シャーロットは、13歳になったその日のことを細かく覚えている。朝起きた瞬間に、彼女に走った衝撃はそれまでの人生を大きく変えるものだった。


 冬の寒い朝。ベッドから体を起こすとシャーロットは違和感を覚えた。まるで、自分の体が自分でないような……いや、おかしいのは意識のほうだと彼女はすぐに思い至る。


「そう……この世界は、私のためのもの。どうして、こんなに重要なことを忘れていたの!」


 シャーロット。


 彼女は、クレアのように別の人格を内包した転生者ではなく、ただの性格が悪い乙女ゲームのヒロインだった。


 今日から始まるのは共通ルートだ。一年後の個別ルートへの分岐点に向けて、誰を攻略するかをじっくり決めていく。


 この『成り上がり♡ETERNAL LOVE』は攻略対象者が少ないぶん、ストーリーが長く充実していることで知られていた。


 そして、このゲームは少し特殊だ。ヒロインが14歳で個別ルートの攻略をスタートし、15~17歳で最初のハッピーエンドを迎えた後もしばらく話は続く。


 そして、成り上がった後のストーリーを十分に堪能してからエンディングを迎えるというスタイルが一部の層に受けているのだ。


 エピローグが終わった後、ヒロインは眠りにつくとまた13歳の誕生日に戻ることができる。そして、満足いくまでこの世界をループして楽しめるというしくみだ。


『成り上がり♡ETERNAL LOVE』がスタートしてから、シャーロットはヒロイン補正というものをはっきりと感じていた。


 たとえば、13歳を迎える前日、シャーロットは家庭教師に不勉強さを叱られた。


 叱られたとはいっても、出された宿題を全くやっていなかったところに、追加で課題を出されただけだ。『王立貴族学院に通うようになるまでに、ほかの令嬢方に少しでも追いつきましょうね』という優しい言葉を添えて。


 しかし、『成り上がり♡ETERNAL LOVE』というタイトルにぴったりの性格をしたヒロインのシャーロットは、素直に従うはずもない。彼女は、煩わしい家庭教師を追い出してやろうと、父ベンジャミンに告げ口をしたのだ。


「お父さま……私、家庭教師の先生に嫌われてしまったみたいなの。」

「なんと酷いことだ。では、クレアの家庭教師と交換してみようか。クレアは優秀だ。きっと、クレアの家庭教師に見てもらえたらシャーロットの学力も上がるはずだ」


 父からは、期待とは程遠い答えが返ってくる。


 クレアの家庭教師が出す課題の量が自分に出されるものの数倍にもなることを知っていたシャーロットは、飛び上がって逃げかえったのだった。


 しかし、翌日。13歳の誕生日を迎えた瞬間、シャーロットは家庭教師の追い出しにあっさり成功した。


 朝食の時間、シャーロットがため息をついただけで、父ベンジャミンは『シャーロットにあの家庭教師は合わないな。暇を申し渡そう』と言ったのだ。


 それは、シャーロットの家庭教師がいなくなったことで兄レオが彼女の勉強を見ることになり、二人は接近しアスベルトルートへの布石を打つ……というシナリオに沿ったものだった。


 しかし、この偶然はシャーロットが『この世界でならどんな我儘も通る』と思い込むのには十分だった。


 また、シャーロットは姉の婚約者が第一王子であることが羨ましかった。姉に内緒で手紙を送ったり、お茶に誘ってみたりしたが、当然彼が来てくれることはない。


 しかし、13歳を迎えてゲームがスタートすると、アスベルトの対応は少しずつ変わっていく。手紙を送れば返事が来るようになり、偶然クレアが不在の時にアスベルトが訪ねて来て二人でマルティーノ家の庭を散歩するというイベントまで起きた。


 何でも思い通りになるし、どんな我儘でも通る。シャーロットはこの物語のヒロイン補正についてそう理解していた。


 しかし、シャーロットにも初めての困惑が訪れる。それは、14歳の時点でアスベルトの婚約者になったときだ。


 当時、彼女はまだ共通ルートにいるはずだった。しかも、アスベルトの好感度が上がり切っていないのが目に見えて分かる状態だったにもかかわらず、最大の目的は達成されてしまったのだ。


 また、次兄レオに『クレアへの母からの手紙が保管されているらしい』という話を聞いたときもそうだ。


 完璧な姉を困らせたいという思いから父の書斎にある金庫のカギをこっそり二人で開けたが、空っぽの庫内にシャーロットは戸惑った。


 特に、手紙についてシャーロットはなぜか諦める気になれなかった。何か、ここが重要なターニングポイントであるような気がしてならない。


 父ベンジャミンにそれとなく聞いてみたが、繊細でない父は手紙の存在すら忘れていた。


 13歳になってゲームのシナリオがスタートして以来、シャーロットは思慮が浅い父に助けられることが数多くあったが、このときばかりは辟易した。



 ◇◇◇



 いつの間にか、夜会会場の隅にいるシャーロットとアスベルトの前には列ができている。今日は、華やかに洗礼式を行える数少ない名門であるマルティーノ公爵家の女傑が目覚めた日だ。


 しかも、彼女は第一王子の婚約者であり、時期が来れば王妃の座に就く。夜会の出席者たちは、未来の国王陛下と王妃殿下に挨拶をしないわけに行かなかった。


 その列に軽く会釈をしながら、アンは柔らかく微笑んで去っていく。


 貴族たちが自分を最も丁重に扱うべき存在として傅く。それは待ちわびた光景のはずなのに、シャーロットは笑顔が歪むのを抑えきれなかった。


(あのおばさん……油断できないわ!!)


 シャーロットが不満そうな表情を浮かべていることに気が付いたアスベルトは、周囲に気付かれないように配慮して囁く。


「……この場で話すことは許さない。ただ笑っていろ」

「……!!」


 意味を理解したシャーロットは、屈辱で顔がかあっと熱くなった。


(大体にして……今はハッピーエンドの後の糖度高めのストーリーを楽しむ時期のはずよね!? どうして、面倒な王妃教育を受けたり王子様に邪険に扱われたりしなきゃいけないのよ!)


 一つ、このヒロインについて補足がある。


 クレアの一度目の人生。本来のシナリオでは、ヒロインがアスベルトルートでハッピーエンドを迎えた後の婚約者クレアは、北の修道院に向かって行方不明になる予定だった。


 しかし、実際にはクレアはシナリオに逆らって北へ向かわず、パフィート国を目指した。


 二度目の人生。未来を知り、明確な意思を持って行動するクレアの存在は、それだけでシナリオの異分子だった。


 シャーロットが今歩んでいるこのストーリーは、あらかじめ用意されたものとは完全に別物になっている。

 クレアが北の修道院に向かわなかったことがきっかけで、いつの間にかシャーロットはヒロインではなくなっていた。




 シャーロットに、エピローグは永遠に訪れない。

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