第68話 大国の王族

「ヴィーク。アスベルト殿下から手紙が届いたの!」


 誤解を生じさせかねないクレアの言葉と表情に、ヴィークは複雑そうな顔をする。


「……何が楽しみなのか」


 ヴィークの表情に気が付かないクレアは机の引き出しから手紙を取り出すと、弾むような足取りで彼のところまでやってくる。そして、無防備に間を空けず、ソファにぽすんと座った。


 いつの間にか、ヴィークは窓からではなく離宮の玄関からやってくるようになっていた。


 夕食後にクレアがディオンと雑談を楽しんでいると、決まってヴィークがやってくる。初めは三人で会話を楽しむものの最終的にはディオンが気を遣って退出させられる、というのがいつもの流れだ。


「見て! ニコラ様は楽しく過ごされているみたい。生徒会でも多数の生徒の支持を得て副会長に就任されたと。……さすがね」


 クレアがうれしそうに広げる手紙を、ヴィークはちらと見る。ニコラが留学してから一週間。それは、ニコラが留学して以来初めて送られたアスベルトからの近況報告だった。


「アスベルト殿下は、いつもこんなに長い手紙を貴女に送ってくるのか」


 ヴィークは面白くなさそうにして、隣に座るクレアの肩に手を回す。回した手でそのまま手紙をサッと奪うと、クレアに顔を寄せて手紙を覗き込んだ。


 手紙の枚数は7、8枚。手にすると、明らかにしっかりとした厚みがある。


「……今回は特別なのよ。ニコラ様のことをたくさん書いてくださっているの」


 急な接近に頬を赤らめたクレアは、声が小さくなる。そして、うっかり間を空けずに座ってしまったことを少しだけ後悔していた。


 ヴィークは、クレアを抱き締めるでもキスするでもなく、ただ自然に彼女を腕の中に抱えている。


 想いを通じ合わせてからしばらくは彼もぎこちなかったが、今ではすっかり慣れたものだ。最近は恥ずかしそうにしているクレアの表情までを楽しんでいるようにさえ感じられる。


「しかし、確かにニコラのことばかりだな。しかも、ほとんど褒めちぎっている」

「そうでしょう。アスベルト殿下がここまで人を褒めるのってあまりないことなのよ」


 彼のことをよく知っているけれど、と付け加えようとしてクレアは止める。これ以上ヴィークに焼きもちを焼かれると、なんとなく自分のためにならない気がした。


「ところで、シャーロット嬢はそろそろ洗礼式を迎えるのか」


 ヴィークが自然と会話を別方向に持って行ってくれたことにクレアは安心しつつ、その問いに気持ちが落ち込む。


「……ええ。もうすぐよ。でも、ニコラ様は上質な加護がかけられるでしょうし、魔力差を考えても大丈夫だとは思うのだけれど」


 一度目の人生では外交儀礼のために加護がかけられなかったが、今回ノストン国にいるニコラは留学生だ。ニコラの身の安全に関しては問題ないように思えた。


「そうか。……シャーロット嬢が暴走するきっかけになるようなことは今のところない。安心しろ」


 穏やかな低い声でヴィークは言い、クレアの頭をぽんぽんと撫でた。




 ―――――



「ニコラ嬢、何か困っていることはないでしょうか」


 一日の授業が終わった後の生徒会室。アスベルトの問いに、ニコラは手にした書類から目を離し、首を傾げて微笑む。


「何もありませんわ。いつも気にかけてくださり、本当にありがとうございます」


 ノストン国の王立貴族学院にやってきてから約一か月。ニコラは、クレアやアスベルトの期待通りの成果をあげていた。


 成績はトップクラス。生徒会の副会長にも就任し、ほかの貴族子息・息女たちからの大国・パフィートの王族への憧れも相まって、ニコラは絶対的な地位を築きつつあった。


 パフィート国の王立学校では、ヴィークに良く思われたい・ほかの令嬢を近づけたくないという感情から暴走が目立っていたが、ここに従兄はいない。


 ニコラの頭には『留学生=クレア』という図式が植え付けられていることもあって、彼女は模範的な淑女そのものだった。


「そうですか。困ったことがあれば、いつでも相談に乗ります」


 アスベルトもニコラに微笑み返す。


「アスベルト様。明日はお休みなので、王宮に戻られますわよね! 私もいつも通りお妃教育の前に執務室に伺いますわ! 来週の洗礼式後の夜会で着るドレスを見てくださいませ」


 アスベルトとニコラの穏やかな会話に何かを感じたらしいシャーロットが、脈絡もない話題で会話に割り込む。


「……?」

 アスベルトの眉が不機嫌に上がったことにシャーロットは気が付かない。


 『王宮』『お妃教育』『第一王子の執務室』『洗礼式後の夜会で着るドレス』どれもシャーロットからニコラへのマウンティングワードだったが、自身が王族であるニコラは全く動じなかった。それどころか、意外そうな視線をシャーロットに向ける。


「そういえば、シャーロット様はお妃教育を受けているのね」

「そうよ! 私はアスベルト様の婚約者だもの」

「……もう少し頑張らないと、結婚式は永遠に執り行えませんわね」

「ニコラ様、どういう意味ですか! ……アスベルト様ぁ」


 シャーロットにじとっとした視線を向けられたアスベルトは、書類に夢中になっている風を装ってあくまで気が付かないふりをしている。ただ、もし反対にシャーロットからニコラに刺々しい発言があった場合はニコラを助けようと聞き耳を立てていた。


 無意識のうちにクレアのように立ち振る舞おうとしていたニコラだったが、大国の王族という背景によって育った我の強さは本物だ。


 普通の令嬢であれば上品にやり過ごそうとするシャーロットの嫌味や暴言も、完璧に打ち返して狼狽させる。ニコラが王立貴族学院でほかの令嬢たちから支持を集めているのには、そういう裏事情もあった。


 頬をふくらませアスベルトに媚びた声をかけるシャーロットに、ツンとして我関せずのニコラ。そして、婚約者を前に無になるアスベルト。

 そして、一歩引いて三人の様子を観察していたサロモンは、柄にもなく吹き出しそうになるのを堪えていた。


「……もう。私、失礼しますわ!

 ガタン、と大きな音を立てて椅子を立ち上がり、乱暴に扉を開けて生徒会室から出て行くシャーロットを横目で見ながら、ニコラはアスベルトに聞く。


「アスベルト殿下。シャーロット様は本当に大丈夫なのでしょうか? 今日、友人に聞いたところによると『ニコラ様をノストン国から追い出す会』なるものを発足させているみたいですが」

「何だと!」


 アスベルトは大国の王族であるニコラにはいつも丁寧に接していたが、ショッキングな報告に言葉を荒げた。


 急に口調が変わったアスベルトにニコラはどきんとしたが、悟られないように余裕たっぷりに答える。


「ちなみに、そのこと自体は別に問題ないですわ。私の後ろ盾は強力ですし、いざとなれば簡単にねじ伏せられますからご心配なく」

「……取り乱して申し訳ない。……しかしニコラ嬢、実際に何か嫌な目には合わされてはいませんか」


 アスベルトの表情からはさっきまでの穏やかさが消え、切迫感が浮かんでいた。小さい頃からあらゆる人物に傅かれ慣れているニコラの周辺には、ヴィークや兄たちを除いて彼女と同等以上の同世代の男性がいなかった。そのため、他国の王子であるアスベルトが自分を心配する姿が新鮮に映った。


「……特には」


「……それはよかった。実はニコラ嬢がこの国にやってくる前、シャーロットは自分と合わない令嬢に言いがかりをつけて、この学院を辞めさせようとしたのです」


 ため息交じりに話すアスベルトに、サロモンが同調する。


「あれはあれでなかなか見事な手管でしたけどね。しかし、いくらマルティーノ家の女傑といっても、洗礼式を終えていないのによくやりますね」


 まるで他人事のように話す二人に、ニコラは不快感を隠さない。


「……ヴィークお兄……いえ、パフィート国は、ノストン国との友好関係を築くのに本腰を入れているように思えます。諸外国の中で、関係を今一番重視しているのがノストン国ですわ。なのに、いくら王家にメリットがあるとは言え、彼女が将来の王妃殿下では不安すぎませんか」


 彼らの一番の不安をあっさりと言ってのけるニコラに、アスベルトは彼女に見入り、サロモンは固まる。


「確かに、貴女の言う通りだ」





 その日、自分の仕事をあっさりと終えたニコラは、アスベルトとサロモンに挨拶をすると寄宿舎に帰って行った。生徒会室に残された二人の間には、なんとも言えない空気が漂う。


「クレア嬢は、ニコラ様がシャーロット嬢に似ていると言っていたと聞きましたが。全く違いますね。むしろ、クレア嬢に……」


「そうだな。確かに、似ている」


 そう断言するアスベルトの瞳には、困惑とともに大国の王族に対する敬意とは違う感情が浮かんでいた。

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