第70話 彼女の困惑
シャーロットが洗礼式を終えてから一か月。
一日を終えた後、ヴィークは側近たちをキースの部屋に集めていた。
「ニコラから手紙が来ている。……シャーロット嬢が自滅しそうだ、と」
ヴィークはキースにニコラからの手紙を手渡す。ニコラは『扉』が設置された本来の目的を知らないが、クレアとの会話の内容からシャーロットについて逐一報告することに決めたようだった。
「マジか。……なんだ、この『ニコラ様をノストン国から追い出す会』って」
遊び慣れておらず、シャーロットのようなタイプの令嬢に免疫のないキースは手紙を読んでショックを受けている。
「わ~。ニコラ嬢を追い出すためにノストン国の王立貴族学院の令嬢方に変な魔法をかけようとしてるって……とてもクレアの妹とは思えないね」
「でも、それを嬉々として蹴散らすニコラ嬢の姿が目に浮かぶね」
ドニとリュイも顔を見合わせる。案の定、リュイは明らかに面白がっていた。
「あと、生徒会選挙? の裏工作もしてるって……なにそれ?」
不思議そうに聞くディオンに、クレアは答える。
「今は第一王子のアスベルト殿下がいらっしゃるけれど、もうすぐ彼は卒業するの。『生徒会』はパフィート国ではなじみがないけれど、王立貴族学院の生徒会長の権力は絶対よ。ニコラ様の上に立ちたいのだわ、きっと」
『生徒会長になりたい』だけなら、叶うかどうかは置いておいて、かわいらしい願いだ。しかし、シャーロットの本音は『生徒会長になってなんとかニコラを追い出したい』なのだろう。
一度目の人生で、クレアからすべてを取り上げたように。
皆、シャーロットのあり得なさすぎる思考に怒りを感じるというよりは失笑する様子だ。
しかし、彼女の『おまじない』がどんな結果を招くことになっているのかを実際に身を以て知っているクレアだけは、気が気ではない。
(ノストン国ではシャーロットを咎める人はいないの? オスカーお兄様はご存知ないのかしら。……すぐに手紙を書かなくては)
「ディオン。……私は、今は貴方の魔力を共有していないわよね」
クレアは、遠慮がちにディオンに確認する。
「うん、今はね。でもいいよ。共有しても」
誤解したディオンは、ニコニコと手を差し出しながら続ける。
「あ。でも衝撃が大きすぎて、また一週間ぐらい目覚めない可能性があるけどね」
「……ごめんなさい。そう思うわよね。……でも、今のはそんなつもりじゃなかったの。せめて、妹をなんとかするのは私だったらよかったのになって」
「そっか。でも僕はどっちでも大丈夫だよ。クレアの好きなようにして」
ディオンは、常々『いざとなれば自分を使ってほしい』と口にしてはばからない。
しかし、一度目の人生でディオンの魔力を共有し、二度目は魅了までしてしまったクレアには、相手の人生を狂わせることがどんなに辛いことなのか分かっていた。
しゅんとしてしまったクレアの手をリュイが優しく握る。
その温かさと優しさは自分の失言を恥じるクレアの目を潤ませるのに十分だった。
皆に背を向け、窓の外を見つめながらヴィークは言う。
「身内だからこそ、自分で手を下すべきではないこともある。俺は、クレアにそんな想いをさせるのはごめんだ。……悪いが、許可しないぞ」
その言葉は、重かった。
―――――
翌朝。王宮に出仕したオスカーは、クレアからの手紙を読んで驚愕した。
「シャーロットが、パフィート国の王族であるニコラ嬢を敵対視し、追い出そうとしているだと……!」
手紙には貴族令嬢として信じられない行動が列挙されていた。あまりにもありえなさすぎて、普通なら目を疑う内容だ。
「しかも……本来国を守るために使うべき白の魔力を悪用してほかの令嬢たちを洗脳しているとは……。信じられない」
しかし、シャーロットには気に入らない令嬢を王立貴族学院から追放しようとした前科がある。オスカーは眩暈を覚えつつも『あのシャーロットならやる』と思った。
ふと、ある懸念がオスカーに浮かぶ。
「もしかして……!」
慌てて彼は自分の執務室を出て走り出した。
(今日は王立貴族学院が休みだ。アスベルト殿下は執務室にいるはず)
コンコン。
ノックの後、返事を待つのも惜しい。
随分慌てた様子で扉を開けるオスカーに、執務室にいたアスベルトとサロモンは目を丸くしている。
「突然、申し訳ございません」
「どうしたのだ」
「今朝、このような手紙がクレアから届きまして」
オスカーは、アスベルトの執務机に手紙を広げる。
手紙をアスベルトとサロモンが二人でのぞき込む。
「「……」」
二人には、特に驚く様子はない。
「恐れながら、殿下。王立貴族学院では、加護をかけていらっしゃいますか」
「……ああ。もちろんだ。パフィート国からの留学生であるニコラ嬢からの助言もあり、最近は彼女にかけてもらっている」
「……それは……失礼いたしました」
最悪の事態は免れたことにほっとしたオスカーは、わずかに顔色を取り戻す。
「しかし、ちょうどよかった。この問題について、どのように対処しようか考えあぐねていたところなのだ」
「やはり、殿下はご存知だったのですね。……本当に、申し訳ございません。なんとお詫びすればよいか」
オスカーは、平身低頭して謝る。
「実は、この件はまだ国王陛下には報告していない。学院内でのことだから、全権は私にある。……女傑を送り出し続けてきたマルティーノ公爵家は我が国の誇りであり、名門だ。歴史に汚点を残すことは避けたい」
アスベルトの配慮は、シャーロットへのものではない。聖女アンや優秀なオスカー、そして将来パフィート王家に嫁ぐであろうクレアのことを考えたうえでのものだった。
(……!)
それを聞いたオスカーが下す決断は、ただ一つだった。
「……シャーロットは、王立貴族学院を辞めさせます」
「それはさすがにまずいだろう。彼女は、私の婚約者だ」
「……おっしゃることはごもっともです。しかし……」
これまで、マルティーノ家には未来の王妃殿下がいるということが、オスカーにとってこの上ない誇りだった。しかし、今では足枷になっている。
シャーロットを婚約者と呼びつつも、アスベルトの表情もまた苦々しいものだった。
「では、間を取って退寮して自宅謹慎というのはいかがでしょうか」
サロモンが続ける。
「表向きは病気療養という形にしてマルティーノ公爵家の体面を保ちつつ、シャーロット嬢にはきつめの仕置きを」
「それはいいな」
アスベルトが同意する。
「承知いたしました。では聖女アンに依頼して今日中に魔法を無効にする部屋を構築し、謹慎の環境を整えます。この件に関して、当主である父の承諾は不要です。私が責任を持ちます」
こうして、シャーロットの処分は決まった。
―――――
それから一か月後。
シャーロットの病気療養という名の謹慎処分が解けようとしているころ、彼女は訪ねてきた。
その日、クレアは就寝の準備を終え、翌日の王立学校での講義スケジュールを確認していた。
コンコン、とロビー側の扉がノックされる。
(……? こんな時間に……ヴィークではないわよね)
夜は更け、ほとんどもう寝る時間だった。
「クレアお嬢様、起きていらっしゃいますか」
ドアの向こうからはソフィーの声がする。
緊急の用かしら、とクレアが扉を開けると、ソフィーの後ろにはニコラがいた。
ノストン国で何かあったのだろうか、とクレアは酷く不安になる。不躾ではない範囲でニコラを観察するが、特に怪我などはなく顔色もいい。
むしろ、良すぎるほどだ。
「お、お久しぶりね。クレア様。……あの約束は、まだ有効よね?」
「約束。……はい、何でも力になると申し上げたことですね。もちろんですわ」
「そうよ。あれ、今お願いするわ! お邪魔します!」
ニコラはずかずかと部屋に入り込むと、ソファに腰掛ける。
(……?)
クレアは首を傾げる。しかも、あのプライドの高いニコラがわざわざこんな夜更けに相談にやってきたという背景には、相当な理由があることが窺えた。
「ソフィー、お茶はいいわ。私が淹れるから」
ニコラが安心して話せるよう、クレアは大きめの声でソフィーに告げてから扉を閉じる。
「それで、私で力になれることがあるといいのですが」
「……」
リラックスできるハーブティーをニコラに勧めつつ、クレアは彼女の向かいに腰を下ろした。ニコラは何となく決まりが悪そうな表情をして、なかなか話さない。
「……クレア様は、お花の香りがする紅茶がお好きなのよね」
「ええ。ヴィーク殿下の夜会でニコラ様が淹れてくださった紅茶、とてもおいしかったですわ」
「アスベルト殿下もよく知っていたわ。……王立貴族学院の生徒会室には、クレア様がお好きな紅茶の葉が今でも置いてあるのよ」
「そうですか」
クレアは微笑んだ。
「私は……奇妙に思っているの。アスベルト殿下は、明らかにクレア様を慕っているでしょう」
クレアは、それはもう違う、と言おうとしたがニコラは聞かずに続ける。
「『白の魔力』って、そんなに重要なことなのかしら。ただその力を持っているだけで、あの女……いえ、シャーロット様がアスベルト殿下の婚約者だなんておかしいと思うの。アスベルト殿下の婚約者がクレア様なら、って私は何度も思ったわ。でも、クレア様はヴィークお兄様のものだし」
「ニコラ様……?」
要領を得ないニコラの話にクレアは困惑する。目の前の彼女は、いつもの自信満々で無敵なニコラではなかった。
「……」
少しの沈黙の後、ニコラが口を開いた。
「アスベルト殿下に、卒業パーティーのエスコートをさせてほしいと言われたわ」
「!!」
クレアは思わず両手で口元を押さえる。よく見ると、打ち明けてくれたニコラの顔は真っ赤だ。思えば、この部屋に来たときから彼女の頬は染まっていたのかもしれない。
「アスベルト殿下は、シャーロット様ではなく、私と一緒にパーティーへ出たいと」
「それは……おめでとうございます!!」
クレアにはこの祝福が正しいのかどうか分からない。しかし、目の前の頬を染めているニコラは、この言葉を待っているような気がした。
「で……でも、婚約者はシャーロット様なのよ? シャーロット様は謹慎中だから……たぶん、それで私をエスコートしたいと言ってくれているのだと思うのだけど」
「いえ。特別ですわ。あの卒業パーティーへ誘うということは、絶対に」
それは、クレア自身が身を以てよく知っていることだった。そもそも、あのアスベルトが婚約者以外を自主的にエスコートするなんて普通では考えられない。
しかも、王立貴族学院での卒業パーティーの意味を理解していないはずがなかった。
アスベルトがニコラを選ぶということは、ゆくゆくはシャーロットとの婚約は解消されることになる。
何よりも、シャーロットに王妃の適性がないことは明白だ。しかし、マルティーノ家が王家の手助けをするにはなにも無理に婚姻を結ぶ必要はない。聖女アンのようにほかの方法で役に立つという選択肢もあるのだ。
マルティーノ家とノストン国王家の結びつきを強めることは叶わなくなるが、国民の幸せを思い、ニコラの上気した頬を目の前にすると、それは軽微なことに思えた。
「話してくださってありがとうございます、ニコラ様。私は賛成ですわ。パーティーでお二人の姿が見られないのが残念でなりません」
「別に、婚約とかそういうことではないわよ!? た、ただ、パーティーに一緒に出席するだけよ! ヴィークお兄様にも、誤解がないように伝えてちょうだい!!」
「もちろんですわ」
「……アスベルト殿下は変わったお方ね……私のことをいつも守ろうとしてくださるし。愚直に見えることもあるけれど、多方面に配慮して立ち回ろうとしているのが悪くないわ。……とにかく、物好きな人よ」
ニコラがぽつぽつと話すアスベルトの姿には、既にクレアが知らない顔が含まれている。
喜びと困惑の両方をたたえたニコラの幸せそうな表情を見て、クレアの心は温かくなった。
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