第64話 夢の話

 三日後。クレアは王立学校から帰宅すると、一人で地味なデザインのドレスを選んで着替えた。


 クリーム色で飾りのないこのドレスなら、仮に王宮をうろついているところを誰かに見られても目立たないだろう。


 先日、叔母のアンに『転移魔法を使って極秘でノストン国を訪問したい』という手紙を送ると、アンの大きな驚きを感じさせる文面とともに、面会日時を指定する内容の返事がすぐに帰ってきた。


 日時は三日後の午後5時。そろそろ時間だった。


「クレア、少しワクワクしてるでしょ?」


 ディオンが無邪気に言う。


「……少しだけね……」


 実は、それは当たっていた。たった数時間とはいえ久しぶりの里帰りで、しかもアンに会えるのだ。一度目の人生では、クレアはノストン国に帰りたいと思ったことすらなかった。しかし、今は少し違う。


 自分を認めてくれている兄オスカーや、進んで後ろ盾になろうとしてくれるアスベルト。味方がいると思うだけで、気持ちは随分と軽かった。


 ディオンが肩に手をのせたことを確認して、クレアは呪文を唱えた。


 ◇◇◇



「クレア!」


 いい香りにぎゅっと抱きしめられている感覚がある。目の前で自分を包み込む、クレアよりも少しだけ背が小さいボブヘアの女性。


 華奢だが、体中から陽のオーラがあふれ出ていて朗らかで温かい。それは、久しぶりに会う叔母のアンだった。


「アン叔母様、お久しぶりです」


 クレアはカーテシーがしたかったが、アンがクレアのことを抱きしめたまま離してくれない。久しぶりに来たノストン国の王宮にある教会は、人払いがされていて声がよく響いた。


「クレア、会いたかったわ。ベンジャミンお兄様が急に留学なんてさせちゃうから……! 洗礼式以来ね、元気だった?」


「ええ。元気ですわ」

「あら……?」


 クレアに頬ずりをしていたアンが、ディオンの存在に気付く。


「初めまして。クレアの叔母のアンと申しますわ」

「僕はクレアお嬢様の護衛をしているディオン・ミノーグです。初めまして」


 ディオンも明るい笑顔で答える。


「……ここまでの転移魔法は、彼が?」


 信じられないという様子で、アンはクレアに視線を送る。クレアは、一瞬戸惑った。正直に言うと、本来の魔力を目覚めさせていることをノストン国に隠したい。


 しかし、叔母を欺くのはこれからのことを考えると無意味にしか思えなかった。


「いいえ。私ですわ、アン叔母様」

「え? でも、洗礼式では……。クレア、一体どういうこと……?」


「私も偶然知ったのですが、お母様の生まれは、ノストン国ではなく旧リンデル国だったようです。書斎の金庫に手紙が隠されていました」

「リンデル国?」


 アンの目が大きく見開かれる。


「やはり、アン叔母様もご存じではなかったのですね。母は……男爵家の末娘と皆が思っていますが……実際には、滅亡したリンデル国の王族の生き残りだったようです」


 クレアは、自分が知っていることを全て話した。


 母は自分や家族の身を守るために出自を偽っていたこと。


 不慮の事故で亡くなったと聞いているが、リンデル国の滅亡に関わった者の手によって消されたのだということ。


 偶然、金庫の手紙を見つけ、パフィート国へ向かう途中に立ち寄ったリンデル島で泉に入ったところ、洗礼を受けることができたこと。


 魔力の色は正確には分からないが、銀と同等以上の力があるらしいということ。


 ディオンの前で話すのは申し訳なく、酷だとも思ったが、ディオンも姿勢を正したまま静かに話を聞いてくれた。


「そんな経緯があったのね。クレア、ごめんなさい。何も知らずに、アスベルト殿下との婚約を解消して留学させるなんて……」

「アン叔母様、そのことはいいのです」


 クレアには、過去の地位に何の未練もない。誤解されないよう、目を潤ませるアンに努めて明るく話す。


「私、パフィート国での生活がとても楽しくて……本当に国を出て良かったと思っていますわ。ここにいるディオンもそうですが、素敵な友人に恵まれました。ですから、ノストン国には戻りたくはないのです……どうか、今の話をここだけにおさめていただけませんか」


「えっ……そう……そんなに……」


 ノストン国に戻りたくない、という言葉にアンはショックを受けた様子だった。しかし、クレアの表情を見て、すぐに納得したようだ。


「確かに、今の状態でクレアがマルティーノ家に魔力を目覚めさせていると知られたら、面倒なことになるわね。絶対に知られない方がいいわ。……私はクレアの味方よ。貴女が、幸せに生きてくれればそれでいいわ」


「アン叔母様……」

「困ったのはシャーロットね。彼女がもっときちんとしてくれればいいのだけど」


 アンはため息をついて続ける。


「シャーロットは、教育係である私のところにほとんど来ないわ。王立貴族学院でも好き放題みたいで……アスベルト殿下も手を焼いているそうよ。もし、彼女の魔力の色が白でなかったら、マルティーノ家は相当面倒な立場に置かれるわね」


(……『白』)


 クレアは、アンの口ぶりに違和感を覚えた。マルティーノ家に生まれた女性が持つ魔力の色はほとんどが銀か白だ。確かに白であることが多いとはいえ、ここまで色を限定するのはしっくりこない。


「アン叔母様は、シャーロットの魔力の色が白だと知っているのですか」


「……予言みたいなものだけれどね。クレア、貴女はこれが聞きたくて、わざわざ転移魔法を使ってここに来たのよね」


 アンの優しい瞳がクレアを映す。クレアは、何も言わずに頷いた。


「どう話したらいいのかしら。母……貴女のおばあ様は、『夢』を見るタイプの方だったみたいなのよね」

「夢……?」


「そう。自分の見たいことが見られるわけではないし、断片的なものだったみたいだから予言と呼べるレベルではない。でも、とにかくクレアより一歳年下の少女をマルティーノ家に引き入れてはいけないとよく言っていた。母はあまり『夢』の話をしなかったけれど、それだけは覚えているの」


 クレアはアンの話を聞きながら、心の中である仮説を立てていた。


 祖母が断片的に見ていた夢は、所謂『アスベルトルート』に入った後のこの世界ではないのか、と。


 歴史を遡ると精霊からの神託を受けられる聖女は過去確かに存在したが、現在はノストン国・パフィート国のどちらにもいなかった。それほどに稀有な存在なのだ。


 それを踏まえると、祖母がクレアと同じようにどこかからこの世界を俯瞰して見ていたとしてもおかしくはなかった。


 ただ、もしそうだとしても祖母が見ていた夢は非常に断片的なものなのだろう。その証拠に、クレアは祖母から母の出自や兄レオが捨ててしまうことになる手紙の存在を聞いていなかった。


「母の夢の通りなら……三か月後のシャーロットの洗礼式では、白の魔力が目覚めるはずなの。母は、洗礼式が終わったら自分が何とかすると言っていたわ。……その前に、病気で亡くなってしまったけれどね」

 

 アンは微笑を浮かべたまま、伏し目がちに話した。


「アン叔母様が会って話したいとおっしゃっていたのは、この状態でシャーロットが洗礼式を迎えてしまった場合の対処についてなのですね」


「そう。どうなるのかまでは母は言っていなかったけれど……。魔力を目覚めさせてしまった後が心配だわ。あの子、頭は悪くはないけれど、生まれつきあまり深く考えるタイプではないみたいなのよね。自分が中心と信じて疑わないというか……。強い魔力を持っておいて、制御方法や使い方を知らないということが一番怖いわ」


 クレアは、あの夜会でのシャーロットの振る舞いを思い出していた。アスベルトやクレアが微塵も目に入っていないかのようにヴィークに話しかける彼女は、周囲の意思を完全に無視しているように見え、異常そのものだった。


「……おばあ様は、どんな方法で対処しようとしていたのでしょうか」


「それが、本当に分からないのよ。そもそも、母は銀の魔力を持っていたし……新たな方法を考えるしかないかもしれないわ。シャーロットが品行方正とはいかなくても、力を利用して人に迷惑をかけなければいいのだけれど……今のままでは難しいかもしれないわね」


 すっかりお手上げ状態のアンに、シャーロットの教育が全く上手くいっていないということ、そして改善が望めないことが分かる。


 クレアは無意識のうちに、大人しく話を聞いているディオンのことを見ていた。クレアの視線に気が付いたディオンは、ニコッと笑って親指を立てる。


(……)

 真面目な話の最中だと分かってはいながらも、その、無邪気すぎる笑顔に笑みがこぼれる。

 クレアはうっすらと心が決まったのを感じていた。


「アン叔母様。魔力は、洗礼を受けた直後から大きな力を発揮するのでしょうか」

「個人差があるわね。シャーロットの魔力がもし本当に白だとしたら、手が付けられなくなるのは15歳を迎えてから半年以上経ってからではないかしら」


(洗礼式から半年……。それまでにはきっと、『扉』ができているはず)


 クレアはディオンと目を合わせて頷き合った。


「なんだか……クレアは、随分変わったみたいね」


 二人の様子を見ていたアンが意外そうな表情を浮かべて続ける。


「前から賢くしっかりした子だとは思っていたけれど……目に力が宿った気がするわ」


「ありがとうございます、アン叔母様。少し時間がかかるかもしれませんが、シャーロットのことは、私に案があります。何か変わったことがあったら、お知らせいただけますか」

「もちろんよ、クレア」


 アンがクレアをまた抱きしめる。気が付くと、教会の天井に見える空はすっかり暗くなっている。つかの間の再会は終わりの時間を迎えていた。


「僕……ちょっとだけノストン国の外が見てみたいな」

「あら、いいじゃない。この時間になると、教会の近くには誰も来ないわ。少しだけ外を散歩していったら」


 アンが目尻を下げて微笑む。アンもディオンのことをすっかり気に入ったようだ。


「そうね……少しだけなら」


 二つの柔らかい笑顔に、クレアは頷いた。


 教会は、王宮の端にある。


 王宮内には内廊下で繋がっているが、周辺は泉と庭園に囲まれていてしんとしている。まるで別世界のようだ。クレアも、小さい頃この近くで遊んだ記憶があった。


(懐かしいわ……)


 王宮へと続く廊下に佇み、庭園を眺めていると視界の端に黒い影が映った。


(……!)


 クレアはしまった、と思うが、隠れるには遅すぎた。


「なぜ……貴女がここに……」


 数メートル先で固まっている彼は、クレアとディオンの後ろ盾だった。


「……お久しぶりです、アスベルト殿下」

「久しぶりだな……なぜ、ここに」


「叔母のところをお忍びで訪問したのです。シャーロットのことで相談を受けまして。今日到着し、用が済みましたのでもう帰るところです。父にはどうか内密に」


 クレアは、いざというときに備えて準備していた答えを述べる。


「随分と過密すぎる日程ではないか。……すぐに部屋を準備させる」


 アスベルトが踵を返そうとするのをクレアは慌てて止める。


「お待ちください。……彼は、私の護衛で、ディオンと言います。先日は、お力添えをいただきありがとうございました」

「アスベルト殿下。私はパフィート国のディオン・ミノーグと申します」


 ディオンが片足を引いて姿勢を低くし、丁寧に挨拶をする。


「ああ、君だったのか」


 クレアは少しだけ意外さを感じた。アスベルトがディオンの雇用契約に関して推薦状を書いてくれたことには強く感謝していたが、他人への興味が向きにくい彼が、まさか内容を覚えているとは思わなかった。


「彼は、元はパフィート国の王族を祖に持つ名門の出身です。今回の訪問には、馬は使用しておりません」


 クレアは満面の笑みを向けた。意図を察したディオンも話を合わせる。


「力を生かせる地位を与えていただき、感謝しています」


「そうだったのか……。パフィート国の人材の層の厚さは本当に素晴らしいな」


 アスベルトは疑うことなく信じ切っている。純粋に賞賛している様子に敵意はなく、数か月後にシャーロットにいいように使われてしまうとはとても思えない。


「……それなら、もう少し時間はあるだろう。三人で、少しだけ話をしないか」


 穏やかな表情を浮かべたアスベルトの思いがけない提案に、クレアとディオンは顔を見合わせた。

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