第63話 ガールズトークとディオンの忠心

「クレア様、どうしたのですか。顔色が優れないように見えるのですが」


 午後の講義が始まる前、心配そうにリディアが言う。


「大丈夫ですわ。少し寝不足なだけです」


 クレアのこの返答には、大きな嘘が含まれていた。実際には昨夜、少しではなくほとんど眠れていないのだ。


 理由は、ヴィークが去り際に残した『次の夜会にはドレスを仕立てたい』という趣旨の言葉だ。


 パフィート国では『未婚女性に夜会のドレスを仕立てること』は両親のほかは婚約者にしか許されていない義務だ。色恋事にほとんど免疫がないクレアには、ヴィークの言葉が求婚のようにしか思えなかった。


 そんな都合がいいことが起こるはずはない、と何度打ち消しても、すぐに脳裏にはこの言葉が浮かぶ。それを繰り返しているうちに、朝になってしまったのだ。


(私は俯いていてヴィークの顔を見ていないから真意は分からないわ……。でも、冗談を言っている声ではなかった気がするわ)


「本当ですか。もし気分が悪いようでしたら、お帰りになった方が」

「リディア様、お気遣いありがとうございます。でも本当に大丈夫ですわ」


「体調が悪いのか」


 リディアの後ろから、ヴィークが顔を出す。寝不足の原因となった張本人の登場に、クレアは赤面するのを感じていた。恥ずかしくて、まともに顔が見られない。


「いえ。大丈夫ですわ」

「……そうか……」


 二人の間には微妙な空気が流れている。心なしか、ヴィークもいつもより言葉少なだ。


(……)


「クレア様。今日は私の馬車で一緒に帰りませんか。たまにはゆっくりお話ししましょう」


 二人の様子から何かを察したリディアの誘いで、クレアはリディアと一緒に帰ることになった。



「それで、ヴィーク殿下と何かあったのですね」


 馬車に乗って扉が閉まるなり、リディアはクレアに聞く。ものすごく心配そうなのは確かだが、目を輝かせているのは隠せていない。


「何かって……、ええ、何と言うか」


 クレアは挙動不審になる。それもそのはずだ。クレアはこれまで、ヴィークとの関係をリディアに細かく話したことはない。


 一度目の人生では、妃探しの夜会のあと事の顛末を説明し、既にいろいろと察していたリディアから祝福の言葉をもらった。しかし今回は、何を話したらいいのか分からなかった。


「二人の様子を見ていれば分かりますわ。……私は恋愛結婚が許されていない身です。少しぐらい、幸せなお話を聞かせてくださいな」


 リディアの寂しそうな様子に、クレアは口を開く。


「実は……昨日、次の夜会のときには自分がドレスを仕立てたい、というようなことを言われまして」

「誰にでしょうか」

「殿下です」


「「……」」


「……それって、ほとんど求婚ではないですか!!」


 普段おしとやかなはずのリディアが、両頬を手のひらで抑え、顔を真っ赤にして叫ぶ。ここが学校の講義室ではなくてよかった、とクレアは心底思った。


「実は、私もそうとしか思えなくて……でも、殿下はいつも私に良くしてくださるし、その一環なのかもしれないと」


「クレア様……父から聞いたのですが、クレア様はノストン国からいらっしゃる際、殿下と同じ馬車にお乗りになったとか」


「ええ。移動が長かったので、話し相手に選んでくださいましたわ」


「タイミングがなかったので今までお伝えしなかったのですが、そのこと自体が異例ですわ。殿下はご自分の立場をよく理解しておいでで、どんな名門のご令嬢も側に置いてこなかったのです」


 クレアは、キースやリュイの口ぶりからそんな気はしていた。しかし、ヴィークの感情にまだ確信が持てない。困惑している様子のクレアに向かってリディアは続ける。


「明確な言葉がないと不安かもしれませんが、私にはそれが現時点での殿下の精一杯に思えますわ。婚約者を持たない殿下には自由恋愛が許されています。しかし、殿下が求婚するには、まず国王陛下へのお目通りが必要ですわ。それが済まない限りは、求婚は許されませんから」


「国王陛下への……お目通り……」


「ええ。正式な謁見ではなく、夜会での挨拶でもなんでもいいのです。とにかく国王陛下に紹介して、まず求婚の許可を得ることが必須ですわ」


 クレアは、昨夜ヴィークの口から出た『国王陛下へ紹介』という言葉を思い返す。


(あれって……!)


 一つがつながると、クレアには心当たりがあり過ぎた。すべて、ただの優しさではなかったとしたら。そう思うと、くらくらと眩暈がした。


 ―――――


 リディアに離宮まで馬車で送ってもらうと、叔母のアンから手紙が届いていた。


「クレア、おかえり。手紙が届いてるよ」


 ヴィークの執務室から戻ったディオンが言う。


 ディオンは王立学校を辞めた後、クレアが学校に行っている時間はキース達の手伝いをしていた。これは、ディオンとマルティーノ家の雇用契約書にアスベルトの署名があったからこそ叶ったことだ。


 昔の腹黒さが想像できないほど爽やかで人当たりが良くなってしまったディオンは、王宮での立場を確立しつつあった。


「ありがとう。もう少ししたら呼ぶから、待機していてくれる?」

「了解」


 それは、シャーロットをマルティーノ家が引き取った経緯に関する、待ちに待った返事だった。ヴィークのことを想うとまだ頭が沸騰しそうだったが、クレアは制服から着替えると冷たい水で顔を洗い、気持ちを切り替える。


 ディオンが来る前に手紙の内容に目を通しておこうと、封を切る。叔母の字で書かれていたのは、予想通りの内容だった。


 まず、シャーロットを引き取りたいと願っていたのは父ベンジャミンではなくクレアの母だということ。母はシャーロットが暮らす環境を心配していて、何とかしてあげたいと常々心を砕いていたらしい。


 そして、祖母フローレンスはそれを強く反対していたということだ。


 手紙は『この先は会えたときに話したい、少なくともシャーロットの洗礼式までに』という言葉で締めくくられていた。


「会って話したい……もっと重要な情報があるのかもしれないわ」


 コンコン。


「はい」

「そろそろ呼ばれるかと思って」


 タイミングよく入ってきたディオンに、座るように促しながらクレアは言う。


「……私の妹、シャーロットのことなのだけれど」

「ああ。あの、困ったお嬢さんとここら辺で有名な」

「……ええ……それは……」


 本当に申し訳ない、という言葉を飲み込んでクレアは続ける。


「シャーロットの暴走を阻止するヒントが見つかるかもしれない。近いうちに、転移魔法でノストン国へ行こうと思うの。……護衛として、ついてきてくれない?」


「それはもちろん! でも……そんな回りくどいことをする必要があるのかな?」

「どういうこと?」


 ディオンは急に真面目な顔になる。


「彼女が目覚めさせる予定の魔力の色は白なんだろう? 僕のは一段下の、青だ。クレアにははね返されちゃったけど、色が一つ違うぐらいなら、今度は問題ない」


「……!」


 ディオンの意図するところを察したクレアに、緊張が走る。


「……クレアと殿下のためなら、僕はなんでもするよ」


 ディオンらしい爽やかな笑顔だが、目の奥は笑っていない。


 それは、シャーロットに禁呪を使い、彼女の魔力に歪みを生じさせるということを意味していた。


 リュイによると、一度『共有』されると、魔力を使う際その相手にすべてが干渉されてしまうようになるらしい。


 自分が使うときは色が濁って精霊の力を借りられなくなり、相手が使うときは自分の魔力が持って行かれてしまう。クレアが、ディオンを巻き込んで逆行してしまったように。


 クレアには思いつきもしなかったが、ディオンが味方であれば、そういう手段も取れるのだ。


 少し前のクレアなら、シャーロット個人の事情だけではなくノストン国の未来のことも考えて「そんなこと!」と聞き入れなかったかもしれない。


 しかし、大切な人を傷つけられ、両国間の関係が崩れかけるのを目の当たりにしていたクレアには、不思議と強い拒絶の感情は湧いてこなかった。


「ありがとう、ディオン。気持ちは嬉しいけれど、捨て身の戦術はやめて欲しいわ。自分をもっと大事に……」

「捨て身じゃないよ。クレアにはね返されたのが異例中の異例過ぎるだけだよ」


 さっきの鋭い眼光が嘘のように、ディオンはもうニコニコ笑っている。


「……でもまずは、私なりの方法を探ってみたいの。妹に禁呪を使うのは、本当の本当に最終手段よ」

「オッケー。じゃあまずはノストン国への訪問だね」

「ええ」


 クレアは、叔母のアンに『極秘でノストン国の王宮を訪問したい』という旨の返事を書いた。

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