第65話 幼なじみ

 クレアとディオンが案内されたのは、教会にもっとも近い場所にある応接室だった。


 王宮と教会をつなぐ通路にあり、部屋の中に入ると壁一面が窓になっていて、庭園の景色を見渡せる。


(こんなに素敵な部屋があったことを知らなかったわ)


 ここはクレアの寝室の半分ほどの広さしかないが、長椅子タイプのソファが二つとテーブルが置かれ、部屋の隅には庭園に咲いているのと同じ甘い香りのする花が飾られていた。数人で話すのであれば、この部屋で十分だ。



「パフィート国での留学生活はどうだ」

「おかげさまで、とても快適です。新たに知ることが本当に多く、充実していますわ」

「それはよかった」


 アスベルトは満足そうに頷く。彼の問いに答えたものの、クレアはしっくりこなかった。


「今日は、寄宿舎にはいらっしゃらないのですね」

「ああ。込み入った案件が多くてな」


 クレアにとってアスベルトと言えば、どこか優しさに欠ける、というか人の心の機微に非常に疎いという印象があった。もちろん、そのほとんどは一度目の人生で培われたイメージなのだが。


 偶然会ったかつての婚約者をお茶に誘い、景色の良い部屋を提供するなど存外すぎる立ち居振る舞いだった。戸惑いにわずかな不信感が入り混じったクレアの視線に気が付いたアスベルトは言う。


「引き留めてすまない。ただ……パフィート国の国王や王族方はどのような方々なのか一度聞いてみたくてな。貴女なら知っているかと、つい誘ってしまった」

「それは……『扉』に関係してでしょうか」


「ああ。パフィート国の要望は分かるのだ。しかし……国王は承認しているものの、一部では反発が強くてな。……今回の話、パフィート国では国王ではなく第一王子のヴィーク殿下が中心になって進めていると聞く。ヴィーク殿下は本当に信頼できる方だろうか」


 クレアは不思議に思った。両国間に『扉』が設置されることは既に決定事項で、覆されることはないと聞いている。


 アスベルトが本当に知りたいのは、扉の設置がノストン国にとって安全かどうかではなく、言葉の通り純粋にヴィークという人物に関してのような気がした。


「彼は……ヴィーク殿下は素晴らしい方ですわ。機知に富み賢明なだけではなく、人間性も豊かです。何よりも、バランス感覚に優れていますわ。友人としてはもちろん……ノストン国を祖国とする一個人として、信頼に値するお方かと」



「……そうか」


 クレアの言葉は、アスベルトの見解に一致したようだった。一言相槌を打ったきり、彼は黙りこくってしまった。


 数十秒以上の間が開いたあと、アスベルトはクレアに問いかける。


「……もし、扉が設置出来たら、貴女も頻繁にこちらに来られるのか」


 クレアの脳裏には、あの夜会でクレアをノストン国に引き留めようとした、国王と父の姿が浮かぶ。クレアの魔力の色が知られた後もパフィート国で暮らせるよう、アスベルトを安心させなくてはいけない。


「ええ。もちろんですわ」


 笑顔で力強く答えると、隣に座るディオンが、慌てたようにクレアの靴をコツンと蹴る。何か、間違ったことを言っただろうか。そう思ったクレアが目の前のアスベルトの様子を窺うと、彼の頬には赤みがさしているように見えた。


「元婚約者である貴女に、こんなことを言うのはおかしいのは分かっている。しかし、私は……クレアが充実した留学生活を過ごしていることを嬉しく思う一方で、手離さず側に置いておきたかったという想いも強いのだ」


 これは、そういう意味だ、とクレアはやっと理解した。


 パフィート国での賓客扱いも、シャーロットへの計らいも、度を超えた長い手紙も、ディオンの推薦書も。もしかしたら、この瞬間のヴィークという人物の人間性の確認ですらも。


 これが一度目の人生、王立貴族学院で孤独に耐えていた頃の自分に向けられたものだったらどんなによかっただろう、とクレアはどこか他人事のように思う。少なくとも、アスベルトは報われたはずだった。


「……私には、お慕いしている方がおります」


 礼を述べるでもなく、無意識に口をついて出た言葉にクレアは自分で驚く。


「ああ。なんとなく知っている。……ただ、伝えておきたかっただけだ」


 予想とは正反対に、アスベルトはリラックスした雰囲気で微笑んだ。自分が発した冷たい言葉を訂正しようとクレアは思案するが、アスベルトの意外過ぎる破顔につられて顔が緩む。彼のこんなに穏やかな表情を見たのは、クレアは初めてだった。


「……今度、留学生としていらっしゃるニコラ様に初めてお会いした時、少しだけシャーロットに似ている気がしましたの」

「留学生はシャーロットに……。そうか……」


 アスベルトは放心した表情を浮かべる。それだけで、クレアは彼の苦労を悟った。


「でも、ニコラ様は実際にはとてもしっかりしたお方でしたわ。シャーロットの良い手本となるかと」

「……シャーロットに見習う気があればよいのだがな」


「そうですね。しかし、あまり表面に出される方ではありませんが、ニコラ様はお一人で不安かと思います。彼女のことを気にかけていただけますか」

「もちろんだ。善処しよう」


 話が終わり、部屋を退出しようとするクレアたちにアスベルトは言う。


「パフィート国のヴィーク殿下が、信頼できる人物だということが分かって本当によかった。……クレアにとってもな。もし……ヴィーク殿下に、何か伝えたいことがあるなら、早く伝えたほうがいい。貴女も良くご存じだろうが、私たちには公的な立場というものがある。時が過ぎてから後悔しても遅い」


 クレアは、何も答えられない。ただ、旧友の助言は思った以上に痛いところをついていた。思いがけず心の内を見透かされ、アスベルトに背中を押されてしまったのだった。


 ◇◇◇


 パフィート国の自室に戻ると、クレアは少しだけ疲れを感じていた。魔法を使い慣れるようにいくら訓練しているとはいっても、本来は移動に一週間かかるパフィート国とノストン国間を短時間で往復するのは少しハードだった。


「僕、代わりにヴィーク殿下のところに報告に行ってこようか?」


 窓を開けたあと、めずらしくソファに深く体を沈めているクレアを見て、ディオンが言う。


「ごめんなさい……頼んでもいいかしら」

「オッケー。ゆっくり休んでて」


 ディオンは足取り軽く離宮を出て行った。


 本当は、少し体がだるいだけで問題なく動ける。ただ、アスベルトの言葉――もちろん、告白ではなくタイミングを逃すなという助言のほうだ。それは、思ったよりも心に響いていた。


 自分の意気地のなさにうんざりしつつ、クレアは抱え込んだクッションに顔を押し付けた。


 ―――――


 ヴィーク達は、いつものようにキースの部屋に集まっていた。


「お邪魔しまーす。ノストン国から帰ってきたよ」


 慣れた様子でディオンが部屋に入ると、ヴィークが酒を差し出す。


「ご苦労だった。……クレアは?」

「転移魔法が少し疲れたみたいで、休んでる」

「様子を見てこようか」


 リュイがヴィークに目配せをして立ち上がったが、ディオンがニコニコして首を振る。


「大丈夫。それになんか、悶々としているみたいだし」

「……何かあったのか」


 ヴィークの顔色が変わる。


「いや、別に大したことはないよ」


 ディオンは、アンの話を説明した。祖母の『夢』の話以外は彼らの予想通りの展開だった。


「後は、『扉』が完成してからのシャーロット嬢の振る舞い次第ということだな」


 一通りディオンの報告を聞いたうえで、ヴィークはまとめた。


「で、さっきノストン国の第一王子に会っちゃった」

「……アスベルト殿下にか!?」

「うん。でも、大丈夫だよ。僕の転移魔法で来たって誤魔化したから」


 ディオンは爽やかに続ける。


「で、クレアが勢い余った第一王子から愛の告白を受けてた」

「「……!」」


 キースとドニが目を真ん丸にしてディオンを凝視する。


「……そうか……」


 ヴィークはグラスに入った酒を煽る。明らかに面白くなさそうだ。


「クレアからはノストン国のアスベルト殿下はいまいちだって聞いてるけど、面と向かって言える分あっちの方がましだね」


 リュイは剣の柄を磨いている。


 不満げにリュイを一瞥したヴィークはスッと立ち上がった。


「どこ行くの、ヴィーク」

「……少し出てくる」


 ドニの問いにヴィークは振り返らずに答える。


 ヴィークの後ろ姿を見送ったあと、側近たちはやれやれ、というように顔を見合わせて笑った。



 ―――――


 ヴィークがクレアの部屋の窓のところまでやってくると、リビングスペースに灯りが灯っているのが見えた。寝室は暗い。恐らく、まだ起きているのだろう、と開いたままの窓から部屋の中を窺うと、ソファから足が見えた。


 コンコン、と窓を叩いてから部屋に入る。反応がないことを不思議に思ったヴィークがソファを覗き込むと、クレアはぐっすり眠っていた。


(ノストン国への往復と、叔母からの話……疲れたのだな)


 ヴィークは寝息を立てているクレアを見つめて、髪を優しく撫でる。衝動的なものだったが、こうして彼女の髪に触れるのは初めてだ、と気が付いてすぐに手を引いた。


 彼女が抱え込んだままのクッションをそっと外し、起こさないように注意して奥の寝室へと運ぶ。ベッドに寝かせると、自分は側の長椅子に腰掛けた。


 あとは侍女に任せてもう帰らなければというのは分かっていたが、どうにも離れがたかった。


(良かったんだか、悪かったんだか)


 嫉妬の勢いのまま来てしまったが、ヴィークは自分が酔っていたことを思い出す。お酒が入ったまま想いを伝えていたら、自分は後悔しただろうということも。


 眠気が下りてきたことを感じて、ヴィークはそのまま目を閉じた。



 ―――――


「……殿下……!」


 翌朝、ソフィーの狼狽える声でクレアは目を覚ました。


「殿下、どうしてこちらに……!」

「……ああ。そうか。……さっき。さっき来たのだ。俺にも朝の紅茶をもらえるか」

「……かしこまりました」


 まだはっきりしない、ぼやけた視界の中で、シーツにくるまれたままクレアはソフィーとヴィークのやり取りをなんとなく見つめる。


(なぜ……彼がここにいるのかしら)


 意識はだんだん明確になってきたが、クレアにはどう考えてもヴィークがここにいる理由が分からなかった。自分が昨日のドレスを着たままということを考えると、どこかで眠ってしまったのをヴィークが運んでくれたのだろうか。


「お、起きたか」

「……ええ……」


 クレアが目をぱちくりさせているのに気が付いたヴィークが言う。


「この後、街へ付き合ってくれないか。今日は休日だろう」

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