第62話 夜会の裏で

 ヴィークの16歳の誕生日を祝う夜会には、パフィート国中の貴族たちが余すことなく出席していた。


「すごい人ね、リュイ。ノストン国でも夜会には出席してきたけれど、こんなにたくさんの人が集まる夜会は初めて!」


 豪華絢爛な会場に着飾った貴族たちがひしめき合うのをバルコニーから眺めて、クレアは目を輝かせる。


「そうだね。一応、次期国王だし、この前のように十年に一度の式典とかがなければ年で一番華やかな会だね」


 リュイの『一応』に皮肉っぽさが含まれているのを感じて、クレアは笑う。


 先日も、ヴィークは事務仕事を溜めまくってリュイたち側近が徹夜に付き合わされたばかりだった。クレアの目にはヴィークは優秀な第一王子に映っていたが、側近からは『報告書嫌いの困った主君』のようだ。


 今日の夜会には、ディオンが参加していない。正確には、クレアの護衛として参加するのは問題なかったのだが、ミード家の跡取りとして顔が知られていたディオンは自分がこのお祝いの場に相応しくないと出席を固辞した。


 それを見て、パフィート国での夜会が初めてのクレアを心配したヴィークがリュイを付けてくれたのだった。


 当のヴィークは遥か遠くで貴族たちに囲まれている。一言お祝いを伝えたいところだったが、どう考えてもそれは不可能だろう。


「クレア様」


 なじみ深い声に振り向くと、そこにはリディアがいた。


「リディア様! 今日はお会いできないかと思いましたわ」

「人が多いですものね。……でも、クレア様はどこにいらしてもすぐに見つけられますわ」

「お久しぶりです、リディア嬢」


 リュイがかしこまって挨拶をする。


「リ……リュイ様。お久しぶりですわ」


 女性でありながら第一王子の近衛騎士を務めるリュイは貴族息女の間で有名な存在だ。ご多分に漏れず、魔力が強く、教会に縁を持つ家の者としてリディアはリュイに憧れていた。


「今日の殿下はご令嬢方のところまで挨拶に回るのは難しいようです。申し訳ありませんが、会を楽しんでくださいね」

「ヴィーク殿下には毎日学校で会っていますし、全く必要ありませんわ、リュイ様」


 目を輝かせて会話を楽しむリディアとリュイを遠巻きに眺める令嬢たちが視界に入る。彼女たちは王立学校で知った顔だ。クレアが声をかけようとすると、スッといなくなってしまった。


(……あまり目立ちすぎてはいけないわ。私はリディア様と会えたし、リュイにはヴィークの側にいてもらったほうがいい)


 クレアが、リュイにそう伝えようとしたところでまた背後から声をかけられる。


「クレア・マルティーノ様。ごきげんよう」

「ニコラ様。このような場でお目にかかれてうれしいですわ」


 それは、優しそうな友人たちを従えたニコラだった。ワガママ放題なのに、彼女の友人たちはいつも微笑ましそうにニコラを見ている。それも、クレアが彼女に好感を抱いている理由のひとつだった。


「……む、向こうに」

「ええ」

「むむむ向こうの、カーテンの奥にティーセットを用意してあるの」

「ええ」


「……」

「……」


「クレア、行ってきたら。どうせ今日はヴィークとは話せないだろうし」

 それが、ニコラからのお茶の誘いだとクレアが察するまでに優に三秒はかかった。いち早く察したリュイがクレアに提案する。


「ええ……でも……」

「リディア嬢のことは大丈夫」


 リュイに背中を押されて、クレアはニコラのほうに向き直る。

「ニコラ様、お誘いいただき感謝いたしますわ」

「……こちらですわ」


 ニコラは複雑そうな表情を浮かべ、頬が赤く染まっているようにも見える。リュイの背後でリディアが心配そうにしていることに気が付いたが、クレアはこの誘いに嫌な感じはしなかった。



「……あの。私がこうしてお誘いしたこと、誰にも言わないでいただけるかしら」


 夜会会場の隅、柱のかげを利用してつくられた小部屋のようなスペースにクレアを案内し、重いカーテンを閉めたニコラは言う。


「……」


 クレアはさりげなく小部屋を見回す。ニコラの友人達や侍女はこの部屋に入らなかったので、完全にクレアと彼女の二人きりだ。


 王宮のどこかの部屋からわざわざ持ってきたのであろう上品な造りの大きめのソファの前には、ティーセットと菓子が美しく盛られている。


 菓子の中には、定番のクッキーやスコーンに混ざって、クレアの好物であるメープルシロップが練り込まれたパンケーキもあった。  


 ニコラの態度や誘い方は随分不愛想だったが、クレアのために一生懸命準備したことが見て取れる。


「……もちろんですわ」


 急に目の前のニコラが愛らしく思えて、クレアはつい顔が綻ぶ。


「何ですの。そのお顔は」

「ごめんなさい、ニコラ様。何かお話があるのですね」


 この部屋には侍女が居ない。クレアはティーポットを手に取り、並んでおかれているカップに紅茶を注ごうとした。


「……私がやりますわ」


 顔を赤くしたままのニコラは、クレアからティーポットを奪い取って紅茶を注ぐ。


「私のものと、カップを取り換えてもいいですわよ」


 紅茶を注ぎ終わった後、ニコラは言う。クレアには、一生懸命真ん丸の目をつり上げて虚勢を張っているこの少女が、悪事を働くとは思えなかった。


「不要ですわ、ニコラ様」

「!? ……クレア様は随分変わったお方なのね」

「ニコラ様は本当にお可愛らしいですわね」


「……なっ……!」

「……とってもおいしい。この紅茶の葉、私が好きな香りです」


 赤面して目を丸くしているニコラのことは気にせず、クレアはお茶を飲む。きっと、この紅茶も誰かにクレアの好みを聞いて取り寄せたものなのだろう。


 さすがパフィート国の筆頭公爵家の令嬢だ、とクレアは感心した。


 微笑んでいるクレアと、なんだか気まずそうなニコラ。


 しばらくの間、沈黙が続く。


「……クレア様は、ノストン国の王立貴族学院に一年間通われていたのですわよね」

「はい、そうでございます」

「王立貴族学院とは、どんなところなのかしら……」


 いつも上から目線で自信に満ち溢れているはずのニコラが、遠慮がちに発言する。


「……王立学校と比較すると、全寮制で『貴族社会の縮図』のようになっているという点が最も大きな違いですわね」


 クレアは答えたものの、ニコラが欲している内容が分からずにいた。


「そうなのね……。では、社会経験に重きを置いている学校ということなのね。もし私が転入した場合、どんな生活になるのかしら」


(……!)


「そうですわね……。まず、王立貴族学院には生徒会という組織があります。今はノストン国第一王子のアスベルト殿下が在籍されていますので、彼をトップとした組織体制が敷かれています。パフィート国の王族であるニコラ様は、そこで彼に次ぐ位置を務める必要が出てくるかと」


 ニコラの瞳が少しだけ揺れた気がした。


「学問に関しては、パフィート国の方が大きく進んでいます。自己研鑽という意味では不安かもしれませんが、問題なくついていけるかどうかを気にされているのでしたら、ニコラ様でしたらご心配には及びませんわ」

「……そう……」


 これは、『扉』絡みだ。話すうちに、クレアはそう確信していた。


 パフィート国とノストン国、扉を設置するにあたってどちらの反発がより大きいかと言えば、考えるまでもなくノストン国だ。


 ありえないが、もし『扉』を利用して内部からパフィート国に侵略を仕掛けられた場合、ノストン国はなす術もないだろう。

 

 しかし、根本的にその力関係は扉が無くても同じことだ。できるだけ大国からの提案は受け入れ、良好な関係を築いておきたいのが本音のはずだ。


 そこで白羽の矢が立ったのがニコラなのだろう。王族の留学生を送り込み、彼女のために『扉』を設置させるという口実をつくる。そうすれば摩擦なく実現するという目論見だ。


(二国間の関係を良好に保つためとはいえ、ニコラ様を犠牲にするなんて)


 クレアは、気持ちが沈むのを感じていた。


「ちょっと。何を考えているのか分からないけれど、私はヴィークお兄様と貴女を見ているのが嫌だから留学したいわけじゃないわよ!?」

「え」


 考えていたこととは方向性が全く違う指摘を受けて、クレアは目が点になる。


「留学は、ずっと前から希望していたことよ。お父様の反対で叶わなかったけれど! 私は、経験を積んで、将来ヴィークお兄様のお手伝いをするんだから」


「ノストン国への留学を……。そうだったのですね」


「この国にいてはずっとお姫様扱いよ。学問や研究はできるけれど、そのほかの経験が不足するわ。……お、王立学校でも、うまく立ち回れていないし……」


 勢いは良かったが、最後のほうになるとモゴモゴとした口調になっていく。


「失礼いたしました。見当違いの心配をしてしまいました」


 クレアは頭を下げる。


「……その『生徒会』っていうの、面白そうね。あと、全学生が全寮制の寄宿舎に暮らすというのにも興味があるわ」


「確かに、そのような志をお持ちなのでしたらよい経験になる組織かと思います。寄宿舎では頻繁に学生主催のお茶会や夜会が開かれておりますわ。……その全てを統括するのは生徒会ですわ」


「そうなのね! 考えていた以上だわ」


 この部屋に入ったときにニコラが浮かべていた気まずそうな表情はすっかり消え、目が輝いているのが分かる。


 ニコラは続ける。


「留学をあきらめて王立学校に入学し、新生活に慣れてきたところだったから判断を少し迷っただけよ。これが、国のためになるならなおさら喜ばしいことだわ」


 そう語る彼女の表情は晴れやかだった。


 彼女は、心の中では留学を決めつつも、誰かに自分の決断を後押しして欲しかったのだろう。その意味でノストンの国の事情に詳しく、適度に距離があるクレアは適任だったのだ。


 こうして、ニコラの留学は決まった。


 ―――――


「昨日は俺のところに来なかったな」


 翌日。クレアの部屋を訪ねたヴィークが不満そうに言う。


「当然でしょう。ヴィークと話したい方々がたくさんいらっしゃるのに、近付ける訳ないじゃない。……でも、とても楽しませてもらったわ。お招きいただき、ありがとう」


「ニコラか」

「知っていたのね」


「ニコラから、留学についてクレアに相談したいという雰囲気は伝わっていたんだ。しかしまさか、俺の誕生日を祝う夜会の最中にクレアを持って行かれるとはな」


「ふふっ」

「昨日は、貴女を国王陛下に紹介するつもりだったのだ。また次の機会まで待たなければいけなくなってしまった。……全く、どこまで計算していたんだか」


 ヴィークが面白くなさそうな表情を浮かべ、頬杖を付いてため息をつく。さり気なくしのばされた『国王陛下への紹介』という言葉に少なからず衝撃を受けつつ、彼の意図するところがいまいち掴めないクレアは、微笑んだ。


「ドレスは新調しなかったのだな」

「ええ」

「気が回らず、すまなかった」

「……」


 クレアは、ここでも真意を汲み取れない。


 これは、単純に王宮ご用達の質の良い仕立て屋を紹介できなかったという意味なのか、それとももっと深い意味を持つのか。


 ちなみに、揃って出席する夜会でのドレスを手配することはこの国では婚約者の義務に近いものがある。


 ヴィークはクレアの一度目の人生での自身とクレアの関係について、明らかに何かを察しているようではあった。しかし、目の前のヴィークは大きなイベントを終え、春からの計画にも目途がつき、のんびりくつろいでいる。


「なんだ」


 クレアが目の前の透き通った瞳をのぞき込むと、ヴィークは余裕たっぷりに微笑んだ。


「いいえ。なんでもないの」


 今も前も、ヴィークはずっと真っ直ぐに自分のことを見ていてくれている気がする。そのヴィークが何も言わないのであれば、クレアにも自分から動く勇気はなかった。


(ドレスの意味が、後者ならいいのに)


 クレアは柄にもなく、他力本願なことを思う。逆行してから、ヴィークのことは大切な友人と思うようにしてきた。


 しかし、自分の想いに違う色が含まれていることを再確認して頬が染まるのが分かった。クレアはそれを悟られないように俯く。


 ヴィークが時計に目をやった後、ソファから立ち上がる気配がする。


「……次のときは相談するといい」


「え?」

「ドレスだ。おやすみ」


 クレアに辞退するタイミングは与えられない。ヴィークの言葉に驚いて顔を上げると、彼はもういなかった。

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