第61話 手紙の痕跡

 いつのまにか暑い時期は終わり、実りの季節が近づいていた。


 王立学校の長期休暇期間中、ヴィークは『扉』を設置するために奔走していたようだった。いつものように外国へ視察がてら遊びに行くこともなく、公務の合間にクレアがいる離宮を訪れては、雑談をしていく。


 忙しいヴィークを気遣いつつも、逆行前とほぼ変わらない関係になれたことがクレアは純粋にうれしかった。


 クレアはクレアで、より一層勉学に勤しんでいた。長期休暇に入った後もリュイに習い、魔術書の管理など王宮の魔術師たちのアシスタントのような仕事をさせてもらうようになっていた。


 長距離の手紙を送ることも得意になり、故郷に手紙を送る際は何の心配もなく自分で手配している。


 シャーロットの教育係に就任した叔母のアンからは、少し気になる手紙が届いていた。その内容は『シャーロットがなかなか教会に来ない』というものだ。


 クレアは一度ノストン国に戻って叔母と話がしたかったが、聖女として多忙なアンとのタイミングが合わず、長期休暇期間中に帰郷することは叶わずにいた。




「クレアお嬢様、ヴィーク殿下から招待状が届いていますよ」


 夕方、教会から戻ると、ソフィーが淡いグリーンの封筒を手にしている。


「あ! 届いたのね」


 クレアは声を弾ませる。この封筒は、近くあるヴィークの16歳の誕生日を祝う夜会への招待状だった。


 先日、最近何かと忙しいヴィークに代わって、クレアはリュイと一緒にこの招待状の手配をしたのだ。


 封筒選びから招待客のリスト作り、文面の選定まで、この仕事は本当に楽しかった。おまけに、いつも何となくヴィークの瞳の色に合わせた封筒選びをしてしまう、というリュイの意外な一面にクレアはより一層ときめいた。


(ことがうまく運んだ後、本当に王宮で働くことができたら)


 この夏、国を支える人々の細やかな働きや気遣いを身をもって知り、気が付くとクレアはそう思うようになっていた。ヴィークとの関係が叶わなかったとしても、この国を担う彼らの助けになりたい。


 その意味で、この手伝いは記念すべき初仕事だった。


 今度の誕生会は、今回クレアがパフィート国にやってきてから初めての夜会になる。1度目の人生で経験した妃探しの夜会への憂鬱さと緊張感を思うと、この誕生パーティーは相当気楽で、クレアは楽しみですらあった。


「もうすぐヴィーク殿下のお誕生日会ですね。どんなドレスにしましょうか」

「主役はヴィークよ。新たに仕立てる必要はないわ」


 ソフィーの言葉に、クレアは微笑む。


『お嬢様のせっかくの美貌がもったいない』と残念がるソフィーが退出した後で、部屋の隅にある机の引き出しを開け、記念すべき初仕事の招待状を大切にしまう。


(……あ)


 机の奥にしまわれた、薄いピンク色の封筒が目に触れる。


 それは、マルティーノ公爵家からこっそり持ってきた母からの手紙だった。


 クレアはいつも、母のことを想いたくなったときにこの手紙を読んでいる。綺麗にならんだ母の字は、クレアの幸せを願う亡き母の姿を思い起こさせてくれる気がして、大切な宝物だった。


 ピンク色の封筒を手に取って、机の上に広げる。クレアは、ヴィークの誕生日会の招待状と並べて、何となく見比べた。


「お母様はこの手紙を書いているとき、私が将来大国・パフィートの王子様のお手伝いをすることになるなんて思いもしなかったでしょうね」


 クレアはめずらしく、誰かに褒めてもらいたい気分だった。達成感がくすぐったく、記憶の彼方に残る母に思いを馳せる。


 これまで何度となく読み返した文面だが、誇らしい気持ちでこの手紙を眺めたのは初めてだった。


(……あれ?)


 クレアは違和感を持った。どちらも柔らかく上質な紙に書かれた手紙ではあるが、母の手紙の方がより凸凹している。 


(なにか……書かれている?)


 凸凹しているのは、十年以上前に重ねて書かれたであろう手紙の筆跡だった。


(お母様が書いたのはどんなお手紙だったのかしら)


 クレアは好奇心から、手紙を光で照らしたり角度を変えたりしてみる。


「あの子を……ひきとり……たい……?」


(あの子って……)


「これって、シャーロットのことかしら」


 クレアは呟く。そうとしか思えなかった。


 クレアが知る限り、シャーロットは彼女の母親が流行り病で亡くなったことを理由にマルティーノ家に連れて来られたはずだ。


 それまでは存在すら明らかにされておらず、クレアの母がシャーロットを引き取りたがっていたことなど、知る由もなかった。


「どういうこと……? 宛名は……」


 クレアは、凸凹に目を凝らす。フローレンス、と読み取れた気がした。


「この手紙の前に書かれたのは、おばあ様宛の手紙だったのかしら」


 クレアは考え込む。それが事実だとすると、兄たちはわからないが、少なくとも両親と祖母はシャーロットの存在を知っていて、彼女をマルティーノ家の養女として迎える準備があったということになる。


 しかし、実際にはクレアの母が亡くなり、シャーロットの行き場がなくなるまで実行に移されなかった。


(シャーロットが我が家にやってきたころ、彼女は酷く痩せていたわ)


 幼少の頃の、おぼろげな記憶を掘り起こす。そういえば、祖母が存命だったころ、なぜかシャーロットの存在を遠ざけたがっていた気がする。


 祖母に絵本を読んでもらったのも、昔話を聞いたのも、全て兄たちと一緒かクレア一人。そこにシャーロットはいなかった。


 クレアは、兄オスカーの『おとうさまのふぎの子だから仕方がない。かわりに俺たちが優しくするんだ』という言葉を素直に信じ込んでいた。


 しかしよく考えると、誰にでも穏やかで温かい祖母がシャーロットを敬遠するのは不自然な話だ。


「おばあ様は……シャーロットについて、何かを知っていたのかしら」


 あの夜会でクレアやヴィークに向けられた、白の魔法。それを思い出すだけでクレアは心が痛む。


「アン叔母様に聞けば、何かわかるかもしれないわ」


 クレアは、早速ペンを取った。


 母からの手紙の存在は告げずに、シャーロットを引き取った経緯について知りたいという旨を書き記す。さりげなく、祖母の反応について伺う文言も付け加えた。ここまで書けば、アンはクレアが言わんとすることを察してくれる気がする。


 本当は、会いに行きたかった。実際、クレア一人なら転移魔法を使えば行けなくもない。


 しかし、もしノストン国でアン以外の誰かに見つかってしまったらと思うと、今はそこまでの危険を冒すタイミングではない気がした。


 アンへの手紙を送り終わると、また机の引き出しを開けて、新しい便箋と封筒を取り出す。この前、街に出たときに文具屋で購入したものだ。


 淡いサーモンピンクの下地に、色とりどり綺麗な石と純白のレースが飾られていて、クレアには妹にぴったりだと思えた。ペン先にインクを付けるといつものように近況報告を書きはじめる。


 シャーロットからの返事は、しばらく来ていなかった。



 ―――――


 パフィート国の筆頭公爵家の末娘であるニコラ・ウィンザーは思い悩んでいた。


「ニコラ、ここのところ元気がないと皆が心配しているぞ」


 国王の弟であるニコラの父、ウィンザー公はテーブルについたニコラの顔を覗き込む。目に入れても痛くないほどかわいい末っ子の落ち込んだ姿に、心を砕いている様子だ。


「お父様……それなら、私とヴィークお兄様の婚約を進めてくださいませ!」


 本題に入ることを避けるため、ニコラは冗談のように言うが、半分は本気だった。


「お前の望みなら何でも叶えてやりたいが……。さすがにそれは無理だ。殿下は従兄だ」


「どうして。だって、小さい頃は私がお兄様のお嫁さんになるといっても、誰も止めなかったのに」


「あれは……女の子ならではの、夢物語だと思っていたのだ」


 ニコラの懇願をはっきりと拒絶するウィンザー公だったが、胸中は複雑だった。


(まさか、ここまで粘るとはな……。悲しい思いはさせたくないが、受け入れることはできない)


 ニコラは、隣国の名門公爵家を背景にもつ留学生、クレア・マルティーノの評判を気にしていた。


 王立学校ではヴィークの側に侍り、明るみに出ていないものの、第二王子オズワルドの企ての際には暗躍したと聞いている。


 何より、ヴィークから彼女への視線に今までに見たことのない優しさが含まれているのがショックだった。彼女がこれ以上ヴィークと親しくなる前に何とかしたい。ニコラの本音は、そこだった。


「それに、殿下はノストン国の公爵家の令嬢と懇意にしていると聞いているぞ」

「……」


 痛いところを突かれたニコラは、頬を膨らませる。


「それよりも、殿下からのあの打診はどうするのだ。洗礼式を終えてからでいいとは言っても、まだ返事をしていないのだろう。もとはニコラ自身が望んでいたことと思っていたが」

「そうですけれど……。もう少し考えさせてくださいませ、お父様!」


 ニコラはそういうと、席を立って部屋を出る。扉を閉めるのと同時に、後方では父親のため息が聞こえた気がした。


(私だって、まさか本当にお兄様と結婚できるとまでは思っていないわよ)


 ニコラは以前、ノストン国の王立貴族学院へ留学したいとねだったことがある。将来、ヴィークを支える立場になることをにらみ、他国で経験を積むことを希望したのだ。その時は末娘をかわいがる両親や国王たちが猛反対し、計画は泡と消えた。


 しかし夏に入る前、留学話は急に再浮上した。そこには、何らかの政治的な理由が関わっていることをニコラは察している。


 親元を離れて学んでみたいという好奇心とヴィークの側を離れたくない気持ち、筆頭公爵家の令嬢として立派に役割を果たしたいという気持ちが入り混じって、ニコラは自分でもどうしたらいいのか分からなかった。


(いつまでも結論を先送りにするわけには行かないけれど……。でも、今の私には正常な判断が下せる気がしないのよ!)

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