第60話 留学生活

 先の人生でのクレアは、王立学校ではいつもリディアと二人で過ごしていた。


 最初こそ、『殿下のご友人』として注目を浴びることとなってしまったが、慣れてしまえば学校生活は落ち着いたものだった。


 しかし、今回はそこにヴィークやアランなどの側近たちが加わっている。周囲が騒がしくなるのは必然だった。


「ランチぐらい……静かにいただきたいですわよね」


 ランチタイムのカフェテリア。隣席で貴族令嬢たちに囲まれるヴィークたちを横目で見ながら、リディアが可憐な顔に似合わない毒を吐く。


「ごめんなさい、リディア様。私さえ……」

「あっ。違いますわ。私、クレア様のことは大好きですわ」


 クレアの沈んだ顔にハッとしたリディアが、胸の前で手のひらを小刻みに振る。しかし、リディアが静かに暮らすことを望んでいるのを逆行前の人生で知っているクレアは、申し訳なさでいっぱいだった。


「私が気になっているのは、ほかのご令嬢方ですわ。貴族令嬢として、もっと……」


 リディアがここまで言いかけたところで、声がした。


「皆さん、何をなさっているの。ヴィークお兄様が困っているじゃない!」


 声の主は、国王の姪でありヴィークの従妹にあたるニコラだった。


 ふわふわのキャラメル色の髪を二つに分けて結い、本来は真ん丸なのだと想像できる目を、キツくつり上げている。ニコラは学年が1つ下なれど、ヴィークの行く先には必ず出没し、周囲に侍ろうとする令嬢たちを蹴散らしていた。


「貴女たち、ヴィークお兄様はこの国の第一王子よ。貴女たちが軽々しく話しかけていい相手ではないのよ? 貴族令嬢としての矜持をお忘れなのかしら!」

「……ニコラ、もっと言葉を選べ」


 ヴィークの苦笑に気が付いた令嬢たちが、まずい、という表情を浮かべてサッと散った。空いたスペースに、ニコラと穏やかで優しそうなニコラの友人の令嬢たちがそのまますっぽり収まる。


「お兄様は優しすぎますわ。……それはそうと、ランチをご一緒していいかしら!」

「悪いな。今終わったところだ。……ところで、例の話は聞いたか」


「……ええ……」

「急ぐ必要はないぞ。ゆっくり考えるといい」


 急に勢いがなくなってしまったニコラの頭をポンポンと優しく撫でてヴィークは立ち上がる。それを合図にクレアとリディアも立ち上がり、ニコラに軽く会釈をしてからカフェテリアを後にした。


(……ニコラ様がヴィークに声をかけられて元気がなくなるなんてめずらしいわ。何かあったのかしら)


 クレアのニコラに対するイメージは、逆行前と後ではかなり変わっていた。1回目の人生ではワガママが目立ちつつも何だか憎めない可愛らしい人、というイメージだった。


 しかし、今回は大分違う。


 ヴィークへの憧れが強すぎるせいで立ち居振る舞いがおかしくなってしまっているが、それを除けばニコラは王族らしく成績優秀で、基本的には礼儀もしっかりしていた。

 

 事実、隣国の公爵令嬢で賓客としての扱いを受けているクレアには、刺々しさを前面に出しながらも礼儀を欠くことはなかった。

 

「殿下のおっしゃるとおり、ニコラ様は言葉選びにさえ気を付ければもっと評価されるべきお方なのでしょうけどね。見ている方は面白いですけれど、何だか気の毒ですわ」


 午後の講義室に向かいながら、リディアがため息をつく。


「そうですわね。先ほども、殿下を助けてくださったのですよね」


 本来、ああいった役回りは学校での側近であるアラン達が引き受けるべきだ。しかし、彼らはどことなくのんびりしていて、令嬢たちをうまくさばくことまで気が回るタイプではない。 


 次点ではリディアやクレアが令嬢たちの相手をするのもありだったが、二人ともそこまで取り巻きとしてのやる気はなかった。ヴィークに心の中でエールを送るのが関の山だ。


「クレア様がいらっしゃったノストン国の王立貴族学院には『生徒会』という組織があるとお聞きしましたわ。ここよりもしっかり統治されているのでしょうね」


「ええ。学生たちで自治するのが決まりでして。学院丸ごと小さな貴族社会のようでしたわ。ヴィーク殿下はこの王立学校が私に窮屈かもしれないと心配していたけれど、あそこに比べたら自由で快適ですわ……」


 クレアはここまで話してから、これは一度目の人生での話だったと口をつぐむ。


「勉強や研究重視のこの学校とは随分違いがありますのね」


 リディアは目を丸くしている。

 

 クレアはノストン国の王立貴族学院に通っていた頃、アスベルトの婚約者であり名門・マルティーノ公爵家の令嬢として気を抜ける日がなかった。


 比較的自由なこの学校で、まだ14歳のニコラが同じように使命感を持っているのかと思うと、クレアは肩の力を抜いてあげたいと思うことすらある。


 もっとも、嬉々として令嬢たちを蹴散らすニコラの姿を見るたびに、やはり彼女は大丈夫そうだな、と再確認してはいるのだが。



「あら、クレア様は今日午後に4つも個人レッスンを入れているのですか」


 スケジュールを確認していると、クレアの手元を覗き込みながらリディアが言う。


「ええ。ここにはノストン国の王立貴族学院では学べなかったことがたくさんあるので、とても楽しくて。勉強できることは何でも吸収しておきたいと思っているのです」


「素晴らしいわ。休日には、癒しの魔法を学ぶために王宮の聖女様のところに通っているともお聞きしましたけれど」


「ええ。少しだけお時間をいただいて、リュイと一緒に通っています。リディア様もご興味がおありでしたら、一緒にぜひ」


「……私は、お勉強よりもリュイ様のほうに興味がありますわ……」


 ヴィーク達に未来で起こることを打ち明けてから約一か月。クレアは前にも増して必死に勉強するようになっていた。


 自分が少しでも力を蓄えて、リュイやヴィークのサポートをしたい、という思いがあることはもちろんだったが、クレアにはそれ以上に心配なことがあった。


 それは、約一年先に起こる魔力竜巻に対処した後の自分の行き先だった。


 前回、クレアは魔力竜巻を浄化した後、魔力を使い果たしたことが原因でこの世界をゲームだと認識させる夢の世界に入り込んでしまっていた。


 いつも向こう側には璃子という友人がいて、アスベルトルートという現在プレイしていないセーブデータもあった。


 しかし、この前は違った。部屋には一人。未プレイのセーブデータもなくなってしまった。それが何を意味するのか。クレアは、それを想像するだけで得体の知れない気味の悪さを感じていた。


 ブラックアウトを避けるためさりげなくリュイに魔力量を増やす方法を聞いてみると、『魔法を使い慣れ、より上級の魔術師として認識されることで少量の魔力でも精霊が動いてくれるようになるよ』とリュイは教えてくれた。


 合わせて『上位の魔術師になるのに資格はいらない。精霊に認めてもらえるだけでいい』というアドバイスももらった。


 そういうわけで、精霊たちに認めてもらうため、クレアは必死に勉強をするようになったのだった。努力を始めてからはまだ一か月ほどだったが、前は上位魔法である転移魔法を使った時に僅かに感じていた気怠さが、今ではほとんど分からない。


 ヴィーク達のように大きなことはできないが、自分にできることを少しずつ積み重ねて未来に立ち向かう。クレアは、確実に準備を進めていた。

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