第55話 傷痕
ミード家別邸の玄関先では、ヴィークとミード家当主の押し問答が繰り広げられていた。
「こちらに、我が国がノストン国から預かっている留学生が来てはいないだろうか」
「留学生……? うちにはおりません。何かの間違いでは、殿下」
「中を確かめても?」
「いいでしょう。……国王陛下の許可を得ているのであればですがね」
ヴィークは、ミード伯爵の自信がどうしても不自然には思えなかった。
(全く焦っているようには見えない。まさか本当にクレアはここにいないのだろうか)
「お父様、どうなさったの?」
エントランスが騒がしいことに気が付いたディアナが、奥の部屋から顔を出す。
「ディアナ、下がっていなさい。ヴィーク殿下がいらしていてね。よく分からないのだが、ノストン国からの留学生をお探しだと」
「……!!」
一瞬、ディアナの目が泳いだのをヴィークは見逃さなかった。
「ディアナ嬢。事情を知っているな」
「いえ……。私は何も」
「ミード伯爵、屋敷内を捜索させてもらう。……皆、入れ!」
ヴィークの掛け声で、兵たちが一斉に屋敷に押し入った。
「……どういうことだ」
喧騒の中で、ミード家当主は困惑と怒りの色を浮かべてディアナを見ている。
「……昨夜、オズワルド様から聞いたのよ。王宮にクレアって子がいるって。ディオンは王宮と王立学校の両方に出入りしているのに気が付いていないみたいだから、私がオズワルド様とお友達に頼んで動いたの。今日の会議で話すつもりだったわ。……でも、あの子が王家の盾になるだなんて、大袈裟よ。簡単に連れて来られたわ」
ディアナは当主のあまりの剣幕に『まずい』という顔はしているが、状況を理解している風ではなかった。
「何故、相談もなしにそんなことを……!」
「だって、お祖父様もお父様もディオンばっかりじゃない。私だってやればできるのに」
「殿下、庭に靴が。クレア嬢の名前が刺繍されています!」
敷地内を捜索中の兵からその声が上がった瞬間、ミード伯爵は声を張り上げた。
「ディアナ! ノストン国からの留学生にお前は一体何と言うことをしてくれたんだ!」
「お……お父様……?」
さっきまで、自分は悪くないとでも言うかのようにふくれっ面を浮かべていたディアナは硬直する。
「ヴィーク殿下! 今、娘が白状しました。ノストン国からの留学生をこの屋敷で監禁していると!」
ミード伯爵に視線が集まる。
「若い娘にありがちな、小さな嫉妬心からこのような行動に出たと言っています。留学生のことは、今娘が連れて参りますので屋敷内の捜索は不要です」
「……貴殿の娘一人の判断でしたことだと?」
ヴィークの瞳は、酷く冷えた色をしていた。この伯爵が、大罪をまだ15歳の娘一人に押し付けようとしていることに強い嫌悪感を持っていた。
屋敷の捜索を避けるためだけに娘をあっさり差し出すことがヴィークには不愉快極まりない。
「はい。私はたった今まで何も知りませんでした。クレアという留学生のことはすぐに連れて参ります。ですから屋敷を探す必要はございません。殿下、どうか兵をお止めください」
ミード伯爵からはどうしても屋敷を捜索させたくないという強い意志が感じられる。
「ミード伯爵がそこまでして隠したいのは、これかしら?」
二階から声がした。
ゆっくりと階段を下りてくるのは、クレアだった。
「……クレア! 無事か」
張りつめていたヴィークの表情に、安堵の色が浮かぶ。一階まで下り、ヴィークと目を合わせたクレアは、この場にそぐわない満面の笑みを浮かべた。それから、驚きのあまり声が出ないディアナに向き直った。
「ディアナ様、本日はお迎えいただきありがとうございました。おかげで、こんなに素晴らしい証拠が見つかりましたわ」
「……それは!!」
当のディアナはぽかんとしているが、隣にいたミード伯爵が慌ててクレアの手を掴もうとする。既のところで間にヴィークが立ちふさがった。ミード伯爵の後ろでは、出遅れたキースとリュイが待ち構えている。
「上の部屋で見つけました。これは、大量の武器や備蓄品を王宮を通さずに発注する裏取引の発注書です。しかも、オズワルド殿下の紋章入りの紙に書かれています」
「何だと」
クレアから紙を受け取ったヴィークは、その内容を食い入るように読んだ。
パフィート国・ノストン国のどちらでも、大量の武器や有事の際に必要になる備蓄品は王宮を通さないと購入できないシステムになっている。
これは、クーデターを防ぐために厳密に管理されている決まりで、もし破った場合は最悪領地と爵位が没収されるという厳しい罰が待っていた。
裏取引に関わったものは、同等の処分を受けることになる。クーデターが成功した後の見返りをちらつかせるためにオズワルドの紋章入りの紙を使ったことが今回は仇になったようだ。
「……キース、リュイ」
「「はい」」
「王宮に至急戻って、兄上……オズワルド殿下を捕らえよ」
「「御意」」
「ミード伯爵、ディアナ嬢。王宮まで連行させてもらう。……前当主もだ」
企ての証拠を掴んだ後は、当然その罪に対しての裁判が行われる。しかし、今回に関しては裁判を開くまででもなく結末が分かっていた。
今、クレアの目の前にいるヴィークの瞳には何も映っていない。ただ、そこには国を継ぐものとしての矜持だけがあった。
ミード家を連行するヴィーク達に帯同してクレアは王城に戻ることになった。
「……また、靴を履いていないのか」
クレアの足元を見て、ヴィークが力なく笑う。
クレアのほうも、何も言わずに微笑んだだけだった。
―――――
オズワルド・ミード伯爵家・リウ侯爵家に関する裁判は、迅速に行われた。過去の歴史のこともあり、パフィート国では王家への反逆は重罪だ。どんな理由があろうとも処刑は逃れられない。
罪人が捕らえられた日から一週間。ミード伯爵家の当主・前当主、オズワルド、リウ侯爵は処刑、残された一族も爵位やすべての地位や財産を剥奪されたうえで国外退去という処分が決定した。
ディオンだけはクーデターの阻止に貢献したとして減刑が認められ、ミード家の存続こそは叶わなかったものの、新たな名前を持ってパフィート国で生きていくことが許された。
「僕の新しい名前は、ディオン・ミノーグ。なかなかいいでしょ」
ディオンが、空元気にも思える無邪気さで言う。
「そうね」
クレアは少しだけ微笑む。
今日は、一連の重罪に関わった者たちが処刑される日だった。
「由来は、父が昔買ってくれた本に載っていた主人公の名前さ。ミード家との関わりはないし、それぐらいはいいよね?」
「ええ。素敵だと思うわ。……とても」
今度は、クレアは表情を緩めずにディオンの目をまっすぐ見つめて言った。
「僕なりに、魅了は関係なくこうなることを分かったうえでこちらについたんだけどね。……いざ処刑となると、やっぱり辛いや。真っ黒な犯罪者とはいえ、僕にとっては家族だからね」
「……」
クレアは、何と答えていいか分からなかった。ディオンがクレアに魅了されなかったとしたら、まだミード家が処分を避ける望みはあったかもしれない。もちろん、それでは王家が痛みを受けることになったのだが。
それを思うと、どんな言葉もこの場にはふさわしくない気がした。
(ヴィークも、きっと同じ気持ちでいるはず)
ヴィークは、オズワルドが捕らえられて以来、王立学校に来ていなかった。裁判が終わるまでの間、王宮を出ずに過ごしている。事態を考えれば当然のことだった。
クレアとディオンは、がらんとした王宮の教会の椅子に少し間を空けて座っている。
ほかに人はない。
遠い彼方で、民衆が罪人を追及する声が響いていた。
2人は、祈りながら永遠にも思える長い一瞬を過ごした。
―――――
その日の夕方。
離宮の私室に戻ると、ソフィーが微妙な表情を浮かべている。
「あの……クレアお嬢様」
「どうしたの、ソフィー」
「実は、……さっき、ヴィーク殿下からこのようなお手紙が」
「?」
ヴィークから手紙が届くのは別に珍しいことではない。ソフィーの様子を不思議に思ったクレアは、手紙を受け取って確認する。
その内容は、『今日の夜、自分の私室に来るように』というものだった。
「ソフィー……この手紙は、そういう意味ではないわよ」
「しかし、お嬢様」
「これを見て。『強いお酒を持って』と書いてあるわ。きっと、皆で献杯をするのよ。……お兄様のために」
クレアはそう言うと、視線を床に落とした。
夜が更けてから、クレアは前回の人生での記憶を頼りに王族が暮らす王宮の奥のエリアへと向かった。リュイたちの部屋の前を通るときに声をかけようか少し迷ったが、やめておく。
(もうヴィークの部屋に集まっているかもしれないわ)
クレアは、ヴィークの部屋へのつなぎの間に立つ衛兵に懐中時計を見せ、扉の前に立った。
コンコン。
軽くノックをしてみたが、返事はない。
リュイたちが先に来ているかと思ったが、中からは特に声がしなかった。
(私室だけれど、このまま入っていいのかしら)
考えてみれば、ヴィークの私室を訪ねるのはこれが初めてだ。ヴィークに限って、ソフィーが心配していることがあるはずはない。
しかし落ち着いて考えてみると、クレアがヴィークの私室を1人で訪問していいわけもなかった。恐らく、醜聞を避けるためにも今頃リュイがヴィークの指示でクレアを迎えに行っている気がする。
(……一度、戻った方がいいかしら。でも……)
迷った末に、クレアは重い扉をそっと押して開けた。
「お、一番乗りか」
クレアの私室の三倍はありそうなだだっ広い部屋の床に、ヴィークは一人で座っていた。灯りはないが、月明かりが差し込んでいて不思議と暗さは感じない。テラスへと続く窓は全て解き放たれ、カーテンがはためき風が吹き込んでいる。
「そのようね。三人はまだ来ていないの?」
「……だな。リュイを迎えに行かせたんだが、会わなかったか」
「やはりそうだったのね。リュイに悪いことをしてしまったわ」
クレアはそう言いながら、床に敷かれたブランケットに座る。
「ここは固いぞ。ソファを使え」
「いいえ。今日は私もこちらで」
「……感謝する」
ヴィークは、クレアの意志を察したようだった。
準備されていたグラスに、蒸留酒を注いでクレアに手渡す。蒸留酒が入っているボトルは、何だか特別なものに見えた。
ボトルに興味を持っている様子のクレアに気が付いたヴィークが言う。
「光の当たり具合によって色が変わる瓶は珍しいだろう。魔法は使われていないんだぞ? この蒸留酒は、15歳の誕生祝いに兄上から貰ったんだ。俺が国王に即位した後、一緒に飲もうという言葉を添えてな」
クレアは何と答えたらいいのか分からなかった。ただただ、ヴィークの言葉を肯定するためにこくんと頷く。
「小さい頃から、どこか遠い存在の人だった。仲良く遊んだ記憶はないし、必要以上に近づいてはいけないとも言われていた」
「……ええ」
「自分でも、こうなることを予想していたのかもしれない。しかしこの数か月、将来この酒を酌み交わせる日がくるのではとどこかで期待していた……」
クレアの目に映る彼は、自分と同じ年とは思えないほどに大人だった。国のために生き、想像を絶する重圧に耐えながらも、心の底から頼れるのはごくわずかな人間だけ。
今回も、第一王子としての立場を優先し、自身の兄が処刑される結末を自ら先導しなければいけなかった。ヴィークのことだ。きっとこの一週間、人前では顔色一つ変えずに堪えてきたのだろう。
そして、これからも気丈に振る舞うのだろう。……側近たちの前でさえも。
「……っ」
気が付くと、ヴィークの肩は小刻みに震えていた。
それを認めた瞬間、考えるよりも先にクレアの体は動いていた。
ヴィークの手から蒸留酒が入ったグラスがごとん、と滑り落ちる。転がったグラスはそのまま拾われることなく、ブランケットにしみをつくった。
彼の目から零れる涙を隠すように、クレアはヴィークを包み込んでいた。ヴィークは何も言わない。彼の手がクレアの背中に回されることもない。
ただクレアは、自分の涙も拭わずに、彼を強く強く、抱きしめたかった。
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