第56話 ディオンの処遇
翌日。
クレアは泣き腫らした目で起きた。今日が王立学校の休日でよかったとクレアは心から思う。
「お嬢様、冷やしたタオルを置いておきますね」
クレアの顔を見て、事情を察したソフィーが目覚めの紅茶とともにタオルを置いてくれる。
「これは、かなり赤くなってしまってますねぇ」
「ねぇ、ソフィー。冷やしてくれない?」
クレアの顔を覗き込むソフィーに、少しだけ甘えてみる。
「あら、お嬢様ったら。いいですよ」
ソフィーは微笑んで、優しくクレアの目元にタオルをあてた。
(誰かに癒してもらえることが、こんなに安心で心地良いなんて。私は幸せだわ)
クレアは、また鼻の奥がツンとなった。
ロビーの呼び鈴が鳴った気配がする。
「こんな早くに、どなたでしょうね」
ソフィーが出て行く。しばらくして、次の間からはリュイの顔が覗いた。
「クレア、おはよう」
「リュイ……!」
「目が腫れているんじゃないかと思って、朝のうちに治せるよう聖女に薬をもらってきた」
「ありがとう、リュイ。でも、泣きすぎに効く薬なんてあるのね」
「うん。効かせるのに少しコツがいるけれどね」
リュイはそう言うと、手にしていた小さな包み紙を破り、薄い青色の粉を手に広げた。数秒、魔力を込めると洗面用の小さなたらいに粉を入れる。
「これで顔を洗えば大丈夫。気分もすっきりするよ」
「わざわざありがとう。うれしいわ」
クレアは微笑んだ。
「それから、こっちはヴィークから」
リュイはもう一つ手にしていた箱をサイドテーブルの上に置く。
クレアが中を確認すると、中には瓶入りのクッキーが入っていた。贅沢に使われたドライフルーツが宝石のように美しい。
「とってもキレイ……でも……」
「特に深い意味はないと思うよ。安心して受け取って」
クレアの困惑を感じ取ったリュイがすかさず言う。
「……」
しかし、朝の贈り物は本来は特別な意味を持つものだ。特に意味がないと言われても、クレアは自分の昨夜の振る舞いが脳裏をかすめる。
「私達もこの贈り物を側近として止めなかった。これは、ただの感謝の意。だから受け取ってほしいな」
リュイが大人っぽい微笑を浮かべて、さらに続ける。
「昨日は、ヴィークの荷を降ろしてくれてありがとう」
「リュイ……」
「ヴィークは絶対に私たちの前では泣かない。どんなに辛いことがあっても、平気な顔をして前を向いている。主人としてはこの上なく誇らしいけれど、友人としては心配だからね」
その言葉を聞いて、クレアは自分の昨夜の行動を改めて思い返す。
ヴィークは、クレアの行動に驚いてすぐに涙が止まった様子だった。
問題はクレアだ。涙が全く止まらず、あたふたするヴィークと遅れてやってきたリュイたちに必死で慰められる羽目になってしまったのだ。
ヴィークを抱きしめたことも含め、自分は何と大胆で迷惑なことをしてしまったのだろうとクレアは目の前のシーツに顔を埋めて叫びたい気分だった。
「何というか……本当にごめんなさい。昨日はオズワルド様のための会だったのに」
「ヴィークのために泣いてくれる友人がいるだけで、側近としては本当に心強いよ」
項垂れているクレアにリュイが優しいまなざしを向けたところで、ソフィーがまた顔を覗かせた。
「お嬢様、もう一人お客様です」
次の客は、ディオンだった。
「僕は今日で王宮を出ることになったんだ。全て終わったからね。軟禁生活も終了さ」
慌てて身支度を整え、リビングの応接に座ったばかりのクレアにディオンが言う。
「……」
「この後はどうするつもり?」
言葉が出ないクレアに代わって、リュイが聞く。
「当然だけど、王立学校は辞めるよ。家族や親戚も国外退去処分だし、頼れる人はいない。でも、初めて自由になった。クレアみたいに、好きなように生きてみたい」
ディオンの目は輝いていた。
「それでも……貴方の能力を生かせる生き方があると思うわ。もしその世界で生きていくなら学問は必要だし……」
クレアはここまで話して、ハッとした。
確かに、クレアが、ディオンの能力を高く評価しているのは事実だった。向こう見ずで命知らずなところはあるが、正しく導ける人の元で働くなら、この上なく優秀な味方に思えた。
しかし、ディオンが自由に生きたいと言っているのに、能力を生かすように言って縛り付ける。これでは、ミード家の当主たちと同じだ。
「……ごめんなさい。撤回するわ」
自分が発した言葉がはらむ横暴さに気が付いたクレアは、ディオンに謝罪する。
「ううん。クレア嬢が、そこまで僕を評価してくれるなんてうれしいな」
二人のやり取りを聞いていたリュイが言う。
「……ディオンへの温情措置は寛大すぎると言ってもいいほどのものだからね。ヴィークが相当頑張ったんだと思う」
「ああ。もちろん分かっているよ。僕が心からここに残ることを希望していたとしても、それは成しえない。ヴィーク殿下のためにも、日陰で地に足をつけて生きていくさ」
その言葉を聞いて、クレアはスカートの布をぎゅっと掴んだ。
実は、クレアにはディオンの処遇についてある考えがあった。
「ディオン様。私は、パフィート国での護衛がまだ決まっていないのです。折を見て誰かを雇うつもりだったの。もし良かったら……私の元で働いてはいただけないかしら」
想定外の提案に、ディオンは目を丸くしている。
「僕が」
「ええ」
「クレア嬢の、護衛に」
「ええ」
「……そうか。マルティーノ公爵家とディオンが直接契約を結べば、王宮に置けなくもないね。ノストン国王家からの賓客に準ずる扱いを受けているクレアの従者としてなら、多少無理もきく」
リュイの言葉にクレアは頷いた。
「もちろん、ディオン様の意志が一番大事なのだけれど。これを言うのは、私が貴方を魅了してしまったことに責任を感じているからではないわ。純粋に、貴方を評価しているの。今まで伯爵家の跡取りとして生きてきたのに、私の従者なんて申し訳ないけれど」
「クレア嬢……」
クレアには、ディオンに迷いがあるようには見えなかった。
「これ以上ない幸せな提案だよ。快諾したいね。……ドニ様との、夜間の外出は許可してもらえるのかな」
「……善処するわ」
冗談っぽく言いつつも、ディオンは喜びを隠しきれない様子だ。これで話はまとまった。
「そうなると、出来るだけ早くマルティーノ公爵家との契約を交わす必要があるね。ミード家は昨日付で爵位を剥奪されている。ディオンのためにも、一刻も早く後ろ盾を得たほうがいい」
「そうするわ、リュイ。早速お兄様に手紙を書いてみる」
父ベンジャミンに言ってもいいが、正直に言ってクレアのことにあまり興味はないだろう。
それよりは、ヴィークとクレアが懇意にしていることを間近で感じ、パフィート国王家との繋がりへの野望を抱える兄オスカーに頼んだ方が迅速に対応してもらえる気がした。
「今書ける? 私が送るよ」
「助かるわ。ありがとう」
クレアは、手紙を送るのは苦手だった。近距離であれば問題なかったが、遠距離になるとどうしてもイメージが掴めない。
パフィート国に来てから何度かシャーロットに手紙を出したことがあったが、毎回手間賃を支払って魔術師に依頼し、送ってもらっていた。
マルティーノ家の名で従者を雇いたいことに加え、ディオンの経歴を手紙に書き記す。
ディオンと話し合って決めた条件面やパフィート国に提出するために正式な契約書が欲しいことも付け加え、クレアは最後にサインをした。
リュイにオスカーのところへ着くように手紙を送ってもらうと、一息つく。
「恐らく、返事が来るまでに数日はかかると思うわ。正式に契約を交わしたら、空いている二部屋のうちの一つをディオンに使ってもらうつもりよ。それまでは、城下町の宿屋にいてもらってもいいかしら」
「もちろんだよ」
一連の作業を終えると、昼近くになっていた。
「二人とも、昼食は? もしよかったら、ここで一緒に食べない?」
「いいね」
「僕も一緒にいいかな」
「もちろん」
クレアがソフィーに伝えようとロビーに繋がるドアを開けると、そこには何やら書類を持ったソフィーが立っていた。
「お嬢様、マルティーノ家とノストン国のアスベルト殿下からお手紙が届いています。なんだか厚いお手紙ですわ」
「……早」
リュイの呟きが背後から聞こえた気がした。
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