第54話 潜入

 クレアは、ディオンを魅了してしまってから7日後の朝を迎えていた。

 今のところ王宮では特に大きな動きはない。


 相変わらず、爽やかすぎるディオンは王都内のミード家の別邸には帰れずに王宮の客室で過ごしていた。王立学校でもヴィークの側近としてすっかりなじんでいて、ミード家の狙い通りに事が進んでいると信じて疑わせなかった。


 昨夜、クレアの部屋を窓から訪問したヴィークも


「情報の収集は進んでいるが、決め手となる証拠がない。ただ、ミード家では第一王子に近い位置で間諜を送り込むことに成功したと思っているらしい。……まぁ、数日のうちに決着がつくはずだ」


 と言っていたくらいだ。


 これから何が起きるのだろうと緊張感を持って暮らしていたクレアだったが、少しだけ気持ちが緩みはじめているのは事実だった。


(事態が動くのはこれからだから、用心するに越したことはないとヴィークは言っていたわ)


 王立学校の制服に着替え、身支度を整えるといつものように自分に加護をかける。


 クレアに関する情報がオズワルド・リウ陣営に行っていないとはいえ、クレアが予定より一年早く王立学校に来ていることがミード家に知れるのは時間の問題だった。


 それを見据えて、ヴィークは事態が決着するまでの間クレアに護衛として常時リュイを付けたいようだったが、クレアは固辞した。それよりもヴィーク自身の警備を厚くしてほしいという想いからだ。


「ソフィー、行ってまいります」

「いってらっしゃいませ、お嬢様」


 加護がかかっていることを改めて確認し、背筋をシャンとして離宮の自室を出る。


(……!)


 そこには、オズワルドがいた。


「おはようございます、クレア嬢」

「……おはようございます、オズワルド殿下」


 飛び上がりそうなほどに驚いたクレアだったが、そんなことは噯にも出さない。微笑んでスカートを軽くつまみ、淑女らしく挨拶をした。


 これから執務室へ行くところなのか、オズワルドはたくさんの書類を持っていた。ふと、オズワルドの手元からペンが転がり落ちる。クレアはそれをスッと拾うと、オズワルドに渡した。


 ペンには紋章が刻まれている。ヴィークの紋章は王冠と剣をモチーフにしたものだが、オズワルドのものは名前と盾をベースにしたシンプルなものだった。


「ありがとうございます、クレア嬢。今朝は随分と早いのですね」


 その言葉でオズワルドが自分を待ち伏せていたわけではないと知り、クレアはホッとする。


「はい。先生にお聞きしたいことがありまして」


 クレアはニッコリと微笑む。本当は、リディアに詩集を借りるため早く登校するつもりだったのだが、形式的な会話と判断したクレアは当り障りない返答をする。


「正面の入り口まで送りましょう」

「ありがとうございます、殿下。しかし、私の迎えは離宮ではなく王宮の正面にお願いしているのです。かなり距離がありますし、大丈夫ですわ。お心遣い、感謝申し上げます」


「……今日は、王宮の正面は使えないようです。来客があるため、門も含めて閉鎖されていると」


 クレアには一瞬、オズワルドの表情が曇ったように見えた。


(昨日、ヴィークはそんなことは言っていなかったわ)


 心の奥で警報が鳴り始める。


 この、ぴりぴりとした感覚にどう対応しようか頭をフル回転させる。隣を歩くオズワルドの視線の先には、離宮の正面入り口につけた見慣れた馬車があった。


「……!」


 しかし、馬車に乗っているのはいつもの従者ではない。さらに、扉を開ける者もいなかった。恐らく、中を見せたくないのだろうとクレアは推測する。


(昨夜、ヴィークは決め手となる証拠がなかなか見つからないと言っていたわ)


 クレアは、誘いに乗ってはいけないことは分かっていた。ノストン国からの留学生として、軽率な立ち振る舞いがヴィーク達に迷惑をかけてしまうことも知っている。


 しかし、脳裏には魅了される前のディオンの言葉が浮かんだ。


『君のことは、魔力に差がありすぎてどう考えても消せない』


 それは、何よりもヴィークを守りたいと願うクレアを勇気づけ、突き動かすのに十分だった。


「そうだったのですね。教えてくださり、感謝申し上げます」


 声が震えることはなかったが、足の感覚がしないほどに緊張していることをクレアは認めざるを得ない。


「お気をつけて」


 オズワルドは馬車から少し離れた位置で立ち止まり、クレアを見送る。


 クレアは馬車の一歩手前で振り返り、オズワルドに会釈をしてからすうっと息を吸って馬車の扉に手をかけた。


(意志に反して連れて行かれるのではなく、潜入だと思えば怖くないわ)


 そして、一気に扉を開ける。


「おはようございます、クレア様」


 そこにいたのは、ディオンの双子の妹ディアナだった。


「おはようございます。……あら、今日は相乗りなのですね」


 事情を知っていることを悟られないよう、クレアは微笑んでしらを切る。


「本当に何も知らないのね。それなのに……かわいそうな子」


 ディアナはそう言うと、クレアの口にハンカチを充てた。眠らせるのに魔法ではなく薬品を使っていることを考えると、力のある人物が実行犯としては関わっていないことが容易に想像できる。この誘拐はあまりにも稚拙すぎるとクレアは思った。


 当然、加護をかけているクレアには薬は効かない。


「何を……するの……」


(薬でよかったわ。魔法で攻撃されては跳ね返してしまったかもしれない)


 そう思いながら、クレアは気を失ったふりをした。


 どれぐらいの時間が経ったのかは正確には分からない。しかし、そう遠くない距離を走った後、馬車はどこかの屋敷に到着した様子だった。


 馬車が止まると、周囲には複数の人間の気配があった。気を失ったふりをしているクレアは布でくるまれ、屋敷内へと運び込まれる。


 階段を上っているような感覚があって、少し行ったり来たりした後、無造作に固い床に置かれた感触があった。


(痛っ……)


 しばらくすると、ガチャっと鍵がかかる音がして、さっきまで共にいた複数の足音が遠ざかっていく。


 周囲に誰もいなくなったことを確認してから、クレアはそうっと目を開けた。


「ここは……」


 そこは、狭い部屋だった。飾り気のない椅子が一脚置かれているほかは、何もない。ただ、この部屋には魔法を制御する術がかけられているようだった。


(これは解呪を使えば簡単に壊せそうだわ)


 前に王立学校で習った解呪は、ただ単に術を解くためだけのものだった。しかし、上位の魔力の色や量と引き換えにすることで、魔法自体が使えない空間でも精霊は動いてくれるということをリュイに聞いたことがある。


 クレアには、証拠を確実に手に入れるためもう少しだけ状況を見守ってから動き出したい気持ちもあった。


 しかし、オズワルドとミード家がこんなに大胆に動いているということは、ヴィークの身にも危険が迫っているということだ。もしかしたら、一刻の猶予もないかもしれない。


(精霊よ、我の魔力と引き換えにこの空間の解呪を)

 体にしっかり魔力を満たしてから手短に詠唱すると、キンッという音が耳の奥で響いた。無事に術は解けたようだ。


(これで、自由に動き回って証拠を集められるし、いざとなれば転移魔法で王宮へ帰れるわ)


 すべて計算したうえでの行動だったが、クレアは改めて安堵する。


 次に扉の鍵も壊したかったが、やり方がよく分からない。これは扉ごと壊すしかないかしら、と思いながら手をかけると、ドアノブは容易に回ってくれた。


(『解呪』で一緒に開けてくれたんだわ)


 精霊に感謝しながら、音がしないようにそうっと開ける。わずかにできた隙間から廊下を覗くと幸い見張りはいないようだった。

(よかった。向こうも魔法で制御できていると思っているから、見張りはいないのね)


 クレアの靴の片方は、布にくるまれて運ばれる途中でどこかに行ってしまったようだ。靴を履いていない方が音がしなくてちょうどいい、そう気が付いたクレアは残っていたもう片方の靴も脱ぎ、そろそろと部屋を出た。


 ―――――


「それは、一体どういうことだ」


 その頃、王立学校ではクレアがまだ登校していないことを知ったヴィークが動揺していた。


「クレア様と一緒に詩集を読もうと思いまして、今朝は30分早く登校すると約束していたんです。でもまだいらっしゃっていないの。いつもしっかりしたクレア様が……なんだかおかしくはありませんか、殿下」


 リディアが心配の色を浮かべている。


 リディアの心配と現在の状況を一瞬で繋げたヴィークは、厳しい目でディオンに言う。


「王宮へ戻る。護衛を頼めるか、ディオン」

「もちろん、殿下。……でも、行き先は王宮ではない気がします」

「ではどこだ」


「この王都にあるミード家の別邸です。実は今朝、妹から家族会議があるから殿下に適当な言い訳を付けて一旦屋敷に戻るようにと手紙が来たんです。妹は当主からあまり信用されていないので殿下に報告はしなかったんですが。……しかしこれは、タイミングが良すぎるかと」


「……確かにそうだな」


「リディア」

「はい」

「王宮のキースに手紙を頼む。王都ウルツのミード伯爵邸へ、至急来るようにと」


「承知いたしましたわ」


 命を受けたリディアは、紙を取り出すとスラスラとヴィークが言った通りの文言を書き記す。手早く書き終わった後は手紙を四つ折りにし、手のひらにのせて魔力をこめ、ふうっと吹く。すると、手紙は一瞬にして消えた。


 リディアが手紙を送り終わる頃には、ヴィークとディオンの姿はすでになかった。


「クレア様……」


 リディアは、手を組んでクレアの無事を祈った。


 ―――――


 ヴィークやリディアの心配をよそに、クレアは屋敷内をわりと自由に動き回っていた。ここは、悪名高いミード家が人を監禁するにしては警備が本当に手薄だ。


 クレアが監禁されているのは二階だったが、この屋敷には見張りの兵士だけではなく使用人や侍従の気配すらも感じられない。


(何だかおかしいわ……この『誘拐』には、本当にミード伯爵が関わっているのかしら)


 証拠が見つかり次第、転移魔法が使えるように魔力を満たしながらクレアは思う。


「……」


 階下で、呼び鈴が鳴った気配がする。


 誰かが上がってきては大変と、クレアは慌てて一番近くの部屋に隠れた。


「ここは……?」


 クレアが偶然飛び込んだその部屋は、書斎のようだった。


 ホコリはなく、普段から使用されているようだ。この部屋の持ち主と鉢合わせする可能性はあるが、その分明確な証拠が見つかる可能性も高い。


(この部屋を少し調べてみよう)


 そう思いながら、クレアはカーテンを少し開けて窓から外の様子を窺う。この来客は、随分大掛かりなもののようだ。装備をしっかり整えた騎士たちが数十人単位でいる。


(もしかしたらこれはクーデターを起こす準備なのかもしれないわ。証拠を探すより、王宮に知らせに帰るべきかしら)


 クレアが焦り始めた時、中心によく知っている顔を見つけた。


「……!」


 ひときわ目を引く外見に背格好。指揮を執っているのはヴィークだった。その隣には、キースとリュイ、ドニ、後方に隠れてディオンもいる。クレアを助けに来たとは限らないが、少なくともこれはクーデターの予兆ではないらしい。


(よかった……ヴィークには状況が伝わっているのね)


 精一杯強がりながら彼の身を案じてばかりいたクレアは、足の力が抜けて床にへたり込む。あとは、自分がこの屋敷内で一刻も早くミード家の企てを裏付ける証拠を見つけるだけだ。


「……?」


 座り込んでしまったクレアの手には一枚の紙が触れる。よく見ると、それは今朝見たものと同じ紋章が入った書類だった。


「あったわ……!」


 クレアは、目を輝かせた。

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