第52話 告白

 その日、ディオンは王宮の客室に泊まることになった。あまりにも邪気がなく爽やかな立ち振る舞いのディオンをヴィークが心配したためだ。


 企みが全て王宮に筒抜けになっているとミード伯爵家に気付かれた場合、捨て身でクーデターを即実行に移される可能性もある。事態の推移を慎重に見守るための策だった。


 しかし、ディオンがこちら側になってしまったことを長く隠すのは難しい。というわけで、なるべく早く動くため、ディオンの客室に集まって作戦会議を開くことになった。


 夕食を終えた後の時間だったが、クレアも夜間の外出を心配するソフィーを説得して会議に参加していた。


「表向きは、当初のミード家の狙い通り、王立学校でヴィークに取り入ることを成功させたっていう風に見せるのがいいんじゃない」


 ドニの意見に、キースが同意する。


「だな。現状、ミード家が王家への反逆の意志を持っているという証拠は、ディオン卿の証言だけだ。このまま明確な証拠がないうちに動いて、狂言だと言われたらどうしようもない。さっきは熱くなって、すまなかった」


 キースに頭を下げられたヴィークは、しばらく考え込んだ後に呟く。


「……いや。俺も少し迷った。……だが……、」

「殿下の懸念通り、うちの前当主はあっさり僕のことを切り捨てると思うよ。死に損は嫌だな」


 ヴィークの歯切れの悪さに、言わんとすることを察したディオンはあっさりと言った。


 その言葉を聞いて、クレアは少し心が痛む。自分の境遇を重ねたのはもちろんだったが、ディオンの明るさが魅了だけによるものとはどうしても思えなかった。


(ディオン様は、元々朗らかな方だったのかもしれないわ。だとしたら、どれだけの葛藤があったことか)


 床に敷いたブランケットの上に座り込んで話し合う男たち4人の姿を見て、クレアは手元のカップに目を落とした。


「お茶のお代わりは?クレア」


 沈んだ様子のクレアを気遣って、リュイが声をかける。


「ありがとう、リュイ。でも大丈夫よ」

「そう」


 リュイは優しく微笑んで、クレアの隣のソファに腰かける。


「……今日、クレアがここに来たのは何か話したいことがあるからではない?」


 リュイの言葉に、クレアはドキッとした。


 そう、クレアには、ディオンにどうしても確認しておきたいことがあったのだ。


「なんだ、クレア」


 クレアとリュイの会話に聞き耳を立てていたらしいヴィークが、ブランケットの上からクレアに声をかける。


(ええと)


 心の準備ができていなかったクレアは、無意識のうちにディオンへと目線を送っていた。ディオンが笑顔で頷いたのを確認して、クレアは一呼吸置いてから話し始める。


「……ディオン様は、オズワルド殿下のことを知っているのよね」


 この問いは、パフィート国の国民であれば誰もが答えられるはずの簡単な質問だった。ヴィーク達の顔には疑問符が浮かんでいる。


「ああ、もちろん」


 だが、ディオンはクレアの意図を正しく理解したようだった。


「どこまで話していいかな?」

「貴方だけが知っていること全てを」

「了解、クレア嬢」


「オズワルド殿下って、どういうことなんだ? クレア」

「いい。……続けろ」


 キースが割って入るのをヴィークが止める。2人のやり取りを聞いていたヴィークは、ミード家の策略に兄が関わっている可能性を察していた。


「まず、逆行前のことだ。秘密裏に処理されているけれど、オズワルド殿下は、ヴィーク殿下に毒を盛ろうとしたんだ。まぁ、そんな手に引っかかる殿下ではないし、側近たちが許さなかったからあっさり失敗したよね。クレアがパフィート国にやってくる半年ほど前のことかな。同時に、彼を推していたリウ侯爵家も没落した」


 ディオンが一息に話し終わったところで、キースが頭を抱える。


「ちょっと待て。それは一体どういうことだ。最初から最後まですべて、理解できる部分が少しもないのだが」


「うん。全然意味がわかんない。そもそも、オズワルド殿下がヴィークに毒を盛ろうとなんてしたことないし。もしあったとしたら、僕たちが知らないはずないよね」


 ドニも困惑している。


 一方で、クレアの紅茶が入ったカップを持つ手は、カタカタと震えていた。オズワルド殿下がいなくなる理由としては想像していた範囲の出来事だが、実際に詳細を聞くと正気ではいられなかった。


 何よりも、クレアは自分が出会うまでの間にヴィークを襲った酷い仕打ちにショックを受けていた。


(あの、ヴィークをそんな事件が襲っていただなんて)


 クレアが知っているヴィークは、いつも自信たっぷりで求心力があり、そして優しさに満ち溢れていた。若さにそぐわない厳しさや判断力も彼のオーラを増していた。


 それらがすべて、第一王子として生まれたゆえに背負わなければいけない苛烈な運命のもとに積み上げられたものだとしたら。そう思うと、クレアは、言葉では表現しがたい感情に押し潰されそうだった。


「……大丈夫か」


 無意識のうちに、クレアの目には涙が溜まっていた。それに気が付いたヴィークはブランケットから立ち上がり、クレアに自分の上着をかける。


 しかし、気遣うヴィークの表情には困惑の色が浮かんでいた。ディオンが話した内容を理解できるのはクレアだけなのだから、当然だ。


「今日はいろいろなことがあって疲れたのだろう。無理をするな。……リュイ、部屋へ」


 ヴィークの命でリュイが動こうとするのを、クレアはなんとか制止する。


「……待って。まだ、話はここからなの」

「……どういうことだ?」


 ヴィークはクレアの前に跪いた。それから、一瞬躊躇ってから手を取る。クレアがそれを拒否しないことを確認すると、顔を覗き込んだ。


 クレアはこの瞬間でさえ、自分が逆行しているのを打ち明けることに葛藤があった。自分の願望を達成するためだけに未来に手を加えてもいいのか、そういう思いもあった。


 しかし、手に恐る恐る触れたヴィークの温もりは、クレアの決意を後押ししてくれた。


「……私は、ディオン様が今話した内容を本当のことだと信じるわ。なぜなら、彼と私は未来を知っているから。私はディオン様を巻き込んで時間を逆行し、1年半後の世界からやってきたの」


「クレア……?」


 リュイの戸惑ったような声に重ねて、クレアは続ける。


「今はまだ信じてくれなくてもいいわ。でも、私はまだ皆が私に話していないことをたくさん知っているの」


 自分が逆行していることを信じてもらうには、とにかく話をするしかない、クレアはそう思っていた。皆で旅をしたこと、たくさんの話をしたこと。もう、それらを同じ思い出として共有することは叶わなくなってしまったが、ヴィークを守るための手段として使えるならそれでもうれしかった。


 クレアは、隣に座るリュイの方に向き直る。


「リュイは……クールに見えるけれど、心の中は熱くてとても強く、優しい人。紅茶はいつもストレートしか飲まないわ。リュイのお父様は、第一王子の近衛騎士を務めていることを良くは思っていないの。でも、ヴィークのことを弟のように大切にしているのを知っているから、意志を尊重してくれている」


「……!」


 リュイの瞳が驚きで揺れている。クレアが話した内容は、まだこの人生では誰も触れていないことだったから当然だ。


「重要な任務の前の、緊張感に満ちた横顔が私はとても好き。私は、貴女を守りたかった」

「……」


 何かを言おうとしたリュイだったが、クレアが続ける言葉に考え込んでしまった。


「……クレアお嬢様。じゃあ、僕は?」


 初めは困惑していたドニがクレアに聞く。リュイの背景を言い当てたことで、真実味があると判断したようだ。場を和ませようと少しふざけた口調だが、瞳の奥は真剣だ。


「ええ、ドニはね」


 クレアは微笑んで答える。


「いつも女の子に囲まれてパーティーばかりしているけれど、王立学校を首席で卒業した秀才なのよね。先の世界では、リュイも悔しがっていたわ。そして、すごく気遣いができる人よ。外でお酒を飲むときは、皆に飲ませてあげて、自分はほとんど飲まないの。いつもナッツばかり食べていた気がする」

「……合ってるな」


 呆然としているドニを横目で見ながら、キースが呟く。さらにクレアは続ける。


「キースは、なにかあるといつも真っ先に盾になる人ね。すっごく怖いお姉さまがいらっしゃると言っていたわ。先の世界でヴィークとドニに聞いたのだけれど、こんなに優しくて強いキースなのに、お姉さまを怖がっているだなんて面白くて私笑ってしまったの。結局お会いできなかったけれど、今回は会ってみたいわ」


 クレアがそこまで話す頃には、一同の中にはクレアが言う『逆行』を信じる雰囲気が出来上がっていた。ヴィーク以外と親しく過ごす時間が少なかったこともあり、クレアが話した内容は全てまだクレアが知りえないものばかりだったからだ。


「クレアの話は本当のような気がする。ただ……その、逆行の魔法はどうやって発動させるのか聞いてもいいかな。全く聞いたことがない」


 リュイの質問に、クレアはドキッとする。


「すごく……悲しい出来事があって。過去に戻りたいと思っていたら、何故か魔力を使い果たしたタイミングでその出来事の起点となる場所に逆行してしまったの。ディオンの魔力を共有していたから、彼も道連れになってしまったわ」


「「「「!!!!」」」」


 ヴィーク達の目線が、一気にディオンに集まる。


「あ、僕はさっき魅了されるまで悪い奴だったからね。逆行前も、クレア嬢の魔力を弱めようと禁呪を放ってあっさり跳ね返されちゃったんだ」


 ディオンが屈託のない笑顔で言う。


「クレアは、それほどの魔力の持ち主なのか」


 ヴィークの質問に、クレアは頷いて答える。


「……私の能力は、実家では認めてもらえなかったけれどね。そして、魔力の色は自分でも分からないの。一度目の人生で偶然リュイが洗礼の場にいたのだけれど、見たことがない色だと言っていたわ」


「銀より上……まだ、世界に存在したことがない色」


 リュイが自分自身に言い聞かせるように呟いた。


「私の母は、リンデル国の生き残りだと言われているわ。だから、洗礼を受けるにはリンデル島の聖泉が必要だったの」


「そう。で、魅了される前の僕はクレア嬢が洗礼を受けるのを阻止しようと思って動いたんだ」


「それは何の為だ。そんなことをしてミード家に何のメリットがある」


 ヴィークの質問に、ディオンが詰まる。


「それは……」


「それは、将来、私は王宮の魔術師として王家の盾になるからよ」


 実際のところはちょっと違うが、クレアにはそれ以外の言い訳が見つからなかった。どう考えても、遠くない未来に貴方と婚約します、だなんて言えるはずがなかった。


 気まずさで頬が火照っていくことに気が付いたクレアは、少し俯きヴィークがかけてくれた上着に顔を埋める。


「……クレアとディオンの話を総合的に考えると、ミード伯爵家とオズワルド殿下、そしてオズワルド殿下を推すリウ侯爵家はパフィート国の実権を握る機会をずっと窺っている。そしてクレアはその障害になり得ると認識されている、ということでいいか」


 キースも、困惑しつつやっと話を理解したようだった。


「それは、厳密に言うと違うね」


 ディオンが否定して続ける。


「逆行前の世界ではミード家と、オズワルド殿下・リウ侯爵家はそれぞれ別々に王位を狙っていた。でも、今は違って三者は共謀しているんだ。計画はもっと違ったものになると思う。あと、現時点でクレア嬢を気にしているのはミード家だけだ。しかも、クレア嬢が逆行していることを知らないから、彼女は今のところ安全だよ」


「なるほどね……これは、側近として国王陛下に即報告したい案件だけど、いい?ヴィーク」


「ああ。それだけ用意周到となれば、事態は唐突に動く可能性大だ。つまり現時点で叩けば証拠は揃うだろう」


(よかった。将来、パフィート国とノストン国の間に亀裂が生じることまでは言えなかったけれど、今日はこれでいいわ。とにかく、今はヴィークを守らなくては)


 ヴィークとリュイが話すのを聞きながら、クレアはホッとしていた。

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