第37話 兆し

 パフィート国を出発してから6日間。クレアたちは、イーアスの関所まで来ていた。


「ここまで来たら、王都ティラードへは2時間ってとこだね」


 イーアスの街にあるカフェで休憩しながらリュイが言う。


 ヴィークは、馬車の中でキースやドニたちと一緒に到着後の打ち合わせ中だ。ずっと馬車の中にいてはつまらないだろう、とヴィークはクレアにリュイを伴っての外出を許可してくれたのだった。


「半年前、ここで出会ったのよね、私達」


 クレアの言葉に、リュイは目を合わせて優しく微笑む。


 ふと、クレアは気が付いた。リュイがいつもまとっている冷静で穏やかな空気の中に、少しの緊張が含まれているということを。


 それは任務中の彼らにいつも感じるものではあったが、今日はさらに色濃い気がした。


(やはり、他国に来ると警戒レベルが上がるのかしら)


 不思議に思ったクレアは聞いてみる。


「リュイ、いつもより張りつめている気がするけれど」

「気が付いた? ごめん、怖いかな」


 フッと笑うリュイに、クレアは慌てて首を振って答える。


「そういう意味ではないの。……何というか……いつもよりさらにかっこいいわ」


 リュイは照れ臭そうに言う。


「王宮に到着したら、ヴィークの加護を解かなければいけない。……それが外交儀礼だからね。ノストン国は友好国だから心配はないけれど、不測の事態から殿下を守るのは私達の役目。だから、少し緊張してる」


「……ごめんなさい。私、無神経だったわ」


 クレアは今更ながら、リュイたちが抱えている近衛騎士としての重責を再認識した。


「こっちこそ、ごめん。クレアの祖国を警戒しているようなことを言って」

「リュイのお仕事を考えたら、当然よ。いざというときは、私もフォローするわ! ……手持ちのカードは少ないけれど」


 クレアは指を折り、肩をすくめながら宣言する。


「心強い」


 2人は、仲良く笑い合った。


 カフェでの楽しいひと時を過ごして馬車に戻ったクレアは、ヴィーク達から到着後の予定を聞く。


「到着する頃には夕方だ。着いたらまず、ノストン国の国王へ書簡を届けに行く。明日は歓迎式典があって、その後夕方から夜会だ」


 事前に聞いていた予定と何ら変わりはない。クレアは頷いた。


「明日の夜会にはクレアも俺の婚約者として出席してもらう。準備はしてきているな」

「ええ」


「歓迎式典後の茶会で、クレアとの婚約のことを国王に話すつもりでいる。それまでは居心地が悪いかもしれないが、辛抱してくれ」

「承知いたしました、殿下」


 ヴィークの瞳は、ずっと鋭いままだ。王都への到着が迫っていることを実感し、クレアもぴりっと身が引きしまった気がした。





 2時間後、一行は予定通りノストン国の王城に到着した。


 城下町から王城までの国民の歓迎っぷりは物凄いもので、このときばかりは目立つヴィークの隣にはキースが座り、クレアは侍女と同じ馬車に乗せてもらった。


 こっそり窓の外を覗き見ると、熱狂する国民の向こう側に懐かしい街の風景が見える。


 到着してすぐ、書簡を届けるため国王の元に向かおうとしたヴィーク達を王宮前で出迎えたのは、第一王子のアスベルトだった。


(……!)


 クレアは思わず、侍女の陰に隠れる。


 髪を切り、異国の服を着たクレアにアスベルトが気付くことはあり得ないと分かっていたが、俯いて気配を消した。


「では、行ってくる」

「行ってらっしゃいませ、殿下」


 ヴィーク達を見送ったクレアは、一足早く侍女たちと王宮内の客室へ行くことになった。


 王宮内に入り、白壁に囲まれた見慣れた景色を見渡す。パフィート国の王宮の庭園にはない花の香りが、クレアのノスタルジーを刺激した。


(少し時間が空いただけなのに、なんだか懐かしいわ)


 第一王子の婚約者として、小さなころからクレアが何度も出入りしてきた、ノストン国の王宮。


 クレアの15歳の洗礼式を境に訪問の回数は激減したが、それまでは確かに、国王と父ベンジャミンの計らいにより王宮はクレアの遊び場同然だった。


『それまで居心地が悪いかもしれないが、辛抱してくれ』


 ふと、クレアは、馬車の中でのヴィークの言葉を思い出す。


(きっと、明日のお茶会で報告するまでは目立ってほしくないという意味だわ)


 クレアは、肩にかけていたストールを頭から被り、整えた。



「あれ?」


 クレアは、はたと気付く。


 王宮の懐かしい思い出に浸っているうちに、クレアは侍女たちとはぐれてしまったようだ。


 先の曲がり角を覗いても、後ろを見回しても、誰もいない。


(いけない、懐かしくてつい油断してしまったわ)


 馴染みがあり、すっかり造りは把握している場所だが、クレアは割り当てられた客室がどの棟の何階なのかを知らない。


 しかも、運悪く今いる場所は大臣や貴族たちの執務室が並ぶエリアだった。


(とにかく、人気の少ない方へ)


「何をしている」


 焦ったクレアが一歩踏み出した瞬間、聞き覚えのある冷たい声がした。


 それと同時に、頭から被ったストールが何か硬質なもので払いのけられる。


(……っ)


 クレアがこれはまずい、と思うよりも早く、剣にストールを引っ掛けた男がクレアよりも先に驚きの声をあげた。


「……クレア嬢!」


 そこにいたのは、アスベルトの側近であるサロモンだった。


 しかし、クレアもノストン国の王宮に行くにあたってこうなることを全く予想していなかったわけではない。落ち着いて、用意していた通りの挨拶を述べる。


「お久しぶりです、サロモン様。本日は、パフィート国の使節団の一員として参りましたの。不審者扱いはご遠慮いただけると助かりますわ」


 そして、しまっておいた懐中時計を取り出し、顔の横でヴィークの紋章を見せ、ニッコリと微笑んだ。


「これは、パフィート国王家の……! 申し訳ございません。……行方不明と聞いておりました。……てっきり……いえ、お元気そうで何よりです」


 いつも表情が読めないのが売りのサロモンの目が泳いでいる。


 クレアはこの数か月間、ミード家に狙われたり魔力竜巻に巻き込まれたりすることはあったものの、ノストン国からの追っ手の影は感じたことすらなかった。


 恐らく、国では野垂れ死んだと思われているのだと安心していたが、その推測はあながち間違いではなかったのだろう。


「ふふっ。あなたもね」


 まるで幽霊を見たような反応のサロモンに、クレアは怒りを感じるよりも笑ってしまった。


 サロモンは、王立貴族学院にもアスベルトと一緒に通った片腕で、クレアも良く知っている仲だ。頭脳明晰なはずにもかかわらずどこか愚直さを感じさせるアスベルトをうまく補佐する、頭の切れる男だった。


 王立貴族学院でクレアが孤立し始めた後も、アスベルトを冷めた目で一歩引いて見ていた気がする。思えば、他の取り巻き達がクレアをいないものとして扱う中、最後まであまり変わらずに接してくれた相手だった。


(会ったのがサロモンでよかったわ)


 クレアは、そう思いなおした。


「懐かしさに余所見をしていましたら、はぐれてしまいましたの。どちらの棟に行けばいいのか教えていただけませんか」


「ご案内いたします、どうぞこちらへ」


 クレアが掲げた懐中時計に賓客の紋章が入っていることを確認したサロモンは、急に丁寧な態度になった。


 2人は懐かしさを感じる関係ではあるが、にこやかに歓談する関係でもない。


 客室まで案内する間、沈黙が続く。


 そんな中、クレアは敢えて口を開いた。


「先程は城下町での国民の歓迎ぶりが素晴らしく、感激いたしました。パフィート国のヴィーク殿下も豊かな国民性を目にし、両国間でより強固な関係を築きたいとお思いになるのではと」


 クレアの感想に、サロモンは目を見張る。


「サロモン様のことですから、全てお見通しとは思いますが」


 クレアはさらに続けた。


「他意なく、あの2人はお似合いですわ。アスベルト殿下にとって、シャーロットという慈しみの対象が現れたことはこの国の将来にとっても宝と存じます。友好国で暮らすものとして、両国の関係がずっと良いものであるよう願っています」


 サロモンの返答はなく、また沈黙が訪れる。


 コツコツ、と2人の足音だけが辺りに響いていた。


「……私はアスベルト殿下の側近として、取り返しのつかない重大な判断ミスを犯したようです」


 サロモンがポツリと漏らした言葉。クレアはそれを軽口と受け取ったが、彼の表情は固かった。


「クレア嬢……その髪型は……」


 サロモンは恐らく、クレアが出家して王家直属の聖女か何かとして来たと思って質問したのだろう。その問いに、クレアは自分で髪を切り、王立貴族学院の寄宿舎を飛び出した夜のことを思い出した。自分を支えてきた矜持が全て虚構だったと知ったあの夜のことを。


 クレアは背筋を伸ばし、令嬢らしい声色で言う。


「それ以上の愚問を知らなくてよ」


「……申し訳ございません」


 サロモンは深く頭を下げる。何を考えているのか、そのまま止まって動かない。重い謝罪にも思える、長い礼だった。


「パフィート国使節団に使用が許されているのはこの棟ね。案内、ありがとう」


 クレアはそう告げると、振り返らずに棟に入り、がしゃん、とわざと音を立てて扉を閉めた。




 ―――――


「殿下、少しよろしいですか」


 パフィート国の使節団から国王陛下への書簡受け渡しの立会を終えたアスベルトに、サロモンが耳打ちをする。


「何だ」

「いえ、ここではちょっと。執務室へ」


 パフィート国の使節団は退出したが、まだ多くの大臣や貴族たちが残っていた。そこには、クレアの父であるマルティーノ公の姿もある。


 この、約1年半の間に何が起こったのかを大体把握しながらも口出しすることなく静観してきたサロモンは、何としてもこの話をベンジャミンの耳に入れたくなかった。


 アスベルトとサロモンは足早に執務室へ戻る。


「それで、一体どうしたんだ。式典のことで重要なトラブルでもあったか」


「まぁ、トラブルといえばトラブルですが」


 サロモンは言いよどむことなく続けた。


「先程、王宮内でクレア嬢に会いました」


 一瞬、アスベルトの時が止まる。


 床に一旦目線を落としてから額に手を当てて顔を上げ、信じられないという表情でサロモンを見つめる。


「……冗談だろう? あの日、イーアスの関所で行方不明になったと聞いている。マルティーノ家が捜索しても見つからなかったと」


「パフィート国の使節団の一員として来ているようです。パフィート国第一王子の紋章が刻印された手形を持っていました」


「……どういうことだ。とにかく、マルティーノ公に連絡を」

「連絡して、彼女をどうするおつもりですか」


 アスベルトに異を唱えることなどほとんどないサロモンが、珍しく指示に質問で返す。


「シャーロットが会いたがっていただろう。きっと喜ぶ」

「そうですかねえ……クレア嬢の方は、全くそうは見えませんでしたが」


 サロモンは、とぼけたように続ける。


「僭越ながら申し上げます。ここ数年の殿下は、クレア嬢とシャーロット嬢の2人と同時に関わると善悪の正しい判断がつかなくなるように見えます。クレア嬢との婚約を破棄しシャーロット嬢とのものに変えた際、私は側近として反対いたしませんでした。理由は、この国にはマルティーノ家の強い魔力が必要だったからです」


「それに関しては問題ないであろう。それに、日陰で泣き暮らしていたシャーロットに手を差し伸べて何が悪いのだ」


「しかしその結果、クレア嬢は行き場をなくしたということまでを理解しておいでですか。婚約解消をされたクレア嬢から寄宿舎の部屋を奪い、次期生徒会長の椅子を奪い、公爵令嬢として落ちこぼれの烙印を押す必要はあったのでしょうか。今のクレア嬢はパフィート国で重要な賓客の紋章を預けられるほどの地位を築いているようです。彼女を貶めるようなことになったら、パフィート国第一王子の怒りを買うのではと。…………私はクレア嬢のために申し上げているわけではございません。殿下の、そして将来のこの国のために言っています。」


 ついでに、サロモンは小声で付け足す。


「そもそも……私にはあのシャーロット嬢が異母姉にあっさり虐められるようなお方には全く見えませんがね」


 少し前であれば、アスベルトはシャーロットを侮辱する言葉には過剰に反応していた。『シャーロットはマナーがなっていない』という陰口を聞けばその貴族令嬢を追放し、型にはまらない自由奔放さを非難する声を聞けば王子の特権を振りかざして怒鳴り込んでいた。


 しかし、ここのところシャーロットとはあまり話していないせいなのか、サロモンの言葉を聞いても全く怒りがわいてこない。それどころか、アスベルトはサロモンの言葉に少し同意しようとしてしまった自分に驚いていた。


(……)


「……使節団の一員ということであれば、折を見て先方から紹介されるだろう。このまま、少し様子を見る」

「御意」

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