第36話 シャーロットの思惑

 ちょうどその頃、ノストン国では隣の大国・パフィートの第一王子を迎える準備が急ピッチで進んでいた。


 ノストン国の第一王子、アスベルトの執務室。


「アスベルト様、今日こそは私と一緒に午後のお茶をしてくださいませ」


 シャーロットは両手で口元を押さえ、可愛らしく言う。腕には紅茶のセットと焼き菓子が入ったバスケットをぶら下げている。


「すまない。我が国にとって、もっとも重要な賓客の訪問が控えているのだ。今日はサロモンと一緒に済ませてきてくれないか」

「えー、またですかぁ」


 シャーロットはピンク色の唇を尖らせる。アスベルトはシャーロットの表情に気が付いたが、見て見ぬふりをした。


「行きましょう、シャーロット嬢」


 アスベルトの殺気を察したサロモンが、気を利かせてシャーロットを執務室の出口へとエスコートしようとする。


「アスベルト様!? ……結構ですわ。私……ごめんなさい」


 シャーロットはサロモンの手を払いのけ、目に涙を溜めてアスベルトの方をちらり、と見てから部屋を出ていった。


 バタン。


「はー……」


 執務室の重い扉が閉まったのを確認して、アスベルトはため息をついた。


「シャーロット嬢は、王立貴族学院が休暇に入ってから、毎日いらっしゃいますね」


 サロモンが、真意の読めない笑顔を浮かべながら言う。


「毎日忙しいのに、勘弁してほしいところだ……。彼女は環境のせいで不安定な時期はあったが、芯の部分ではもっと賢く、聡明な女性ではなかったか」


 すっかり頭を抱えてしまったアスベルトに、サロモンが意外そうな表情で言う。


「……シャーロット嬢が? まさか、そんなはずはないでしょう。殿下、それは他のどなたかとお間違えですよ」



 ―――――


(もう! 信じられない!)


 3日連続で午後のお茶の誘いを断られたシャーロットは、憤慨していた。

 

 淑女らしい振る舞いも忘れて、王宮内の廊下をドスドス歩く。


(……)


 もしや、と思って後ろをくるっと振り向いてみたが、アスベルトはおろかサロモンさえもフォローのために追いかけてきてはいなかった。


「なんで誰も追いかけてこないのよ!!」


 怒りに震えるシャーロットは、長期休暇中のため、王立貴族学院の寄宿舎ではなく王都ティラード内にあるマルティーノ公爵家の屋敷へと帰った。


「おかえりなさいませ、シャーロットお嬢様」


 出迎えてくれた侍女に、シャーロットはただいまも告げずバスケットを押し付けて言う。


「これ、差し上げるわ。余っちゃったの」

「……承知いたしました」


 シャーロットは、クレアがいなくなった後も立ち振る舞いを変えていないつもりでいた。“いつでも明るく、純粋で素直な愛されキャラのシャーロット”だ。


 しかし、心の底で思っていることは言動に現れてしまうらしく、ここ数か月のシャーロットの立ち振る舞いは侍女や使用人達から不評を買っていた。


「シャーロット、殿下にはお会いできたのか」


 シャーロットの帰宅を知った父ベンジャミンが、ロビーからエントランスに顔をのぞかせる。


「お父様! おかえりなさいませ! ……ええ。楽しかったですわ。今日は随分とお早いのですね」


 エントランスの吹き抜けから続くらせん階段を上って自室に行こうとしていたシャーロットは、子供らしい笑顔を作って立ち止まった。


「王宮は今皆大忙しだ。あまり殿下の邪魔をしてはいけないよ。今日は夕方に来客があるから早く帰ってきたんだ。ディナーには正装で出なさい」


「はぁい、お父様。……お客様って、どなたかしら?」


 正装、と言われてシャーロットはぴんときた。


(いつものように、お父様の部下のイケメン貴族子息や騎士団長様がいらっしゃるのかもしれないわ。暇な長期休暇の相手をしてもらうのにちょうどいいかも!)


 しかし、父ベンジャミンの返答は、心弾むシャーロットの期待には沿わないものだった。


「ああ。今日の来客は、アンだ」

「アン……おばさま?」


 シャーロットの顔は引きつった。


 アンと言えば、父ベンジャミンの妹で、シャーロットの一代前の『女傑』だ。シャーロットと同じ白の魔力を持ち、結婚せず現在は王立教会で聖女を務めている。


 小さな頃からマルティーノ家の子供たち4人をとても可愛がってくれたが、誰が見ても一番のお気に入りはクレアだというのが一目瞭然だった。


 クレアが行方不明になってから会うのは、今日が初めてだ。


(何だか、嫌味の一つでも言われそうだわ。乾杯だけ参加して、体調不良とでも言って部屋に引っ込もうっと)


 シャーロットはそう心に決め、自室に戻った。






 夜になり、アンがとっておきのシャンパンを持って訪ねてきた。


「皆、随分と久しぶりね。ここにクレアがいないのが残念だわ」


 全員のグラスにシャンパンを注ぎ、夕食の席に座ったアンは悲しそうにする。


 シャンパンの泡はこれまでに見たことがないほどに細かく、不思議な揺らめきをみせながら、キラキラと輝いていた。


「クレアのことは忘れるのだ、アン」


 父ベンジャミンがシャーロットのことを気遣うような目線を送りながら、アンを窘める。


 シャーロットも眉を下げ、肩を落として悲しそうな仕草をし、呟いてみた。


「でも私はお姉さまに……会いたいわ」

「本当にそう思う?」


 シャーロットの呟きを聞きつけたアンが大声で聞き返す。


(うわ……これだから嫌だったのよ)


 シャーロットはこみ上げるうんざりした感情を俯いて隠しながら、頷いた。あまりの面倒さに、本当に涙が出てくる。


「もちろんですわ、アンおば様……だって、大切なお姉さまですもの……」


 シャーロットの涙に、父や兄たちがしんみりとした瞬間、アンが言った。


「数か月前、パフィート国の王都ウルツで予兆が観測された魔力竜巻のことは皆知っているわよね?」

「ああ。もちろんだ」


 ベンジャミンが答える。


「あの魔力竜巻は、史上最大規模のものだった。もし発生したら、国土全体にバリアを張るしかなかったわ。現在、ノストン国が保有する最大の魔力の色は『白』だからね」


 アンはシャーロットの方を見ながら続ける。


「しかし、パフィート国では浄化が行われた。確実に。しかも、完璧だった。……今、そんなことが出来るとしたら、世界中でただ一人よ」


 ベンジャミンはアンが言わんとすることを察したようだ。


「世界を救ったのは、クレアだと言いたいのか。馬鹿馬鹿しい。あの子は銀や白のはるか下、淡いピンクの魔力しか受け取れなかったんだぞ。そんなことが出来るはずがないだろう」


 ガシャン。


 その時、二番目の兄レオが、手にしていたシャンパングラスを落として割ってしまった。


 その顔は不自然に青ざめている。


「人というものは、物事を見たいようにしか見ないものよ。クレアが失踪してから、一度捜索したきりで諦めるなんて、この家の人たちはどうかしているとしか思えないわ」


 アンはそう告げると、席を立った。


「今日はこれで失礼するわ。……そのシャンパン、皆できちんと飲んでね。お兄さま、来週の歓迎式典でお会いしましょう」





 アンが帰った後、ダイニングはしんと静まり返ってしまった。


 兄オスカーがシャンパンを飲みながら、不思議そうに口を開く。


「確かに……父上は、どうしてクレアが失踪してから一度しか捜索部隊を出さなかったのですか」


「それは……お前だってそれでいいと言ったではないか。アスベルト殿下にはシャーロットがいる、2人の幸せに害をなすクレアは不要だ、と」


「そんな……。しかしそうだったような。……重要なところになると、何だか頭がもやもやするな」


(まずいわ)


 自分の立場の危険を察知したシャーロットは、出来る限り最大の笑顔を浮かべて、話題を変える。


「お父様、来週、王宮で何かあるのですか? アンおばさまは歓迎式典とおっしゃっていたけれど。どなたかいらっしゃるのですか?」


「アスベルト殿下から聞いていないのか。パフィート国の第一王子、ヴィーク殿下が我が国を公式訪問なさるのだ」


「まあ! あの容姿端麗でお仕事もできると評判の王子様がですか!?」


 テンションが上がり、ガタっと立ち上がったシャーロットを、一同が呆気にとられた様子で見つめる。


「……シャーロット、はしたないぞ」


 オスカーが苦言を呈したことに、シャーロットは大きなショックを受けた。


(この半年間、私のことを持て囃してきたお兄さまが……)


「ごめんなさい、お兄さま」


 シャーロットはわざとらしくしゅんとして見せたが、オスカーからのフォローはなかった。


(あれ……あのおばさん……! 私に分からないように何かしたわね!?)


 シャーロットはアンの訪れとともに、風向きが少しだけ変わったのを感じていた。


 ―――――


 夜、自室に戻ったシャーロットは考える。


(アスベルト様も悪くないけれど、何だか思いやりがないっていうか、愛されている感じがしないのよね。前はこうじゃなかったのに。……アスベルト様より、大国の王子様の方がずっといいわ! 優秀という噂だから、きっとお仕事も早く終わらせてくれて友人の令嬢たちに見せびらかす時間もあるはず!)


「決めた、お父様にお願いしてパフィート国の王子様に会わせてもらって、仲を取り持ってもらおう!」


 上昇志向が強すぎるシャーロットは、自分が置かれた立場を理解せずに浮かれていた。

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