第6話 出会い

「驚かせたかな。はい、荷物」


 さわやかな笑顔とともに、彼はクレアに向かってトランクケースを渡してくる。どうやら泥棒の類ではなかったようだ。


「俺はヴィーク。お嬢様が散歩中だったから声をかけただけだよ」

「少し驚きましたが、困っていたのでとても助かりました。ありがとうございます」

「訳アリっぽい感じがしたから助けたけど、もうすぐ夜も更ける。本当の従者は来る? 女性の一人歩きは危ないんじゃない?」


(……うっ)


 図星を突かれて固まるクレアを前に、青年はさらりと告げてくる。


「それよりお腹、すいてない?」


 


 イーアスの街は夜10時を過ぎてもカフェやレストランが大賑わいだ。どの店も、たくさんの客で混雑している。


 チーズ料理の専門店に、ソーセージがおいしそうなビアホール。明日の朝のパンが買えるパン屋さんもまだ営業している。


 クレアは、彼とともにイーアスの街のメインストリートを歩いていた。


(こんなに賑やかなのは、久しぶり……!)


 ここのところマルティーノの屋敷に帰っても、シャーロットの夜会のお供か留守番ばかりで、しばらく街に出ていなかったクレアの心が躍る。


「なんだか、楽しそうだね」


 彼が優しい目でクレアに声をかける。


「……久しぶりなの、街は」

「着いたよ、ここ。2階のレストランで友人が待ってる」


(…ここ!?)


 クレアを食事に誘った彼が連れてきたのは、イーアスの街で一番上等な場所。


 教会の監視の目が行き届いている上、規模が大きく人混みに紛れられそうなことから、クレアがとりあえず泊まろうと考えていたホテルだった。


(知らない人にのこのこ付いてきてしまって不安だったけど、ここなら逆に安心だわ)


 2階のレストランに入ると、彼は自然に一番奥の個室へとクレアをエスコートしていく。その仕草がいかにもスマートで、クレアは懐かしさと安堵を覚えた。



「散歩してたら1人増えちゃったんだけど、いい?」

「こんばんは。お邪魔してもよろしいでしょうか」


 個室を開けるなり言った彼に、クレアも続いてあいさつをする。


「もちろん……って、すごい美女を連れてきたな、ヴィーク」


 中には、目を丸くした若者が3人座っていた。クレアよりも少しだけ年上に感じられる彼らは、服装から見ると騎士のようだ。


 一番大柄で好青年っぽさが漂う騎士がクレアに挨拶をする。


「初めまして。俺はキース」

「はじめまして。突然お邪魔してすみません。クレア・マ……ルクスと申します」


 うっかり本名を口にしそうになったクレアは、慌てて軌道修正した。続いて、セミロングの漆黒の髪が美しい、中性的な外見の騎士がクレアに握手を求める。


「クレアさんですね。私はリュイと申します」

「よろしくお願いします」

「僕はドニ。歓迎するよ」


 仕上げに、末っ子のような人懐っこい笑顔を浮かべた騎士が両手を広げてハグを求めてきた。


(……ええと……)


「何やってんだよ」


 クレアが戸惑っていると、ヴィークがドニの後頭部を平手でパシッと叩いた。


「痛いなぁ。変なとこでヴィークは真面目なんだから」


(よかった、悪い人たちではなさそう)


 彼の名、ヴィークが偽名でなかったことにもクレアはホッとしていた。


「好きなものを頼むといい」


 ヴィークがクレアにメニューを渡してくる。


(ハンバーガーにフライドチキン、ベイクドポテトのチーズ&ミートソースのせ、ライスヌードル……! 街に出なくなってから食べていないメニューがいっぱいだわ……!)


 うっかりテンションが上がってしまった。メニューを見ながら目がキラキラしているクレアを見て、4人は微笑ましそうにクスクス笑っている。



「なんだか本当に訳アリっぽいな、クレアは」

「そうかしら」

「誰が見たってそう思うぞ。そんなに上等な衣服を着ているのに、こんな夜更けに従者も付けず1人で歩いているし、そのくせ馬車係は追い払おうとするし」

「……」


 ヴィークから投げかけられる正論に言葉もなくて、クレアは押し黙った。


「さっき思ったが、この街で一番上等なこの宿屋に入ったのも初めてじゃないんだろう」


 問い質しているように見えても、穏やかな声色だ。きっと、クレアの出自を疑っているのではなく、本当に心配して言ってくれているのだろう。


「そうね。確かに、何度か来たことがあるわ」


 事情を話してもいい相手なのか、距離を測りかねているクレアは曖昧な返答でかわすことにする。


「でも、連れは来ないわ。いろいろあって、1人で旅に出ようと思っているの」

「1人で!? 当てはあるのか」

「なんだか、ヴィークって心配症で世話焼きなのね。…ふふっ。お父様みた……い……」


 クスクスっと笑いながら、その言葉を口にした瞬間、クレアの目から大粒の涙がこぼれた。


「クレア?」


 クレアの表情を注意深く見ていたリュイがそれに気付き、困ったようにクレアの肩をさする。


「……すまない」


 クレアの背景には複雑な家庭事情があることを察したヴィークは押し黙ってしまった。


「あーヴィークはもう! クレア、この能天気のお節介は気にしなくていいからな! お腹すいてないか? お酒のお代わりは? ここのサングリア、女の子にすごい人気なんだぞ」


 キースがアワアワしながらクレアに話しかける。


「本当、かわいい女の子を泣かせるなんてサイテー。反省しなよ、ヴィーク」


 ドニも、ヴィークを追及して空気を変えるように仕向けてくれている。


「少し待って……ヴィークは悪くないわ……。ごめんなさい」


 皆の優しさが申し訳なくて、クレアは何とか声を絞り出したが、涙が止まってくれる気配は一向に感じられなかった。


(自分でもなぜだかわからない)


 懐かしい街の料理を食べて、優しく声をかけられたのが久しぶりだったからかもしれない。昔父がクレアにしてくれたうっとうしく感じるほどの心配を思い出すと、クレアの涙はもう止まらなかった。


(淑女らしくない)


 焦る気持ちとは裏腹にとめどなく溢れてくる涙は、カチコチに縮こまって固まっていたクレアの心を柔らかく癒してくれている気がした。

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