第5話 あなたは誰?

「……様。……クレア様」


 誰かに声をかけられている。


「クレア様、お目覚めください。イーアスの関所に到着致しました」

「……!」


 ぱちっ、と目が覚める。


(そうだわ、今は移動中だった)


 馬車は既に停まっていた。窓の外には、関所の煌々とした明かりが見える。


「ごめんなさい、気が付かなくて。ご苦労様」


 慌ててトランクケースを手に、馬車を降りる。すっかり眠りこけていて、目的地に到着したことに気が付かなかったようだ。


(なんだか、奇妙な夢を見た気がする……)


 馬車係がてきぱきとトランクケースを下ろすのを手伝いながら、安心したように言う。


「2時間でしたが、随分しっかりお休みになれたようでよかったです。クレア様、顔色が大分良くなっています」

「あら、そんなに酷い顔だったかしら……!」

「一日学院で過ごされた後のお出かけはお疲れでしょう。……ところで、イーアスは比較的治安が良い街ではありますが、念のためお迎えの方がいらっしゃるまで同行いたしましょう」

「……」


(まずいわ)


 確かに、貴族令嬢が従者なしの長距離移動などありえない。どんなに急ぎの用であっても、少なくとも間に合う最大限の地点までは迎えが来ているはずだ。


 普通の馬車係ならこんなことを言い出さなかっただろう。目的地に到着して、「後は迎えが来る」と言われれば待ち合わせ場所まで送って任務完了だ。


 しかし、この2人はクレアとも顔なじみだ。純粋にクレアを心配し、職務以上のことを全うしようとしてくれている。


 かといって正直に訳を話し、結果、学院づてにマルティーノ家にクレアの動向がバレバレになってしまうのは避けたいところだった。


 シャーロットにすっかり夢中のアスベルトは、クレアが未来の王妃に害なすものとして迫害しかねない。父ベンジャミンや兄たちとまともにコミュニケーションが取れていない今は、万一そうなった場合に家が庇ってくれるかも分からない。


 それに何よりも、クレアの望みは生まれ変わって違う自分として生きることなのだ。


「ええと、そうね。この先のカフェで待ち合わせをしているの。慌てて出てきてしまったので、もしかしたら従者の到着が遅れるかもしれないわ」


 クレアがどう切り抜けたらいいのか考えながら様子を窺うと、事情を察さない馬車係の1人が、心からの親切の笑みを向けてくる。


「承知いたしました、では私が共に参りましょう」

「え、ええ。そ、そうね……」


(困ったわ……)


 イーアスの関所は王都への北の入り口。イーアスの街に併設されていて、王都ほどではないがそれなりに賑わいを見せる街だ。


 治安も良く、たくさんの人が暮らしているため、仕事にも困らないだろう。ただ、クレアはイーアスよりもさらに北、修道院まで行くつもりでいた。


 この世界で魔力を持つものは一部の限られた人だけ。教会に属する修道院とて同じことだった。

 

 たとえ女傑マルティーノ家の落ちこぼれでも、自分の力を役立てられるところに行きたい。それに、修道院に行って出家すれば教会の傘下に入ることができる。


 教会の力が大きいこの国では、クレアにとってそれが一番安全に生きていける確率が高い手段だと思えた。


(このままだと、単独行動であること、そして北の領地へ向かわずに修道院に行くことがばれてしまうわ)


 焦りながらもなんとか笑みを浮かべて歩き出すと、不意に声をかけられた。



「お待たせしました、お嬢様」



(……誰?)


 サラサラの金髪に、高い身長。その美貌に似つかわしくない少年のような声。兄二人やアスベルトの傍に長年いて美形には慣れているクレアでも、エメラルドグリーンの瞳に吸い込まれそうだ。


「わたくしはお嬢様の従者のヴィークと申します。ここまでお送りくださってありがとうございました。大通りの宿屋で皆が待っています、お荷物をお持ちしましょう」


 彼は人好きのする笑顔を振りまきながら、流れるように馬車係のトランクケースに手を差し出す。あまりに自然で好意的なので、馬車係も警戒することなくついトランクケースを渡してしまった。


「……」

「……」

「……」


 クレアと馬車係と彼の3人が、しばし笑顔で固まる。


(……待って。これは不審者かしら)


 クレアは一瞬考える。たとえもし、これが泥棒でもクレアはさして困らない。トランクケースに入っているのが少しの衣類と身の回りの品だけだ。


 母親の形見は身に着けているし、お金は個人名義で銀行に預けたものがある。トランクケースがなくなっても大丈夫だ。


 もし不審者の類なら、馬車係と別れた後、トランクケースを捨てて騎士の詰め所まで走って逃げればいいのだ。


 ほんのコンマ何秒の間に、トランクケースを持ち、柔らかい笑顔でクレアに手を差し出している見知らぬ彼の瞳を再度見る。透き通ったエメラルドグリーンが、大丈夫、と言ってくれた気がした。


(きっと大丈夫)


 クレアは不安を悟られないように、満面の笑みを彼に向け、手を取って言った。


「ヴィーク、もう着いていたのね。遠路はるばるご苦労様です。……こちらの方は学院の方なの。北の領地へ向かう迎えの到着が遅れるかもしれないと言ったら、クレア様が心配だから付き添うとおっしゃって」


 馬車係に怪しまれないように、自分の名前を彼に伝える。


「そうでしたか。わざわざクレアお嬢様のためにありがとうございます」


 どうやら話を合わせてくれたようだ。彼は馬車係に向かって深々と頭を下げる。


 クレアはふと気が付いた。


 トランクケースを持つにしろ、クレアの手を取るにしろ、どの仕草も何気ないのに、彼は所作がとても綺麗だ。どの仕草をとっても、彼の振る舞いはまるで貴族階級のそれなのだ。


「それでは、私はこちらで失礼いたします。お元気で。進級式後にまたお会いできるのを楽しみにしております」


「ええ、あなたも。遠くまでありがとう。帰り道、気を付けてくださいね」


 馬車係にお礼を言って見送る。馬車係が数メートル、十数メートルと離れていく。


(……もう少し)


 クレアの隣にいる彼は、今のところトランクケースを抱えて走り去る素振りを見せない。馬車係は関所に戻って、見えなくなった。


 そろそろいいだろう。クレアは、見送る間にイーアスの騎士の詰め所への道のりを反芻した。


 そして、心の中で走る準備をしてから彼に聞く。


「あなたは誰?」

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