第4話 奇妙な夢
学院を出たクレアは、重いトランクを引きずって呼んでおいた馬車に乗り込んだ。
クレアの魔力でも、身を守る程度の魔法は使えるが、まじないに近い低レベルなものしか使えない。自分の足で生きていくと決めたのに馬車に乗るのは少々癪だが、今は夜。安全第一だ。
「急にお願いして、申し訳ありません。急に領地の別邸へ向かわないといけなくなりまして。イーアスの関所までお願いできますか?」
「伺っております、クレア様。ご存知かとは思いますが、ここからイーアスの関所までは馬替えをして2~3時間かかります。ゆっくりお休みください」
来てくれたのは、学院の顔馴染みの馬車係2人だった。
(―――よかった、彼らなら安心して任せられる)
ホッとしてクッションの利いた馬車の椅子に身を委ねると、心地よい睡魔が襲ってきた。馬車がゆっくりと出発し、ゆらゆらとした揺れがクレアを眠りへと引き込んでいく。
「本当は寝てはいけないけれど、彼らなら大丈夫。それにしても、こんなに眠いのは久しぶりだ…わ……」
◇◇◇
どれぐらい時間が経ったのだろう。
目を開けると、知らない部屋だった。
(…知らない部屋? ううん、私はこの部屋を知っている)
まるで昼間のように眩しい蛍光灯に、テーブルの上には『パティスリー・ヒグチ』の桜のジャンドゥーヤ。璃子が買ってきてくれたスタバのブラックコーヒーも並んでいる。
そして自分―――みなみは、決してフカフカとは言えない質素なベッドの上に寝転がっていた。
「あ、みなみ起きた? 2時間ぐらいかなー寝てたの。ねえ聞いて! この間に、『成り上がり♡ETERNAL LOVE』の最難関ルートの攻略見つけちゃった!」
自分に向かって話しかけてくる柔らかな印象の少女は『璃子』。
(あれ…ちょっと待って。璃子…?? 私がみなみ…確かにみなみなんだけど…あれ…)
頭が混乱して、訳がわからない。確かに、ここは自分の部屋で、ここにいるのは璃子で、自分はみなみには違いない。
今日は大学が終わった後、乙女ゲーム好きの友人である璃子と一緒にこの部屋へ帰ってきた。お気に入りのパティスリーで大好きなジャンドゥーヤとブラックコーヒーを買って。やっぱり、お酒よりも甘いものだよねー! とかなんとか言っていた気がする。
「みなみ、寝ぼけてるー? まぁ、レポート明けだもんね」
「…うん」
いつもの返事のはずなのに違和感がある。ここは「はい」とか「ええ」でなくてはいけないのではなかったか。
「それでね、最難関ルートの攻略っていうのは! 第一王子のアスベルト様! 2週間前からずーっと攻略してて、やっとクリアできたの!!」
璃子がゲーム機のコントローラーをカチャカチャしながら、テンション高めに話を続ける。璃子がかじりついているモニター画面に目線を向けると、そこにはシャーロット、アスベルト…、見覚えのある絵が映っていた。
(…えっっ?)
事態が全く飲み込めない。
(私はみなみでいいんだっけ…あれ?)
画面に映っているのは、明日の卒業パーティーで涙を浮かべたシャーロットとアスベルトが熱く見つめあうスチルだ。
(…そうね、私も疲れているのね)
これは夢。悲しい出来事を整理し、忘れるための。
ぼうっとした頭で、妙に納得したところで璃子が続ける。
「アスベルト様の攻略に必要だったのは、婚約者クレアの失脚だったのよー! どんなにヒロインとの好感度を上げてもハッピーエンドにならないから、どうしようかと思っちゃった。クレア失脚の分岐点は、15歳の誕生日前。二番目のお兄ちゃんに、金庫に保管してある亡くなった母親からクレアへの超重要な手紙を捨てさせればOK!! 洗礼式は、ノストン国じゃなくて旧リンデル国領で行えっていう内容のね。あー、お兄ちゃんとの好感度を上げて動いてもらうのに苦労したわー!!」
(なんだかリアルで具体的な夢…)
これは、密かに公爵令嬢としての巻き返しを期待する深層心理が見せる、おかしな夢だろうか。
(まだ未練が残っていたのね)
クレアは自分がおかしくて、くすくすっと笑った。
「それで、婚約者クレアは失脚した後どうなったの?」
「それがねー、学院から一人姿を消して、北のイーアスの関所の先にある修道院を目指したっぽいんだけど、消息不明だって。ま、一応ライバルキャラだったけど、そんなもんなのかもね」
「……」
夢でさえ、幸せな未来が見られていないことにがくっとした。
「それより、みなみもやってみる? アスベルト様ルート! 婚約者クレアの15歳の誕生日前でセーブデータ作っといたけど」
「いいわ、私」
璃子がコントローラーを渡してくるのを、クレアはとびきりの笑顔で断る。
「この先には、楽しい未来がいっぱい待っている気がするから!」
(……なんだか、また眠くなってきたわ)
眠い、という表現は少し変だ。だってここは夢なのだから。
眠る前にジャンドゥーヤをもう1つつまんでおけばよかったな。
そんなことを考えながら、クレアは再び意識を手放した。
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