欠点:このパーティには落ち着きがない!

魚井飛弦

第1話 土汚れと濡れ衣

履き慣れた靴の紐を結び直すと春の新鮮な空気で肺の中がいっぱいになるまで深呼吸をした。


昼下がりのほんのりと温かい太陽の日差しが森の木々が揺れてちらつき、耳を澄ましてみると小鳥たちが気持ちよくさえずっている声が聞こえた。


「準備はできたかしら?」


後ろから優しく女性に声を掛けられた。


振り返ると森の中を吹き抜けてきた清々しい風が彼の頬を撫でる。


明らかに今日は良い日だ、それなのに。


「エルド、あなたを今から山賊行為の容疑でイハベルに連行するけど良いわね?」


「…なんでこんなことになってるんだろうな。」








俺の名前はエルド・フォスター、子供の頃から大きな川や森があるゆったりとした村で生まれ育った俗にいう田舎者の男だ。


村にいた時は川で釣りをしたり、農作物を育てたり、森から木材を取ってきたり、子供達と遊んであげたり、陽が出ていて暖かい日には昼寝したりと平和な毎日を繰り返すようなスローライフを謳歌していたのだが、小さい頃から腕白だった俺にとってはこの故郷には望んでいる様な刺激的な事があまりにも起こらなかったのだ。




だが、そんな俺にも好奇心を掻き立てられる時間があった。それは父親が昔していた旅の話を聞く時であった。色々な国や村、山や海をかつての仲間と巡り歩いた思い出話をする父親の影響で幼少期から外界に期待を膨らませていて、暇さえあれば父親の側に駆け寄って話の続きをして欲しいとせがむほど父親のする話が大好きだった。


そしてある晩、家の中で目を擦りながら旅の話を聞いていた俺は両親とある約束を取り付けた。


『20歳の誕生日を迎えたら旅に出ても良い』


その時は確かに父親も酒に酔っていてデタラメな口約束をしたのかもしれないが、次の日からというもの「おとなになったらたびをしていいんだよね?」と繰り返し繰り返し、何度も何度も目を輝かせながら聞いていたものだから父母ともに承諾をせずにはいられなかったようだった。


そして、約束を守る為に父親に稽古をつけてもらいながら時が流れること十数年、とうとう20歳になり無事に旅に出る事が出来たのだった!






時が経って村や親のことを考えると後ろ髪引かれる思いが生まれてはいたのだが、改めて旅立つ決心を固めたのはきっかけは両親の言葉であった。




「心配しないでエルド、確かに寂しいけど私達の可愛い息子だもの、人生やりたい事を思いっきりやらせてあげたいの」


「だから、安心して自分の目で世界を見てこい!」


「その間心配しなくても父さんは母さんと夫婦水入らずでいちゃいちゃしてるからよ」


「「ね〜?」」






相変わらずの仲良しっぷりだった。


むしろ邪魔だったのかなと思えるぐらい背中を押してもらった。


申し訳ない、だけどありがとう。




「行ってきます」


胸を張ってそう言い、村を出てからはもう一度も振り返ることをしなかった。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


そして現在。時刻は昼前、俺は村から一番近くにある国、イハベルへ向かう為に森の中にいた。




「えっと、こっちがもと来た道で…イハベルがあっち?いや、こっちか?」




…うん。早速、迷子になってしまった。




先程まで春の陽気に乗せられて、細い街道のような道に沿ってずんずんと快調に歩いていたのだが、この道が本当に街道なのか、それとも獣道なのかを区別がつかなくなるまで手入れされていなかったせいで、いつの間にか間違った道に進んでしまったのか鬱蒼とした林道を歩いていた。


「まぁ、旅は始まったばっかりだし、こんなもん、だよな」




後頭部を掻きながら仕方なく1番街道に似た道のような物に沿って進んでいると、前方の小さな気配に気がついた。


ぷちゃん、ぷちゃん。と音を立てながら大きな露のような水の塊が道の真ん中で跳ねていたのだ。


俺は相手に気づかれないように急いで木の後ろへ隠れた。




「…あれがスライムか、久しぶりに見たな」


スライムはこの世界ではどこにでも生息している珍しくもない魔物なのだが、実のところ俺は魔物という生物と戦闘になった経験が一度もない。村にいた時は常に村を護る役割の大人達がいてくれて村周辺に出没した魔物の討伐はその人達にしてもらっていたのだ。


討伐される前のスライムを最後に見たのは確か16歳の時だった気がする。その時も周りの大人達が倒してくれていたのだ。




しかし、今の彼は20歳。つまりもう大人なのだ。


腰に携えているのは安物ではあるが本物の剣である。


周りに助けてくれるような大人はいないが、あの日のような無力な自分ではない。






スライムはまだこちらに気が付いていないようだ。


バレない様に木の後ろから確認すると、高鳴る鼓動を抑えて、そっと鞘から剣を抜く。そしてゆっくりと足音を立てずに敵の背後に近づいていき、緊張で手が震えるのを感じつつ目の前で油断しているスライム目掛け、一気に剣を振り下ろした!





……


…………どうだ?




初の魔物討伐として手応えはあった、というか、それなりに近いところまで接近した上での奇襲だ、失敗するわけがないだろう。スライムが思ったより硬かったことには驚いたが、父親の教え通りに素早く垂直に斬れた。


不意打ちというずるい方法をとってしまったが卑怯だと思うなよ、これが戦略というものだ。




……だけども、今回の奇襲で唯一の反省点を出すというならば、初めての魔物討伐で緊張のあまり、剣を振り下ろす際に力んで目をつむってしまった。という所だろう。




斬りつけたスライムを確認しようと目を開けてみると、エルドが勢いよく放った一撃はスライムの体を1ミリもかすらずにそのまま地面に突き刺さって抜けなくなっていた。




「あっ、やべ」


思わず声が出た。




流石のスライムもこの失敗に終わった奇襲に唖然として自分の身に何が起きようとしていたのか、まったく理解が追いついていない様子であったが、男が地面にぶっ刺さった剣を必死に抜こうとしているのを見て、ようやく状況を把握した。


『多分俺でも倒せるぞ』そう悟ったスライムはこれ以上ないチャンスを逃すまいとエルドの右の腰辺り目掛け精一杯のタックルを開始した。


側から見ると、まんまるの水の塊が男に向かって頑張って跳ねてぶつかるという動作は可愛く見えるが、この攻撃が骨盤の骨張った所に当たって結構痛いのだ。




「え、痛っ!?痛えっ!ちょ、ちょっと待ってくれ!痛い!やめっ!おい!骨盤ばっか狙うのやめろよッ!!」


必死になって剣を抜こうとする男と正確に右側の骨盤だけを狙ってタックルを続けるスライム。




「いてぇ、だ、だれか。誰か助けてくれぇ…!」


彼の悲痛の叫びはなんとも情けなく、森の中でこんな状況に陥ったのは後にも先にも彼ぐらいなのではと思いたくなるほどこの光景が非常にダサかった。


彼の右側の骨盤にだいぶダメージが蓄積した頃、ようやく剣が抜けた。




「この野郎、よくもやってくれたなぁ!」


すぐさま体勢を立て直し、もう一度剣を振り上げて今度は敵のことを最後までよく見て攻撃をする。


今度はスライムを完璧に半分に出来そうな程良い位置に剣が振り下ろせそうだったが、この攻撃をひらりとスライムに避けられ、次に再び勢いが止まったのはまたもや地面の中だった。


「なぁにぃぃい!?」


再び剣を抜こうとするエルド、今度は反対側の骨盤へのタックルを始めるスライム。




「おいっ!左右のバランス良く骨盤にダメージを与えてくるなッ!」


スライムにキレながらもう一度剣を抜き、狙いを定めて勢いよく攻撃をしかける。


「おわぁぁあ!!!」


奇声を発しながら半ばやけくそで放った攻撃は今度はしっかりスライムを捕らえていた。




…と思えたのだが、スライムは剣を軽く避けた後にエルドの顔面に向けて跳躍し、強烈なタックルを喰らわしたのだ。敵ながら見事なカウンターだ。


因みに剣は地面に刺さった。




「ぐはぁあッ!?!いッ!いってぇえええ!!」


思わず体勢を崩し、ドタバタと地面を転げ回りながらタックルの衝撃が残る鼻を押さえた。




「も、もうダメだ!逃げなきゃっ…!」


初戦闘で思い通りに事が運ばなかった精神へのダメージと顔面と骨盤へのダメージを考慮して今日だけで3回も地面に刺さった剣を抜取った後に急いで鞘に入れ、より深い森の方へ走って逃げた。


スライムもここで仕留めると言わんばかりにエルドの事を追いかける。


「何で旅の初日にこんな目に遭わなきゃいけないんだよォ!!」


痛む骨盤に両手を当てて逃げ去っていく姿は本当に情けなかった。








呼吸を乱しながらしばらく森の中を突っ切って逃げていたら街道ではないがもう一度細い道に出られたのでそこでようやく足を止めた。


「…もう大丈夫か?」


スタミナと走るスピードについては自信があったため、つい先程まで追いかけて来ていたスライムをいつの間にか撒けていたようだ。




ふぅ、と一息つきながら服の袖で額の汗を拭う。


森の中の空気はひんやりとしていて必死に木々の間を駆け抜けてきたにも関わらず涼しく気持ちよかった。


「はっ、どんなもんだ、逃げ足だけはこっちの方が速いぞ。はは…」


息を切らしながら無意味に強がってみたが、やはりスライムに負けたのは悔しかった。


だが、今は戦闘の反省をしている場合ではない。








「……で、ここはどこなんだ?」




何も考えずに遁走して道がある所に出たのは良いもののイハベルの位置が分からない、イハベルに辿り着く以前に森から出られるのかすら怪しくなってきている。


逃げ疲れて視線が自然と下を向いた、その時だった。




「ん?この道、手入れされてないか?」


さっきまでいた道とは違って雑草や落ち葉などが取り除かれていて、決して獣道などではなく、はっきりとここが道であることが認識できた。




ということは、この周辺にこまめに手入れをしている人がいる、もしくはイハベルがもう近くにあるかもしれない!


「よ〜しっ!一時はどうなる事かと思ったけど、なんとかなりそうだぞ!」


希望の光が見えた途端、今までの疲れがすべて吹っ飛び、今度は迷わずに歩を進められた。










道に沿って歩いていくと一軒の小さなログハウスを見つけることが出来た。




このログハウスは、人が一人住む程度には申し分ない位の大きさでよく見ると外壁を植物のつるが伝っていたり、所々に青い苔が生えていることを考えるに建てられてからしばらく時間が経った物ではないかと推測できた。


しかし、家を見つけられるとは本当にラッキーだ。ここの住人に情報を聞けばイハベルに行ける!






どんな人が住んでいるんだろうかと少しドキドキしながら、早速ノックを2回鳴らす。


こんこん。


「すいませーん。誰かいませんかー?」






………。


…あ、あれ?


「いらっしゃらないですかー?」


こんこんこんこん。


今度は沢山鳴らしてみる。






……………。


少し待ってみたが反応はなかった。






「いないじゃん…」


しゅん。という効果音が聞こえてきそうな程落ち込んだ。




出発時には昇ったばかりであった太陽は既に真上を通り過ぎていた。


薄々そんな気がしていたのだが、この状況もしかして。


「遭難ってやつかなぁ?」


天を仰いだ。思ってもいなかった。魔物にボロボロに負かされた挙げ句、遭難までするなんて。当初の予定では昼にはイハベルに着いている予定だったのに時間は残酷に過ぎていく。


「くっそぉぉ…。今頃イハベルの宿屋にチェックインしてるはずだってのに…」




…でも、まだ昼だ。夜までに何とか辿り着ければいい。


初日に野宿は絶対嫌だ、なんとしてでも今夜は宿屋のベッドで寝たい!


「まぁ、とりあえず中の様子を見られるんだったら見ておくか」


ドアノブを捻ってみると、鍵は掛かっていないようですんなり回った。


お、開いてる。




そう思った瞬間であった。




「そこを動かないで。」




背中の方からぴしゃりとこちらの静止を促す声がした。


若く透き通った女性の声だ。




辺りは突如として、ピリリとした緊張感に包まれたのだが。


(おおおおおッ!人の声だァ!!!!)


俺の心の中は状況にそぐわず、待ち侘びていた人という存在にテンションが上がっていた。




「変なことしたら斬るわよ」




彼女はずいぶんと物騒なことを言っている。


しかし、そんな忠告など耳には入ってこなかった。




「よぉ!はじめまして!!」


勢いよく振り返り、これ以上ないぐらいキラキラ輝かせた目で挨拶した。


後ろには髪型がポニーテールで橙色に近い色をした少女がいた。


自分より少しばかり年下そうな彼女はエルドが開口一番に元気よく放った挨拶に腰の剣に手を掛けたままキョトンとした表情で固まっていた。




「俺の名前はエルド・フォスター!今日から旅を始めた者さ、よろしくぅ!失礼だけど、そっちの名前も教えてくれないかな?」




「わ、私はリン、よ」


勢いに負けて思わず自己紹介をしてしまったリンは自分より背が少し低くく幼さが残るが顔立ちは整っていて、履いている短めのスカートが年の若さと共に自身の活発さを象徴しているかのように思えた、だがその容姿に似合わず硬そうなチェストプレートを装備していたり、腰には自分より数倍も立派な剣を携えていた。


「リン!見かけに通りに可愛くて良い名前だね!」


「え、あ、えっと、ありがとう」


彼女は一瞬照れて赤面したが、今の状況を思い出したのか急にキリッとした顔で鞘から剣を抜き、こちらへ突きつける。


「…じゃなくて、貴方何者なの?私の家に何か用?」




「おっと。」


自分に向けられたギラリと銀色に輝く剣にたじろいだ。…いや、でも。


「その剣綺麗だね、君が手入れしてるの?」


「しつこい、質問に答えなさい」


彼女から年下の少女のものなどではない徒ならぬ気迫を感じる。確かに人の家に勝手に入ることはいけないことだと思うが、いくらなんでも剣を向けるのは大げさだ。


「分かった、気に障ってしまったなら謝るよ、ごめん。俺はただ遭難してて人と会えたのが嬉しかっただけなんだ」


でも、さすがに斬られるのは嫌なので、おとなしく答えることにした。


「遭難?」


「そう、旅に出たばっかりでね、ここから1番近くの国に行こうとしてたんだよ」


「イハベルのこと?」


「あっそうそう、イハベルね」


「ふーん、で。どこから来たの?」


「村だよ、田舎だから名前もない村さ」


「名前もないの?…本当かしら」


「ほんとだよ、何の特徴もない村だから名前もないって親から聞いたよ」


「そんなことってある?」


「もし名前があるとしたら、ゆったり村とかになってるんじゃないかな」


「確かにちょうど何も無さそうな名前だけど。でも、よしんば貴方が旅人だとしても何で私の家に入ろうとしたのよ」


「えーっと、それは……なんとなく、いや、イハベルに行くため、ですかね」


「…ふぅん」




彼女は尋問がひとしきり済んだら、しばらく黙って俺のことを吟味するようにこちらのことをつま先から頭のてっぺんまでまじまじと見ている。




結構怪しまれてしまっているが、とりあえず彼女からイハベルへの行き方を教えてもらえればこちらとしては何の問題もない。


俺はまだ変なことはしていない、筈だ。この突きつけられた剣を鞘にしまってもらう為にも彼女の警戒心を解きたいところなのだが。


「とにかく君に危害を加える気はさらさら無いんだ。決して怪しい者じゃないよ」と出来るだけ優しい口調で話してみたりしたが彼女はまるで探偵のように「なるほどねぇ」と言うだけで剣をしまう仕草は一向に見せてくれなかった。


しばらくどうすれば警戒心を解いてもらえるのかを考えていたら、彼女がとうとう口を開いた。




「貴方の名前、エルドっていうだっけ?」


「ああ、そうだよ」


「エルド。貴方、嘘吐いてるでしょ?」


「…え?」


彼女は剣の柄を持つ手に力を入れ、こちらのことをお見透しだと言わんばかりに堂々と剣を構え直した。




「いやいや違う違う、嘘なんて吐いてないよ」


「ふふっ無駄よ、私には分かっちゃうんだから。本当は最近この辺りで出没してるっていう山賊でしょ」


「え?山賊?違うって、俺は本当に旅人だよ」


「…御託を並べて騙そうたってそうはいかないわよ!」


またも突然キリッとした目がこちらに向けられたと思ったら彼女は足を半歩引き、剣を握る手に力を入れた。


あれ?これって明らかに─!!


「ちょ、ちょ、ちょっ!待った!」


「てぇぇやぁあ!!」


やっぱり彼女はこちらに斬りかかってきた!


「危ねぇっ!!」


俺は反射的に転がって避けると、剣はすぐ後ろで鋭く空を斬った。




咄嗟に地面に立て膝をついて応戦が出来る状態で相手を見る。


まったく、とんだ勘違いをされてしまった!




「反射神経は良いのね、流石は山賊といったところかしら」


彼女はまた剣を構え直す。


「ちょっと待って、落ち着いて!一旦話しをしよう!なっ!」


「うーん、ごちゃごちゃうるさいわよ?貴方も剣を持ってるならさっさと抜きなさい、私は無抵抗な相手を斬る趣味は無いんだからね」


「話を聞けよ!!てか、さっき無抵抗だったのにいきなり斬りつけてきてただろ!」


「あ、それは…剣を構えたら興奮しちゃって、ついつい、うっかり」


「ついついうっかりで殺されてたまるか!」


彼女はてへっと舌を出しているが、リンさん、てへっで済まされる問題じゃないです。死にかけました。


「じゃあわかった!一回俺が怪しいやつだってのは認めよう!認めるけど俺が山賊だって証拠がまったく無い、そうだろ?」


「証拠…そんなもの見たら一目で分かるわよ、旅の初日の人がそんな土まみれでボロボロな服を着てるわけないじゃない、そんな装いをするのって山賊ぐらいでしょ?」


はぁ?ずいぶん適当なことを言ってくれるな。


旅の初日にスライムにやられて、土まみれでボロボロの服を着てる旅人ぐらいほかにいるだろ。


…いや、あんまりいないかな。きっと俺が特殊なんだわ。そりゃあ盗賊と勘違いされるかもな、納得いかないけど。




「ほら、さっさと剣を構えなさい。貴方の実力確かめてあげる」


相手の完全な勘違いなのに、このまま無抵抗でいると命がない。仕方ない、緊急事態だ。


素早く立ち上がり、後ろに下がりながら剣を抜いた。


「俺はあまり女や子供には手を出したくはないんだけど、今回は誰かの濡れ衣を着てやる義理もないからな」


「これ以上に罪を重ねる気なのね。でも良いわ、これで私も──え?待って?」


「どうした?」


「なんで服だけじゃなくて剣も土まみれなのよ!?」


突っ込まれて初めて気がついた、スライムとの戦闘で伝説の剣のように剣を三回も地面に突き刺さってしまったせいで刃の部分が土で結構汚れてしまっていた。


「うわっ!ほんとじゃん!スコップみたいな土汚れがついてる!」


「さすが山賊…土汚れに関しては抜かりないわね、もはや尊敬レベルよ」


なんで山賊=土汚れのイメージがそんなに強いんだ。すまないな山賊、風評被害を生じさせてしまっているが、危機的状況なんだ、許せ山賊。でも同時に疑われているのはお前のせいでもあるぞ山賊。ここら辺で活動するな!服も洗濯しろ!




「どうしたの?そっちから来ないの?」


ともかく、今は目前の彼女だ。


先ほどは奇跡的に攻撃を避けることができたが、相手は女性だが所作を見れば初心者の自分の目から見ても相当強いことが分かる、次はもう避けられる確証はない。スライムにも勝つことが出来なかった俺だ、まともに戦えばどうなるかはさすがに分かり切っている。逃げようか?いや、今の間合いでは到底逃げられないだろう。


…くそっ、どうすれば良いんだ?!


「そっちから来ないのなら私が先手を打たせてもらうわよ!」


痺れを切らした彼女は少し前傾姿勢になりながらこっちに向かって走るとあっという間に距離を縮め、スピードが乗った手加減のない攻撃でエルドを襲おうとしている。






(まずいッ!これが当たれば間違いなく死ぬッ!!)






─相手の動きを読め、予測をしろ。




金属と金属が交わる音が辺りに響く。




もう少し遅れていたら顔に刃が届いていただろうというところで剣で攻撃を防いだ。


「やっぱり、反射神経だけは良いのね」


「…かもな」


彼女がすまし顔をしていたのでつられて格好つけてしまったが、本当は驚きたい。


父さんに教わった言葉が脳裏に過ったかと思えば、一瞬だけ相手の次の動きが見えた気がしたのだ。


(今のはなんだ…?俺ってこんな反応が早かったか?)


「じゃあ、本気を出しても大丈夫そうね」


「え?」


いや、さすがに本気で来られたら今度は無理かもしれな──




剣の交わる音が再び響く。




やっぱりだ、相手の動きが目で追えるし次の動きの予測がつく。


いやぁ、薄々気がついてはいたのだが、やっぱり俺って天才?


思わず、にししっと笑みがこぼれた。


「なによ、随分と余裕そうじゃない」


「手を引くなら今のうちだぜ」


「…私のことを馬鹿にするなァっ!」


ブラフを利かせて休戦に持ち込もうとしたのだが、彼女が俺の剣を弾くと一旦下がり目を閉じてゆっくり息を吐いたと思うと、次の瞬間には銀色の輝きはすぐ目の前まで迫って来ていた!


「これでも喰らいなさいっ!連撃【ラッシュ】ッ!」


「なっ?!」


速いッ!さっきの比にならないほど速い!そしてすべての攻撃に切れがある、相手の攻撃を見る力に偶然目覚めたばかりなのにこの攻撃は自分が認識できるギリギリの速度というのに加え、攻撃を弾いたとしても次の瞬間には別の方向から攻撃が飛んできて休む暇がない!




ひとしきり剣が体に届くすんでのところで弾き返す防戦一方の戦いを続けていて気付いてしまったが、こんな戦い方ではこちらに勝算がないじゃないか。


だからといってこの戦いを展開させるような攻撃の隙があるわけでもないし、もし隙があったとしてもこちらの攻撃が必ず当たるわけでもないのだ。何せ俺はスライムに攻撃を当てられなかった、この対人戦をしていることがそもそも無茶だったのだ。




相手の攻撃を防ぐだけ、反撃は出来ない。この状況は正しく絶望的と言えるだろう。


彼女はきっと俺の体に自分の刃が通るまで振り続ける気だ。


…気が遠くなる、光が見えない、目がかすんできている、もう限界か。


しかし、相手の動きを見逃せば確実にここが俺の墓場になる。


なのに目を開けるのがつらい、なんだか落ち着くような匂いもしてきている気がする。




…ん?落ち着く匂い?


まさかこの匂いって…!




そのとき彼女の攻撃が一旦止んだ。


「けほっ、けほっ、アンタ何をしたの?」


やっぱり今日の俺はツイてる、スライムと戦った時に攻撃を外したことさえ意味を持たせられたのだから。


防御態勢を解いて周りを確認すると彼女と俺の間を薄茶色の煙が包んでいた。そう、これは土煙だ。剣についた土汚れが彼女の攻撃を弾くたびに少しずつ落ち、結果的に土が煙幕のように目くらましの効果を持ったのだ。


彼女は目をこすったり、咳き込んでいる為、完全に構えを崩している。これは反撃のチャンスだ。








(…かといって正面から挑んでも勝ち目はないことは分かってる。今の俺に出来ることは…)






肩に入った力を抜き、すぅ…と息を吸う。


「あッ!!あれなんだッ!?」


彼女の後方に指を指し、大きな声を出して気をそらさせる。


「え?」


彼女はその瞬間こちらから目を逸らした。


(今だッッッ)


そう、不意打ちである。だが、やはり俺は女性を斬ることは出来ない。今狙っているのは武力解除だ。剣の刃の付け根部分を力いっぱい叩いて相手の手から武器を落とさせる。この父さんから伝授された技を使うほかない。




身の危険を顧みずに決死の覚悟で突っ込んでいく。


「おりゃあ!隙ありィィイ!」


一気に距離を詰めながら目標の刃の付け根に向かって勢い良く剣を振っ───






「なんにもないじゃない、ってあれ?」




彼女が振り返る頃には、俺は地面にうつ伏せで倒れていた。


驚いた。一瞬のことだった。


不意を打つ為に距離を詰めていた時のことだ、駆けていく際に前に出したはず足が前に出てなかったのだ。


なぜだ?まさか、足止めのために何かしらの魔法を彼女に使われていたのか?


原因究明の為に目線を彼女から足元に移す。すると、自分の前に出そうと思っていた方の靴から謎の一本の紐が伸び、その紐をもう片方の靴がそれを踏んでいる。


(これはまさか…!)俺はその瞬間、全てを理解した。


俺は自分の靴の紐を踏んで転んでいるのだ。




ズザーッと地面を勢いよく顔面から滑り、彼女の足元でビタッと止まった。


なるほど、20歳になってもがっつり転ぶこともあり得るんだな、と教訓を得たと共に、突然の事態にも対応できるように靴ひもはしっかり結んでおくべきだったな。素直にそう思った。




「…いたい」


「えっ、え?なんで?」


「リンだったよね、名前」


状況が把握できていない彼女の足下で俺はうつ伏せのままにぬっと泥だらけの顔を上げる。


「え…?そうだけど?」


「リンさん、俺から二つお願いがあるんだけど、聞いてくないか、後生だから」


「内容によるけど…聞くぐらいなら」


リンの動揺がしているまま何故か会話が進行していく。


「ありがとう、まず一つ目だけど今の俺の状況についてなんの質問もしないでくれ、何なら忘れてくれ」


「あぁ、はい」


「聞き入れてくれるのか、優しいね。もう一つのお願いなんだけど、靴紐を結ばせてくれないか」


「靴紐を?」


「そう、これから君は俺を殺すかもしれないけど、靴紐がほどけた死体になりたくないからさ、最期に結ばせてくれないかな」


「え?別に殺さないわよ」


「…今なんて?俺を殺す気はないのか?」


驚きの声を発しながら上半身を動かしてリンを見つめる。


「山賊は嫌いだけど殺すほどじゃないからね」


「なんだよぉ…俺はてっきりここで殺されるかと思ってたよぉ」


じゃあ、なんで今まであんなに鋭く斬りつけられていたんだろうと疑問には残るが、どうやら命だけは助かるらしい。


「まあ、これからイハベルの刑務所で償ってもらいはするけどさ」


「…なんだって?」


「当たり前でしょ、山賊をただで見逃すわけないじゃない。だって私、騎士団長の娘なのよ?」


周知の事実のように言ってるけど、それ初耳です。


でもそれなら納得だ、リンは俺の父さんと同じぐらい強かったのだ、みんなそのぐらい強いのが普通なのかと思って心が折れかけていた。


「イハベルの刑務所か…もし嫌だといったらどうする?」


「あら、私は最初から同意なんて求めてないでしょ?」


「…そういうこと。なるほどね」


俺が抵抗しようともお構いなしか、抵抗しようものなら次こそ命の保証がないだろう。


「でも、イハベルか。分かった諦めるよ、抵抗しないから俺をイハベルに連れて行ってくれ」


「ふふふっ、物わかりが良くて助かるわ、ロープで両手を縛りたいからさっさと靴紐を結びなさいよね」


彼女は俺を捕まえた喜びからか機嫌良く笑っていた。




靴紐を結び直した後にロープを持ったリンが話しかけてくる。


「エルド、あなたを今から山賊行為の容疑でイハベルに連行するけど良いわね?」


彼女は頷く事しかできなかった俺の両手をここぞとばかりに縛っていく。


まったく、なんでこんな事になっているんだ、牢屋にぶち込まれる為にイハベルに行くって、せっかく田舎から出たと思ったらこれだ、こんなひどい話なかなか無い。


しかし、これで遭難状態から脱出できて目標であったイハベルにも行けるというのは不幸中の幸いだ、このまま一人でいても埒が明かなったのでそういった面でもリンと出会えたのは良かった、それにこの状況さえも。


「可愛い女の子に縛ってもらえるなら別に悪い気はしないしな…」


彼女の動きがピタッと止まったので顔を見てみると軽蔑の眼差しをこちらに向けていた。


口に出してしまっていた事に気が付いた頃には、手だけではなくロープで体と両腕を同時にぐるぐる巻きにされ始めていた。




「あのっ…違うんすよ、せめて男じゃなくて女の子に縛られたことが嬉しいな、みたいなさ」




「あ、滅茶苦茶きつくなってきてるんすけど、もう少し優しく縛ってくれないかなぁ、なんて」




「リンさん、ほんとごめん!俺にそういう趣味はないから!頼むから強く縛るのやめて!」




「あああんっっ!」




ロープが体に食い込み気味になるほどきつく結ばれてしまった。




「これ以上はアンタが悦ぶからやめておくわ」


本当に痛いのだが、彼女は呆れた顔をしていた。


「ぜっんぜん悦んでねぇよ、むしろ快楽に変えたいと思うぐらい痛いわ」


「はいはい。別に個人の趣味は気にしないからイハベルに向かうわよ」


「マジだから信じてくれよ、ほんとに違うからな」






そうしてゴチャゴチャうるさい男とそれをたしなめる少女は森の中を進んで行く。


ぽかぽかと暖かく感じて過ごしやすい春の昼過ぎ、このどうしようもない状況さえもどことない希望の光が彼を包み込んできっと全部上手くいくとさえ思えた。




「あ、そうだ。牢屋の中ってベッドある?」


「いや、ないわよ」


「まじかよ…」




…少なくともふかふかのベッドで寝るという夢は叶わないようだが、上を向いていこう。


今から子供の頃から望んでいた長い旅路が始まるのだから。

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