ある船の物語

~メアリー・コーマックside~


 季節は8月。比較的北に位置しているアングリア王国と言えども、真夏は暑い。

 そんなアングリア王国の南東沖で、1隻のコグが半分漂流していた。


「参ったなぁ、おい」


「しかし、あんな海流が突然生まれたなんて聞いてねぇぞ」


 このコグ、王都からアングリアコーブを南下してノーエンコーブへと向かう予定だった。

 だがアングリアコーブを出た直後、謎の海流に捕まってしまい、かなり南の方に流されてしまったのだ。

 しかもこのタイミングでトラブルが発生するのは非常にまずい。なぜなら――。


「船長、何を騒いでいる?」


 船長の下へやって来たのは、20歳と若い男性騎士。

 この騎士の名はバーニー・スコット。ノーエンコーブ領主コーマック伯爵家に仕える騎士だ。

 スコット家は代々コーマック伯爵家に仕える騎士の家系で、コーマック伯騎士団の幹部や団長を多数輩出している。


「スコット様。実は、見知らぬ海流に捕まり南の方へ流されたようで……」


「何をしている! 今、この船にどなたが乗っているか理解しているのか!?」


 実は、バーニーはある人物を護衛するためこの船に乗っている。


「バーニーさん、気を落ち着かせてください。あなたが怒鳴ったところで、私達に出来ることは何もありません。船長さん達を信頼するしかないですよ」


「メアリー様……」


 怒鳴り声を上げるバーニーを諫めたのは、成年式を終えたばかりという年頃の少女だった。

 この少女の名はメアリー・コーマック。コーマック伯爵の次女で、今回は来年に通う予定の王都の学園の見学や入学手続き、それと現在王都で生活している兄と姉に会って来た。

 そして現在は帰りの船に乗っていると言うわけだ。


 コーマック伯爵の娘が移動すると言うことは、護衛団も組織され一緒に行くと言うこと。バーニーはその護衛団の団長を任されたのだ。

 バーニーは基本的に真面目な人物だが、初めて任せられた重要な仕事を前に緊張感と高揚感で力が入りすぎてしまい、船長をなじってしまう行動に出たわけだ。


 だが、これから対策案を練ろうとしていたところに、新たなトラブルがやって来てしまう。


「報告! 右舷1時方向からコグ1隻! 武装は固定弩弓3台! 旗は……レリジオ教国!?」


 その報告に、乗船している全員が戦慄した。

 レリジオ教国とは、簡単に言うと新興宗教がそのまま国を乗っ取って建国された、アングリア王国の遙か東にある国だ。

 毎年冬と春の境目に吹く東風に乗って世界中に武装船団を送り込み、他国に自分たちの正しい教えを広めるという名目で侵略しようとする迷惑極まりない国。

 しかし、長い航海で魔物に襲われたり遭難したりする船が後を絶たず、侵略目標の国にたどり着く頃には物資も体力も消耗しており、すぐに相手の軍によって蹴散らされてしまう。

 アングリア王国も、今年の成年式が始まる前にレリジオ教国の船団を壊滅させたばかりだ。


「討ち漏らしが海賊化した、か……?」


 レリジオ教国の船団が簡単に蹴散らされるとは言え、やはり数は多いし、当然上手く逃げる船も存在する。

 しかし長い期間吹く西風は存在しないし、水魔法や風魔法で無理矢理船を動かしても、今度は食料の問題や魔物に襲われるリスクがある。

 従って、彼らが生き延びるためには上手く相手国に侵入し一般人として生活するか、海賊になるしかない。


「団長、あの船から強力な水魔法の気配が。しかも現在発動中です」


「何だと!? と言うことは――」


 自分たちは蟻地獄に落ちたのだと、バーニーと船長は悟った。

 わざわざアングリアコーブの出入り口付近に水魔法で海流を作り、自分達の狩り場に落としたのだ。


「船長、あなたはこの海域から脱出することを考えて。戦闘は我々が担当する。メイ、君はメアリー様のそばを離れるな」


「わかっております」


 バーニーからメイと呼ばれた女性は、冷静に返事をした。

 このメイ・クロークという18歳の女性は、代々コーマック家の家令や執事、メイドとして仕えてきた家の出身で、自身もメアリー付きのメイドである。

 しかしナイフ術の才能を得られたので、メイドとしてではなく護衛としての役割が強い。


「メアリー様、船室に向かいましょう。そちらの方が安全です」


「わかりました。バーニーさん、船長さん、ご武運をお祈りしています」


 そして2人が船室に待避すると同時に、甲板は戦闘態勢に移行する。


「よし、船員全員、海域からの離脱を図る! 櫂を持て、漕いで全速力で離脱だ!」


「護衛団、戦闘準備! 相手は弓を放ってくる、防御して船員を守れ! 魔法使いと弓兵は相手に撃ち込め! 敵魔法使いを最優先で狙うんだ!」


 船長とバーニーが互いに号令を掛け合うと同時に、戦いの火蓋が切って落とされた。


「ダメです、船長! いくら漕いでも船が言うことを聞かねぇ! あの船にどんどん近づいている!!」


「船長、敵は海流を操作して自分たちを引きつけようとしている。白兵戦は避けられないと思う」


「わかりました、スコット様。全員、白兵戦準備! 敵が乗り込んでくると思え!」


 船員達が白兵戦の準備をしている間、騎士達は弓の攻撃に備えるため防御態勢を整えた。

 だが。


 ドンッ!!


 突如海が瞬間的に荒れ、多くの騎士がバランスを崩し転倒した。

 その隙を突き、敵は固定弩弓から弓を大量に放った。


「うわあああぁぁぁぁ!!」


「クソッ、ここまで……か……」


「敵が乗り込むぞ! すぐ体勢を立て直せ!!」


 そして、とうとう敵が自分たちの甲板に乗り込んできた。

 元々宗教国家らしく真っ白な装備をしていたのだと思われるが、長い航海とその後の海賊生活によって最も気味が悪いように汚れており、その姿は敬虔な信徒というよりも凶悪な海賊という印象がピッタリだった。


 乗り込んできた敵に立ち向かう騎士と船員だが、最も活躍したのは護衛団長を任されたバーニーだろう。

 バーニーが敵のそばを走って通り過ぎると、いつの間にか敵は斬られており、悲鳴を上げることもなく絶命していた。

 これは『高速の剣技』という剣士系の才能の中でも珍しい才能を持っているからで、一言で言うと『見えないくらい早く剣を振れる』という物だ。

 そのため、ただ敵の近くを通り過ぎるだけで敵を斬ることが出来るので、とにかく倒したい敵が多いときには大変便利な才能だ。


 だが、相手は海流を操作できる強力な水魔法使いが乗船している。

 敵の好きなタイミングで船に衝撃を与えられ、バランスを崩されるためかなり苦戦する。

 そうこうしているうちに敵に押され、舵輪やマストを破壊され航行不能になり、とうとうメアリーのいる船室の扉に手を掛けられようとしていた。


(クソッ、私の身はどうなっても良い、だがメアリー様だけはなんとか逃がさなければ……)


 しかし、妙案が思いつかない。それに今危機を脱したとしても、航行不能になった船でノーエンコーブまで帰る手段が見つからない。

 苦悩する中、船員の新たな報告があった。


「報告! 後方より船が1隻! ……これは……?」


「何をしている! 最後まで報告せよ!」


 船長に怒鳴られた船員は、続きを報告する。


「大きさ40メートル超、2本マストを装備! オレンジの帆と青い船体、旗はアングリア王国と青い切り込みが入った羽の旗!」


「船長、まさか、あの船は……」


「噂になっていた、精霊から贈られた船なのでは……?」


 バーニーの目に、希望の光が差し込んだ。

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