航海中・復路
「短い間でしたが、お世話になりました」
「気をつけて帰るんだよ。ハーバートには連絡しておくから」
今日はウールコーストを出発する日だ。
港には海運ギルドウールコースト支部の職員全員……どころか、町中の人々が集まっているように思う。
あまり娯楽がない町だし、今は船がそんなに来ない閑散期だから、出航する船を見送る事自体が一種の楽しみなんだろう。
僕は船尾楼甲板に登り、舵輪を握り出航命令を出す。
「タラップ収納、錨を上げろ、帆を開け! ヘーゲル号、出航だ!!」
『タラップ収納完了。錨巻き上げ完了。帆、全開。周辺状況、異常なし。ヘーゲル号、出航します』
そして僕は見送りに来た人々に手を振りながら、帰路へと着いた。
途中までは非常に順調な航海だった。
現在の季節風に逆走する形だが、ヘーゲル号はスループタイプの縦帆を装備しているため、ジグザグ走向すれば進める。
もちろん、往路よりも時間は掛かってしまうが、ヘーゲル号の足であれば24時間で着くはずだった。午前7時にウールコーストを出発したので、翌午前7時にノーエンコーブ到着予定だ。
だが、昼前から雲行きが怪しくなっていった。
『キャプテン、一昨日に観測していた低気圧ですが、急に速度を上げたようです』
「わかった。十分に警戒しておく」
行きの時に観測した低気圧は、もともと一週間後、現時刻から計算すると4日後にこの航路上を通る予報だった。
だが、なぜかいきなり速度を上げたらしい。とっさに注意しなければならないと感じた。
そして、そいつがやってきたのは午後5時頃だった。
その時、僕は近づいてくる低気圧に備え、早めの夕食を取っていた。
「う~ん、やっぱり店ほど上手くは出来ないか」
ウールコーストで夕食として食べたラムの香草焼きは絶品で、また訪れて食べたいと思っていた。
翌日、出港準備をしている時にローズ支部長からラム肉と香草を厚意でもらい、現在それを使ってラムの香草焼きを作ってみたのだ。
ただ、技術が違うのか分量が違うのか、店ほどおいしくはなかった。自炊した料理としては上出来だと思うが。
夕食を食べ終える頃、バッジ化したスタチューを通じてマリーが報告した。
『キャプテン、まもなく本船は低気圧内に入ります』
そうだと思った。船の揺れは激しくなるし、春の5時にしては暗くなっていると思った。
いきなり異常に速度を上げた低気圧に疑問を感じるが、今は船を保たせる努力をしなくては。
「舵輪を艦橋に降ろせ。嵐への対応の準備だ」
『了解。キャプテンはどうされますか?』
「僕も艦橋に行く」
どんな大シケでも、マリーなら適切に船を制御してくれる。
でも、嵐を航行している最中に部屋でじっとしていられないし、まだそんな図太い神経を持っているわけではない。
だから艦橋へ行って自分でなんとかする。ヘーゲル号は僕の船なんだ。
船長室から階段を上がり、船尾楼内にある艦橋へ移動する。
そして舵輪を握り、張り詰める緊張感の中で操船を始めるのだった。
最初の方はまだ楽だった。風と波が荒かったが、まだ制御が難しくなるほど激しくはなかった。
だが、時間が経てば経つほど状況はより激しさを増し、僕の手に余り始めるのも時間の問題だった。
「クソッ、船の方向が定まってくれない!」
『落ち着いてください、キャプテン。制御については私も全力で補佐していますので』
正直な話、マリーがいなかったらとっくに転覆か陸地に衝突もしくは座礁していただろう。
ほんとにマリーがいて助かる。
『船があおられています。当船の帆は精霊樹の葉の繊維で出来ておりどんな強風でも決して破損することはありませんが、風にあおられやすく船の制御を難しくします。ここは帆を畳むことをおすすめします』
「わかった。帆を統べて畳め」
これで船の制御が楽になった。
普通の船ならば、このまま停船して嵐が過ぎ去るのを待つ。だが一番いいのはなるべく早く嵐を突破することだ。
幸いにして僕たちは南の方へ行きたい。低気圧は北へ行くので、このまま南へ進めば嵐を早く突破できるし、ノーエンコーブも近くなる。
そしてヘーゲル号には、帆以外に推進装置が存在する。
「プロペラを回せ。このまま南下し、嵐の突破と同時にノーエンコーブを目指す」
『了解。エンジン始動。プロペラ、最大回転。ヘーゲル号、再度出発します』
こうして帆なしでヘーゲル号を進ませた。
だが、これで終わりではなかった。
『警告、警告。左舷より高波を観測。およそ10秒後に接触の見込み』
「取り舵いっぱい! マニュアルに従って高波をしのぐぞ!!」
高波に襲われた場合、船頭を波に向け、船を波に対して直角になるようにする。そうすると波の力を最小限に減らせるのだ。
逆に横腹を見せるように高波を受けると、波の力をもろに食らうため転覆の危険性がある。
『高波と衝突。損害はありません』
「さすがは精霊樹の炭素繊維製の船だな。船を南に戻し、ノーエンコーブに急ぐぞ」
しかし、高波はこれだけで終わらなかった。
その後、何度も高波に襲われ、その度に受け身の体勢を整えた。
その結果、ズレた航路を戻す手間が発生し、航海計画よりも大幅に遅延することは決定的になってしまった。
そして嵐と戦い続けて12時間を経過しようとした頃。
『気象情報更新――キャプテン、当船は無事に嵐を突破しました』
「そうか……。お疲れ様」
気がつけば、もう日が昇りかけていた。
そして緊張から解き放たれた反動からか、急に眠気に襲われてしまった。
その結果、導かれるように船長室まで行き、着替えもせずベッドに潜り、死ぬように寝てしまった。
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