新人教育開始

 翌日から僕の教育が開始された。

 ただ、最初の1週間ほどは海運用語や船の部位、航海中のマナーや法律を学ぶ座学をやることになっている。

 海運ギルドは大きいため、教育用の講義室を多数備えている。僕が今いる部屋もそのうちの1つなのだが、僕の場合はヘンリーさんとのマンツーマンレッスンなので、広い講義室に2人だけというのは贅沢な気がする。


「授業を始める前に、渡しておく物がある」


 ヘンリーさんが差し出したのは、赤い背景に羽が剣になっているトンボが描かれた旗――ここアングリア王国の国旗だった。


「ほぼ全ての国で、航行する船には所属する国の国旗と組織の旗の2種類を掲げなきゃならん事になっている。これを怠れば、海軍に拿捕されても文句は言えねぇ。お前さんの船には組織旗と言えんこともない旗は掲げられていたが、国旗は掲げられていなかったからな。早い内に設置しとけ」


 そう考えると、初めての航海の最中に軍艦に発見されるとヤバかったのか。今更になって背中がゾッとする。

 ヘンリーさんの言うとおり、早めに設置しとこう。


 それから色々と船乗りとして必要な知識を教わったが、興味深い事実がわかった。

 それは、舵輪の存在だ。

 舵輪は、前世では大航海時代辺り、帆船の進歩と大体同じ時期に登場した装備だ。それまでは、舵櫂と呼ばれる舵を取るための櫂や舵桿というレバー上の装備で舵を取っていたらしい。

 ところがこの世界では、帆船はあまり発達していないのに舵輪は普及している状態にある。

 この現象は、どうやらスタチューが関係しているらしい。スタチューによって才能がはっきりと判明している世界であるため、才能ある人材を集めやすい仕組みが出来ている。

 当然、学者や発明家の才能を持っている人も集まりやすい。どうやら水関係と学者・発明家の才能を持った人が集まりやすかったため、舵輪が早く完成したようだ。


 その後、1週間に渡り座学を受け続けた。

 おおむね理解出来たかと思うが、法律が少々怪しい。

 アングリア王国の法律だけならともかく、他国となると細部が違っていたりする。

 この世界は魔物という存在がある以上、各国が連携すると言うことが非常に難しく、従って国際法も作りづらい。

 そのため、なんとなく共通したマナーや常識なんかを各国に合わせて法制化しているに過ぎないのだ。


「どの船乗りも似たようなもんだ。だから他国へ向かう船には各国の海洋法に関する本を乗せているし、最新の情報を持ち帰るとギルドから報償を渡すことになっている」


『その点につきましては、私も全力でサポートしております。ですからご安心ください、キャプテン』


 他国の事情に関しては特に気にしなくて良いらしい。その国に行くことになれば改めて調べておけば良いようだ。

 特に、うちにはマリーがおり、マリーのサポートの範疇のようなので安心して良いと。




 次の週から、実習形式の講習に入った。

 大抵の場合は訓練用の船を使うが、船を持っていたり特定の船主に雇われていたりする場合、本人の船や実際に乗り込む船を使って講習を行う。よく使う船で訓練を行った方が、早く仕事に慣れると言う意味でも効率がいいと判断されているからだ。


 そんなわけで、僕はヘンリーさんと一緒にヘーゲル号に乗り込んだ。

 ちなみに、例の国旗はすでに船尾に掲げている。右舷側が国旗、左舷側がヘーゲル号の旗だ。ヘーゲル号の旗はもう一枚作っているので、マストの上と船尾の2つに取り付けていることになる。


「錨を上げろ。帆を張れ。出港だ!」


『周辺状況、異常なし。ロープの固定解除確認、錨の巻き上げ――完了。タラップの撤収――完了。帆の展開――完了。ヘーゲル号、出航します』


 本日は晴天。船尾楼上の甲板に舵輪を出して操舵する。

 残念ながらマリーの自動航行機能は僕が行った場所か正確な地図情報がなければ対応出来ないため、マニュアル操作で僕が操船する。

 行き先はヘンリーさんが知っているため、ヘンリーさんのナビで移動する。


 現在の風向きは、ヘーゲル号の逆風。でも、ヘーゲル号なら問題ない。


「半信半疑だったが、ほんとに逆風でも船が進むんだな。どういう仕組みだ?」


「簡単に説明すると、帆は風を受けると膨らむでしょう? この膨らみが重要なんです」


 膨らんだ帆を通る風は、実は膨らみの外側と内側で速度が変わる。

 帆の膨らみの外側を通る風は速く、内側を通る風は比較的遅くなる。

 その結果、帆ふくらみの外側に向けて力が生じる。この力を『揚力』と言い、この揚力を利用して逆風に向かって推進力を得ているのだ。

 ちなみに、揚力を上へ向けて発生させる物が鳥(前世であれば飛行機も)の翼だったりする。


「ただ、逆風に真正面から立ち向かうように進むのはさすがに無理です。斜めに受けるようにして推進力を得ます。ですので直進するためには回頭を繰り返し、ジグザグ走向させる必要がありますね」


「いまいちわからないことがあるが……まぁ、イメージは付いた。ところで話を聞いているとだな、逆風を斜めに受ければいいわけだから、従来通りの横帆でもできるんじゃねぇか?」


 ヘンリーさん、鋭い。

 座学中に聞いたが、ヘンリーさんは何隻もの船を船長として指揮し、海上での戦闘経験も豊富だと聞く。

 そんな人が、頭が悪いわけはずがないな。


「一応可能ですが、風を受ける方向をある程度調整できる仕組みが必要です。その仕組みを搭載したとしても、風向きによって細かく帆を調整するための操帆手が必要ですね。

 なので縦帆の方が逆風をとらえやすく、調整も楽です。ただ、追い風の時は横帆よりもスピードが出ませんので、どちらも一長一短があると考えています」


「そうか。なかなか都合良くいかねぇもんだな。にしても、成年式受けた手でその知識の量。さすがはフクロウのスタチューに選ばれた者と言ったところか」


 いや、それはどうだろう?

 前世に好きが高じて色々調べた知識を話しているだけだから、スタチューの影響とは言いづらいと思う。逆にそういった知識を持ち込んでいる証としてならまぁ辻褄は合うと思うが。


「ところで、この船の素材が気になるな。デッキや内装は木で出来ているようだが、外装やマストは木じゃねぇ。金属でもねぇ。一体何だ?」


『それについては私がお答えします。当船の外装とマストには、炭素繊維が使われております。その名の通り、繊維化した炭素です』


 え、それ初耳なんだけど。


「炭素だぁ? それじゃぁ、すぐ壊れたり燃えたりすんじゃねぇか!?」


『いえ。繊維化した場合、非常に丈夫になり、鉄よりも強くなります。また重さも軽く、アルミニウムよりも軽いです』


 前世では19世紀に入るまで金属としてのアルミニウムは発見されていないが、この世界ではすでに発見されている。

 ただ、まだ大量生産法が確立されていないため、べらぼうに高いが。とにかく、この世界の人にアルミニウムの事を話しても伝わる。


『火については燃える可能性はありますが、400℃以上で長時間熱した場合、炭素繊維が赤熱してジリジリ焼けるといった感じです。魔物のブレスでも赤熱するかどうか怪しいですね』


「こればっかりは信じられねぇが……精霊からの授かり物からそう言われたら信じるしかねぇか」


『ちなみに、当船の炭素繊維は精霊樹より作られております。ですので普通の炭素繊維よりも断然丈夫で軽く、凶暴な魔物が1週間ブレスをはき続けても赤熱すらしません。

それだけでなく、デッキや内装に使われている木材も精霊樹製ですし、帆も精霊樹の葉の繊維から出来ております』


「え、木から炭素繊維を作ってたの!?」


「なに、精霊樹で出来ているだと!?」


 僕とヘンリーさんで驚きのポイントが違ったような気がする。

 炭素繊維は、『ピッチ』という石油や石炭なんかの副生成物かアクリル繊維を原料に作られている。なので木から作ったと言われたことに驚いた。

 でもヘンリーさんは、『精霊樹』というワードに驚いているようだ。


「ヘンリーさん、『精霊樹』とは何ですか?」


「精霊がよく集まる場所に生えている木の総称だ。多くの精霊の力を長年受け続けた影響で、金属のように丈夫ながら木の軽さを持ち、魔力の伝導性もミスリルに匹敵、あるいはそれ以上ともされる伝説の木だ。

 だが、精霊が集まる場所は人間が行くには困難な場所でな。枝を何本か持って帰るのがせいぜいだそうだ。

 だから精霊樹の利用は、もっぱら魔法使い用の杖が主流で、家や船を作るくらいの木材を持って帰るのは不可能なんだ」


 つまり、ヘーゲル号はそんな『夢のような木材』をふんだんに使った、普通ではまずあり得ない船なのか。

 ちなみに、ミスリルは世界一魔力伝導性が高い金属で、魔道具作りに重要な金属だ。だが産出量が金と同等かそれ以下で、グラム単位でも結構高い値段が付いていると聞いている。


 と、ヘーゲル号の規格外差について改めて思い知った雑談だったが、出航してから30分、トラブルが生じた。


「む、凪いできたな」


「本当だ。風が止まりますね」


 風がなくなってしまった。

 実はヘーゲル号には風をある程度操作する機能があり、ほんの少しながら風向きを自分たちの都合が良いように変える機能が付いている。

 でもあくまで『少し』なので、完全に風の方向が違っている、ましてや風がなくなるとどうしようもなくなる。


『キャプテン、プロペラを使用しては?』


「ああ、それがあったね。帆を畳め! プロペラを起動しろ!」


 プロペラとは、船尾に装備している2機のプロペラだ。

 これを動かして風を発生させ、その反動力で船を動かすのだ。

 ちなみにスクリューでないのは、鳥のスタチューの影響らしい。水属性も適性があるが、どちらかと言えば風の方が得意らしいので、こういう形になったのだそうだ。


「風もなければ櫂も魔法もないのに船を動かすとは、ますますぶっ飛んだ船だなぁ、おい」


「ある意味、船そのものが魔道具ですからね、ヘーゲル号は」


『魔力については問題ありません。船全体を精霊樹で作っているおかげで、空気中や海中に溶け込んでいる魔力を回収し、そのまま各種機材へ供給しておりますので』


 とまぁちょっとしたトラブルはあったが、その後は順調に航海が出来た。

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