みずのなか。

春夕は雨

短編小説

「おはよー!」

「おはよう」




教室に入るとたくさんの人に声をかけられる君。


そのままランドセルと帽子を取りながら私の前の席に座るの。


そしてクルっと後ろを向いて私に話しかける。


「元気ないけど大丈夫?夏バテ?」


心配そうに首をかしげる君。太陽に反射して瞳がキラキラと輝く。


私には友だちがいなくて話しかけてくれるのはいつも君だけだった。


天気のこと。昨日のサッカーの生中継のこと。今日ある算数のテストが難しいこと。


毎日話しかけてくれた。


ささいなことでも話しかけてくれることが嬉しかった。


毎日見る君の背中はかっこよくて、ドキッとして、でもときどき寝癖を見つけると可愛いなぁって思う。






私ね、友だちとしゃべっている君を見るのも好きなんだ。


どんな時でも君だけが輝いて見えちゃう。


まるで水を通して見てるみたい。冷たくて綺麗で透き通っているの。


水しぶきをあげてキラキラしてるんだ。


私だけが見える世界。素敵でしょ?








ある日、君はサッカーの試合に負けて、ケガをしてきたよね。


顔にガーゼを当てて。みけんにしわを寄せて。


そして一日中機嫌が悪かった。


君の友だちはケガぐらい気にすんなよって言ってたけど、そうじゃないよね。



君は悔しかったんだ。


毎日練習して、全力でやった試合に負けて、悔しかったんだ。


泣きそうなくらい悔しいから、それを隠すためにみけんにしわを作っていたんだ。


君がどれだけサッカーを好きか知ってる。


だって試合の前、誰もいない放課後の教室で私に話してくれた。


「今度の試合、負けられねぇんだ。」


そう言った君の目はキラキラ輝いていた。






ねぇ、本当に君はかっこいいよ。私はそんな君が大好きだよ。


君に伝えたい。


一言でもいい。


大好きだって。


君のことが好きで、好きで、たまらないんだ。









でも、この思いを君に伝えられることはない。君に伝わることもない。














だって、君は生きもの係だから。















毎日私にエサをくれて、おしゃべりまでしてくれる。


水の交換も今までのどの人よりも頻繁にしてくれた。


でも、教室の一番後ろで小さな水槽の中にいる私が、


君に伝えられことは何もない。



口があればどんなにいいか。歩くことができればどんなにいいか。


なんでできないんだ。なんで私は金魚なんだ。なんで伝えられないんだ。


悔しいよ。






ねぇ、知ってる?夜の教室はとても静かなんだよ。


誰もいない教室は悲しいくらい静かで怖い。


そんな時はいつも君のことを思うんだ。


まぶしい笑顔。元気な声。想像するだけで心がぱぁっと暖かくなるの。


前までは暗い夜もじっと耐えるしかなかったのに、君と出会ってからちょっと平気になったよ。




ありがとう。


そのことも伝えたいな。




ねぇ、この水槽から出たいよ。君が教室から出ても姿をずっと見ていたいよ。


サッカーをしている姿、もっと近くで見ていたい。


きっとかっこいいんだろうなぁ。


声に出して応援したい。


がんばれー!って。


声に出さなきゃ伝わらないでしょう?



伝えたい。



もしかしたら伝えられるかもしれない。

この水槽から出ることができたら、君と話せるよね。

いっぱい伝えたいことがあるんだ。


待ってて、今行くから。








そして私は、ぴしゃっと音を立てて、水槽から飛び出した。






(これはある一匹の金魚の話)


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

みずのなか。 春夕は雨 @haluyuha_ame

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ