2. Premonition

 * * *


 夏美は大丈夫だろうか。

 少し前に彼女が寮を出た時、寮の全員が夏美を心配してついて行くと何度も言ったが、彼女はそれを断った。俺たちは仕方なく折れたが、本当に独りで行かせて大丈夫だったのだろうか。嫌な予感がしてやまない。それは寮の他の皆も同じようで、ソワソワと落ち着かない雰囲気が寮に流れていた。

「……なぁ、ホントにアイツ独りで大丈夫だったと思うか?」

「私に聞いていますか、大和」

「いや、今お前しかいないしな」

「……さぁ。未来は誰にも分かりませんから」

 そう言いつつも、リビングの中をウロウロとしているところを見るときっと彼も同じ気持ちなのだろう。大きくため息をつくと、俺は立ち上がりベランダへ向かう。一度深呼吸がしたい。体の中にこごった何かを、吐き出したくなった。

「……大和先輩」

「ゆらか。お前も嫌な予感がしてる感じか?」

「はい。本当に独りで行かせてよかったのか、無理にでもついていくべきだったのか……いろいろ考えていたら疲れてしまって。風に当たりたくなったんです」

「……どうなると思う」

「予測はできませんが、本当にやつがあんな簡単に手を引くとは思えなくて」

「同感だな」

 皆でそう言って止めたのに、夏美は『私は信じてる、先輩はそんなことしないよ』と言った。そうして湊を信じていた。よくもまぁあんなに、自分が死ぬことを願っていた輩を信じられるものだ。

「……この予感が、現実にならなければ良いのですが」

「そうだな」

 俺たちのくすぶった心とは裏腹に、空は澄み渡る青に色付けられている。



 しばらくして、突然の大声が聞こえた。

「夏美が……!!」

 寧音の声だろうか、切羽詰まった声色だ。バタバタと全員がリビングへ降りてくる。

「何が起きたんだよ」

「とりあえずついて行きましょう!」

「寧音、こっちに。屋敷にワープできる場所まで案内します」

「わ、わかった」

 寧音はとても焦っているようだった。

 その前に……屋敷へワープ? いろいろと考えている時間は無かった。

「センパイ! 早く!」

「お、おう」

 とりあえず、今じゃない。後ですべてきっちり話してもらおう。


 野良の屋敷へ一瞬で着き、寧音はダッシュでどこかへ向かう──きっと、湊の部屋だ。廊下をダッシュなんて野良の連中に後で叱られそうだが、今はそんなことを気にしている場合ではない。

 寧音はいの一番に湊の部屋へ入り、すぐに右折。それから短いうめき声と、なにかが倒れる大きな音がした。

 最後に俺が部屋に入ったとき、部屋には倒れる湊とそれを押さえ込む寧音の姿、湊の手の辺りには鈍く光る銃、そして壁際にへたり込む夏美の姿があった。

「乱暴は嫌だなぁ」

 へらっと笑ってそう言う湊。それが気に触ったらしく、寧音は少し荒い口調で言う。

「お前、自分がなにしたのかホントに分かってんのか」

「あぁ、彼女を殺そうとした。それだけだよ」

? あいつにとってこの裏切りがどれだけ辛いのかお前分かってるのか?」

「さぁね。心を読むのは得意だが他人の感情なんて分かるものじゃないさ」

 その言葉に、いらだつ。他の皆も同じ気持ちらしく、表情が強ばっている。

 俺は夏美の傍に移動する。

「……夏美は?」

「傷は無さそう。何もないうちに乗り込めたみたいだよ」

「今はショックで気を失ってるみたいです」

 その巳雲とゆらの言葉に少しホッとする。

「1回、ここのベッド借りるか」

「そうだね、今帰るのはさすがにキツそう」

「僕行ってきますね」

 ゆらは立ち上がり、部屋から出る。

「湊」

「なんだい、そんな怖い顔しないでよ」

「お前のこと、もう絶対ぜってぇ許さない。お前は夏美のお前を信じてた気持ちを裏切って殺そうとした。夏美は優しいから……ここでお前を殺しても、あいつはきっと悲しむ。だから」

 寧音は苛立ちを抑えながら、低い声で言う。

「……もう二度と、夏美の前に現れるな。約束しろ」

「もし破ったら?」

「お前の望み通り、その時は殺してやるよ。オレが、もうお前だって分からなくなるくらいぐちゃぐちゃにしてやる」

 彼の表情は見えないが、その瞳には怒りの色がハッキリと浮かんでいるのだろう。湊はふっと笑った。

「分かった。約束しよう」

 それを聞いて、寧音は押さえ込んでいる腕の力を緩めたようだ。湊は起き上がり、何事も無かったように部屋の外へと歩き出す。俺は、夏美を庇うように腕を伸ばす。

 部屋から出る直前、彼はこちらを一瞥した。その瞳は、おぞましいほど冷たく、憎いという感情がありありと見て取れた。夏美に向けられた視線と分かっていても、背筋が凍る。

 入れ違いにゆらが部屋に入ってくる。それに少しホッとしながら、俺は立ち上がる。

「ベッド、借りられるそうです」

「話、付けてきてくれたんだな」

 巳雲は夏美を抱え、ゆらの後に続く。夏美が起きたら、すべてを明らかにしなければならない。



 夕方頃になって、夏美が目を覚ました。

「……あれ」

「あ、夏美。おはよう」

「私、なんで」

 きっと殺されそうだった瞬間に気を失ってしまったのだろう、まだ生きていることに驚いているのだろうか。

「先輩は……?」

「夏美ともう金輪際こんりんざい会わない、って約束して、消えた」

「どうして?」

「あいつはお前を殺そうとしてたんだぞ、1度得た信頼を裏切る形で」

「でも」

 けれどそれで二度と会えないというのは違うだろう、そういう声が聞こえそうな表情をする夏美。その反応にイラッとしてしまう。

「お前、2度も、いやもっと危害を加えられてた相手、挙句の果てにはお前を直接殺そうとした相手を『許したい』って言いたいのか」

「その、ちが……」

「違くないだろ、少なくとも俺にはさっきの反応はそういう風に見えた」

 お前は……と低く呟く。

「お前はどうしてそんな……お人好しにもほどがあるだろ」

 俺には分からない、どうして他人を簡単に許すことができるのか。当事者でない俺でさえこんなにも湊が憎くて許しがたく思っているのに、どうして当事者で被害者の夏美が簡単に湊を許そうとする?

「……分からなくていいよ」

 寂しそうな声が聞こえた。そのか細い声に息が詰まる。

「私は先輩が私のことをどんなに恨んでいるのか、ずっとずっと私のことを殺したかった理由がすべて分かる訳じゃない。でもそれでも、ちゃんと根拠があって、そうした上での行動なら少しでも彼の理由を分かってあげたい。私に非があるなら償いたい。私はそう思ってる」

 はは、と苦笑する夏美。

「殺されそうになった時、少し思ったんだ。私に非があるなら、それって先輩からしたら、私が生きていることすら非なんじゃないかって。だから死ぬのは怖かったけど、少し受け入れようとした」

 変だよね、こんなこと思うなんて、と自嘲したように呟く。

「殺そうとしたことは許せないけど、先輩なりの悩んで悩んで出した答えがこれだったって思ったら仕方ないなって思っちゃうんだ」

「……ほんとに、お前が分からない……」

「会うなって言うなら会わない。忘れられるように頑張る」

「いいのか」

「うん、変なこと言ってごめんね?」

「いや……」

 正直、やっぱり人間のことは分からないなと思った。でもそれが夏美の出した結論であれば、異を唱えるのは筋違いだろう。俺はそう思って、後頭部をかいた。

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