3. Ordinary day

 普通の日々が、戻ってきた。5人がいて、ダイニングでみんなでご飯を食べる。ただそれだけのことがとても幸せで、こんなにも恵まれたことなのだと感じたのは初めてだった。

「なんか私幸せだなぁ」

「どうした急に?」

「こうやってみんなといれるだけで幸せだなあってしみじみ思ったの」

「下手したら夏美本人が、もうここにいなかったのかもしれないんだからねぇ」

「……当たり前は“あって然り”と考えてしまいますからね。その事に気づけるのはよいことではないですか」

 ──当たり前が壊れるのは一瞬だと感じた。今まで積み上げた全てが、一瞬のなにかで崩され壊される。だからこそ、当たり前のことを大切に考えられるのはいい事。

「ボクたちの当たり前も、あっという間に変わっちゃうよね」

「え?」

「周りがいなくなって、変わっちゃう」

 ……そうだ、彼らは私とは違う。だからこそ永遠には続かない当たり前をよく知っているということか。なんだか腑に落ちた。

「もうしばらく、このまま6人で過ごせるといいのにね」

「長くても3年? いやもうすぐ1年経つからもっと短いか」

 この日々もいつの間にか、当たり前じゃなくなってしまうのか。

「寂しいね」

「いつか来る別れよりも、今の幸せのことを考えては」

「……うん」

 今はこの幸せな日々を、幸せに過ごすのに精一杯になろう。



 再会の日からしばらく経って、私は少しばかり気になっていたことについて寧音くんに尋ねようと思った。──あの白い空間であったことを、寧音くんは覚えているのだろうか、と。単純に私が気になっただけなのだが、あの行動の真意を知りたかった。

「寧音くん」

「なんだ?」

 私は寧音くんの部屋を覗く。

「ちょっと、聞きたいことがあって」

「……なにかあったか?」

 見当もつかない様子で、寧音くんは不思議そうに聞いてくる。私はどう切り出そうかと少し悩んで、口を開いた。

「えっと……寧音くん、どうやって戻ってきたのかな〜って」

「あの結晶からか? どうだったかよく覚えてないんだよな」

 この調子だと、もしかするとあの夢のことも覚えていないかもしれない。

「ええと、夏美みたいな、いやでももっと大人っぽかったから……夏美の母さんか?」

「……たぶん」

「その人が、真っ黒だった空間の中を綺麗にしてくれたんだ。吸い込むみたいに」

 それなら、やっぱりそれはお母さんだ。きっと天国へ行くときに、少しの情けで寧音くんを助けていってくれたのだろう。

「それで、その後ずっと外に出られなかったのに急に出られたんだ。そしたら、お前がいた」

 その言葉に驚き、少し鼓動が速まる。

「嬉しくて、抱きついた。お前は泣いてた」

「……うん」

 記憶を反芻するように、ゆっくりと言う寧音くん。

「もうこれで会えないかもしれないと思って、お前にせめて『オレ』という存在を刻みたくてほぼ一方的に、キスした」

「……」

「お前に忘れられたくなかった。高校を卒業しても、オレと関係あるものがお前の周りから消えても、そうなってもお前の中から消えたくはなかったから、だから」

「大丈夫、忘れないよ」

 私は寧音くんの声を遮って言う。

「寧音くんはたくさんのものをくれた。最初は怖い人だなって、ただそれだけだったけど、優しくて強い人だと思った」

 私は真っ直ぐ寧音くんの目を見て言った。

「黒印病を私の体から取り除くためにいろいろと考えてくれた。自分が死ぬかもしれない、その可能性も顧みないで」

「お前は助かったけど、寂しい思いさせたな」

「大切な仲間が……友達が、どういう経緯であれいなくなるなんて嫌だもの」

 その言葉に、複雑そうな表情をする寧音くん。──なにか不手際があっただろうか。少し心配すると、寧音くんは突然立ち上がってこちらに近づく。

「寧音くん?」

「オレはお前のこと、友達だけで考えられないんだよ」

「……どういう、こと?」

「────……だからオレは、お前を命を賭けても守りたいくらい好きなんだよ」

 まっすぐに伝えられた言葉。そう言われて、頬が熱くなる。

「だからお前を助けたし、自分の命なんてどうでもよかった。オレが死んだ後に、お前に忘れられたって、お前が悲しんだって」

「でも……」

「でも、本当は、そんなこと嫌だった」

 寧音くんはぎゅっと私の肩を抱く──あの、夢のように。

「真っ暗な空間の中で、時々意識が戻るときがあったんだ。ずっとぐるぐる後悔してた……なんであんな顔させたんだ、って。泣いて、悔しそうで、悲しそうな顔」

「寧音くん」

「だからもし、もしまた会えたら、もうそれからは悲しませないって決めた。決めたんだ、だから」

 寧音くんは一度肩を緩めて、私と目を合わせる。

「オレにお前を守らせてほしい。傍にいさせてほしいんだ」

「……」

 じわ、と視界がにじむ。私はそれに驚いて目元を手で隠す。

「泣いてんのか?」

「だ、だって、はじめてで」

 こんなに真っ直ぐ思いを伝えられたのは、きっと初めてだ。

「びっくりしたんだな」

「うん、でもなんでかよく分からなくて……」

 そう言いながらも涙はとめどなく溢れてくる。これは、なんの涙なのだろうか。

「まだ自分の気持ちが分かってないんだな。大丈夫だぞ、ゆっくりで」

「……私の好きが分かったら、返事する、ね」

 鼻をすする私の頭をぽんぽんとなでる寧音くん。やっぱり寧音くんは優しい人だ。


 そしてそれから数日が経って、今日は湊先輩との約束の日だ。

 彼を殺すという約束。改めて考えると恐ろしい約束である。本当に私は、自分にひどいことをしたとはいえ彼を殺すなんて芸当が出来るのだろうか。昨晩は怖くて、よく眠れなかった。

 私は独り、もう歩き慣れてしまった道を進んでいく。みんなは心配だからとついてこようとしたが、私が大丈夫だと止めたので独りである。誰かしらについてきてもらった方がよかっただろうか。

 屋敷に近づくにつれて、鼓動が速くなり呼吸が浅くなる。大丈夫、大丈夫だ──深呼吸して、なだめる。そうこうしている間に、屋敷に繋がる裏路地に着いた。

 そういえば、ここは普通の裏路地である。屋敷になにも知らない人がたどり着いてしまうということは起きうるのだろうか。……最後にいろいろと、知らなかったことを知れるだろうか。

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