4. Separation

 めをあけるとこんどは、しろいくうかんがみえた。めのまえには、かのじょがいる。

「……また、あなた?」

『うん』

 こえはぼんやりときこえる。

 どうやって、たすけてくれるのだろうか。そうおもってだまっていると、いがいなことをきかれた。

『ねぇ、名前は?』

「え?」

『あなたの名前は、なんていうの?』

 なまえ。──わたしに、なまえなんてあっただろうか。

「わたし、の……なまえ」

『そう。分かる?』

「……わからない」

 なまえなんて、とうのむかしにわすれてしまったままだ。

『あなたを、助けに来たんだ』

「それは、さっきもきいた」

『だから、近づかせて』

「だめ」

 そういうと、かのじょはいたそうなかおをした。そのかおに、いきがつまる。

「わたしをなにからたすけてくれるの?」

『あなたの体にいる、苦しみ』

「わたしべつに、くるしくないわ」

『気づいてなくても、心は苦しんだりしてるんだよ』

 ……そうなのだろうか。でもわたしには、こころすらないきがした。いたむものすら、もっていないきが。

『今気づいてなくても、心はずっと痛いままなんだ』

「こころが、いたい?」

『そう。心が締め付けられて、痛くて、涙が出てくる。そんな気持ちを、あなたはたくさん抱えてる』

 こころ、って、なんだっただろうか。

 いたいって、なんだっただろうか。

 かのじょが、ちかづこうとする。

「こないでって……!」

 いたそうなかおをしている。でも、かのじょはとまらない。

「どうしてとまらないの……!」

『あなたを助けたいからだよ』

 そのこえがきこえたとき、はっきりとほおをつたうなみだがみえた。

「いたいんでしょう?」

『このくらい、今までのたくさんの痛みからしたら全然平気だもの』

「そんなことない……だったらなんでないているの」

 そういわれて、はじめてきづいたようだ。きづかないうちになくほど、きっとわたしがきずつけて、くるしめているんだ。

『辛いときに涙が出るのは仕方ないと思う』

「つらいんでしょう?」

『でもあなたの方が辛いはずだよ』

「ないてまでわたしをきにしないで」

『ううん、気にする』

 ここまででもゆっくりとちかづいていたかのじょが、わたしにはしりよろうとする。

『こないでってば……!!』

 もっとちかづかれてしまえば。

『どうしてそこまでするの? わたし、あなたをきずつけたくないのに……』

 まだあいてのことをよくしらないこわさ。かのじょがいたそうにしているのをみるつらさ。じぶんがきずつけているというかなしさ。

 がぐちゃぐちゃだ。

『いやだ……!!』

 なにがいやだったのか、よくわからなかった。でもかのじょはわたしを、それでもたすけようとてをのばして、わたしのからだをぎゅっとだきしめた。



 目を開く。長く葛藤した夢を見た気がした。

 足元には、私を見上げる小さな姿。

「──夏美?」

「……おか、さん?」

「あぁ、やっぱり私の夏美なのね……大きくなった」

「おかあ、さん……」

 そう言って息を詰まらせると、夏美は顔をくしゃっとさせた。私は膝をついて、夏美を抱き締める。さっき、夏美が私にしてくれたように。

「夏美……本当にごめんなさい。ずっとあなたを傷つけていた」

 その言葉に緩く首を横に振る夏美。必死に言葉を紡ごうとするが、泣いているせいで声が出ないようだ。

「何も言わなくていいわ、辛い思いをさせたぶん思い切り泣いて」

 その声を聞いて、夏美は声をあげて泣く。こうしてお母さんとして抱き締められるのもきっとこれが最初で最後。だから今だけは、ただ2人で。


 しばらくして落ち着いたのか、夏美は顔を上げて私に潤んだままの目を合わせてくれる。

「お母さん、ずっとここにいたの?」

「ええ、ずっとあなたのことは忘れていたけれど、こうしてまた会えた」

「独りで、寂しかった?」

「いいえ……独りじゃなかったわ。月ヶ瀬さんがいてくれた」

 その言葉に驚いたのか、目を見開く夏美。その表情に笑みが綻ぶ。

「あのね……、湊先輩がね」

「ええ、なに?」

「ずっと、お母さんのこと好きだった、って」

「あらまあ」

 ふふ、と笑ってしまう。

「私も月ヶ瀬さんと仲良くできて嬉しかったし、きっと夏斗さんと出会っていなかったら私も月ヶ瀬さんを選んでいたと思うわ、って、伝えてくれる?」

 そう言うと、夏美はこくんと頷いてくれる。あどけない表情の夏美の頭をぽんと撫でる。いつの間にこんなにかわいらしくなっていたのだろうか。夏斗さんに感謝しなければいけない。

「……あぁ、もうそろそろ行かないといけないかもしれない」

「え……?」

「ごめんね、夏美。私は魂だけの存在……あなたが夢を見ている間はあなたの前にいられると思ったけど、想像していたよりだいぶ弱っていたみたいね」

 幼い子がするそれのように、夏美は目をうるませて小さく首を横に振る。その頬を私は両手で包み、おでことおでこをすっと近づけた。

「大丈夫、今までも頑張って生きてこれたでしょう」

「でも」

「ずっと見ているから。不安な時も幸せな時も私に教えてちょうだい? お母さん、今日こういうことがあってね、って」

「でも、でも……」

「本当にごめんね……」

 まだ一緒にい足りないのだろう、目をぎゅっとつむって首を横に振り続ける夏美。

「……そうだ、これからも時々、夏美の夢にお邪魔しちゃおうかな」

「わたしの、ゆめ?」

「うん、昔はね。相手を思って、そしてその相手もこちらを思っていてくれれば、その相手が夢に出てくるって思われていたんだって。だから夏美が『会いたい』って思ってくれたら、私も夢に出てこれるかもしれないでしょう」

 その言葉にぱっと表情を輝かせる夏美。大人びたと思ったが、まだまだ夏美も子供なのだと思った。

「それでいい?」

「会えるなら、それだけで」

「私もあなたに会いたいとずっと思っているわね」

「うん」

「じゃあ、また」

 そう言って私は、すっと立ち上がる。

 母としての役目が上手く果たせなかった私が、最後に夏美にやってあげられること。この先の未来の幸せを願うことだろうか。

 ───これからの夏美の行く末に、幸あらんことを。

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