3. Contact
ついに、先代との接触の日がやってきた。
「……大丈夫?」
心配そうに、巳雲くんが私の顔を覗き込む。下がった眉尻を見て、私は微笑みかける。
「うん、みんながいてくれるから」
そう言いつつ、首にかけている巾着を外す。
「寧音くんも、ここにいる」
「そうだね」
あの日──寧音くんが私の代わりに苦しみを背負ってくれた日、彼が消えた後ベッドの上に落ちていたものだ。正八面体の無機質な黒は、私の手のひらの上で太陽の光を反射して柔らかく光っている。寧音くんの声が、耳元で聞こえた気がした。頑張れ、そう言ったような。
「頑張るよ、私」
あなたが残してくれた命、無駄にはしない。
私たちは、湊先輩に連れられて部屋の前まで来た。
「ここだよ」
「……はい」
「人間は眠ると無防備になる。その隙をついて残った『黒印病』の原因たちが君の体に入ってくるかもしれない」
「大丈夫です。辛さは、知りました」
暗い気持ちは、もう十分知ることができた。だから、きっと、受け止められる。
「みんなも、いてくれるから。力を分けてくれると思うから」
「……そうだね、君は独りじゃなかったね」
目を細めて、先輩は私を見つめる。
「その表情なら、大丈夫だ」
そう言って、ドアを開く。そこは普通の部屋となんら変わりない。けれどなにかが部屋全体を、暗くさせているような気がした。
「あのベッドで寝る。それが接触の条件」
「……ここに、魂が?」
「あぁ、今も、そこに」
と、先輩は部屋に置かれたデスクを指さす。
「……今から、助けるからね」
そう小さく言って、私はデスクに背を向ける。
「その……えっと、睡眠薬みたいなものは」
「あるよ」
巳雲くんが言ってくれる。さすがに大勢に見守られながら眠るのには眠気が足りない。
「水汲んでおいで」
「うん」
一度部屋から出て、厨房のコップに水を汲んで先程の部屋に戻る。部屋に入る瞬間、ちらとデスクの方を見る。薄くだが、人影が見えた気がした。声が出そうになる。
「……夏美、立ち止まって大丈夫?」
「あ、うん。大丈夫だよ」
もう一度すっと目線をそちらにやっても、何も見えなかった。
「はい、これ」
「ありがとう」
こういうもので眠るのは初めてかもしれない。何事もなく、この戦いが終わらせられるとは思わない。でも、すぐに終わらせられたらとは思う。──お母さんを早く助けたい。そう思いながら薬を飲んで、私は靴を脱いでベッドに入る。
「ごめん……、寝るまでは廊下に出ていてもらっても大丈夫かな」
「そうだよね、こんな大勢がいる中じゃ寝づらいよね」
そう言ってみんなは一度廊下まで引き上げてくれた。私は、綺麗にされたふかふかのベッドの中で縮こまる。意外にも睡眠薬は早く効くようで、すぐに視界がぼやけてまぶたが落ちてきた。慣れていないからだろうか、私の意識は一気に夢の中へ引き込まれて行った。
──大丈夫、すぐに助けるからね。
* * *
わらわらとたくさん、人が入ってきた。いつもここにいる人以外の人が入ってくるのを見るのすら久しぶりだ。見えるけれど、その視線、行動はぼんやりとしか分からない。
数えて、6人だろうか。突然こんなことをして、なにがしたいのだろうか。ぼんやりと、声が聞こえ、皆がこちらを向く気配がした。
そうか、いつもここにいる人は私が見えるのだったか。特にそちらに興味もないため、目をやることもなく自分の足元を見続ける。
気配の1つが部屋から出た。本当になにがしたいのだろう。
その気配が帰ってきたとき、気配がはっきりとした実体を持って、こちらを見た気がした。そのことに驚いて、ふと目線を上げる。──気配は、こちらを見ていた。目線が交差する。こんなのは、初めてだ。
相手も驚いて、ドアのところで立ち止まっている。誰かが声をかけた気配がして、ドアのところの人の実体は薄れる。なんだったのだろうか、あれは。こちらが見えるあの人にも、あんな風になったことはなかった。なにか、あの実体を持ったあの人と、以前あったのだろうか。
5人の気配が部屋から消えた。
残った……さっきの実体を持った気配は、ベッドの中にいるようだ。ここで、眠るというのか。
その時、実体を持った気配に、呼びかけられた気がした。
『大丈夫、すぐに助けるからね』
……なにから、なにを助けるのだろうか。
ここには人の感情の成れの果てと、私しかいないはずだ。───私を、助けてくれるのだろうか。この部屋から、解き放ってくれるというのだろうか。それは、どうやって?
ベッドの中の気配がそこに留まってしばらくしたあと、他の気配たちがまた戻ってきた。ベッドの横で、心配そうにベッドの中の気配の様子を伺っている。その時また、強く呼びかけられた。
『出てきて、ここに』
その声で、ハッとした。やはりあの気配は、私を助けると言ったのだ。私はベッドの横の気配たちを無視して、ベッドの中の気配に近づく。
「……あなたが、助けてくれるの?」
そう言いながら、またしっかりと実体を持って見える彼女の手に、私の手を重ねた。私が見えるあの人は、とても驚いているようだった。それはそうだ、こんな風に人間に触ることができたのは初めてだから。私の体が、彼女の中に吸い込まれていくような感覚を覚える。私の傷を癒してくれるのはきっと、彼女しかいないのだろうと私は思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます