2. Engraved

 * * *


「───……終わった?」

「みたい、だな」

 夏美はぐったりと、巳雲の腕の中に身を預けており、その頬には黒々と、爪で抉ったような右左4本ずつの刻印がなされている。

「……ッ、くっそ……!」

 オレはいら立ちのままに、床を拳で殴る。

「ずっとこうだ、いつもオレは誰も助けられない。大切なものを、守れない……!!」

 広いリビングに、オレの嘆きが木霊こだまする。そのとき、博人がいかにも不思議そうに顔をしかめつつ言った。

「……姫が死ななかったことは、一度もないのでしょうか」

「博人先輩?」

「ひっかかるのです。いつもこうやって吸血鬼たちが姫の手伝いをしていたのなら、この理不尽な死を受け入れられない、そんな時もあったはずです」

 確かにその言い分は、一理あるものだ。

「あったのだとしても、ものとして残っている可能性は低いですよ」

 ゆらが博人に聞く。それを聞いて、オレは思い出した。

「あ……駆んとこにあと2冊、姫についての本があったはずだ」

「まだあるのか?」

「確か。3冊ほどは、って言ってた記憶」

 あいまいだが、行ってみるのも1つの手だ。

「……夏美と一緒に、行ってくる」

「大丈夫か、1人で」

 大和が聞くのに、首を横に振って応える。

「当たり前だろ。行ってくる」

 巳雲から夏美を預かり、オレは館を出た。



「ほう……それで、姫が昏睡状態に」

「あぁ。それでな? まだオレが読んでない本が2冊くらいあっただろ?」

「えぇ、ありますね」

「それに、姫が病を患った後、それを戻す方法が載ってないか調べたいんだ」

 駆の家の前、オレは夏美を抱いて駆に事情を説明していた。

「もちろんいいですよ。お入りください」

 扉を開いた駆は、思いついたようにあぁ、と声をあげた。

「寧音さん、その本を読んでいる間に姫を見てもよろしいですか?」

「あぁ、それで何か掴めるなら」

「お任せください」


「こちらです」

 と、駆に渡されたのは、小さな手帳。

「……なんだ、これ」

「姫と出会った吸血鬼の日記です。英語で書かれていて、私にはさっぱりでしたが」

 ……英語か。嫌な記憶ばかり蘇るためあまり目にしたくはなかったのだが、こうなっては仕方がない。

「それ、借りるな」

「はい。あぁ、姫はそこの寝台しんだいに寝かせておいていただけますか」

 オレは頷き、夏美を寝台に横たわらせる。そして駆から日記を受け取り、オレはそれを読み始めた。該当するページまで、ぺらぺらとめくる。きれいに書かれた筆記体の字が、次々と現れては消えていく。

 さぁ、これは夏美のためのことだ。オレのエゴで、面倒がってはいけないこと。息を深く吸い、ふぅと短く吐く。なにか掴めれば、それでいいのだ。



 この日記を書いた吸血鬼たちは、オレたちと同じように、姫の死に抗ったようだった。そしてこの代にもまた、駆のような……協力者となるような人間の存在があった。だが結局、彼らは“姫”や黒印病の本質や救助の方法にはたどり着けず、タイムリミットが来てしまったようだった。

「っはー……」

 ひたすらに文字を追っていたからか、目が乾きを訴える。目頭をぐるぐるともみ、1度伸びをしてから立ち上がる。手帳を片手に、寝台のところにいるであろう駆の元へ行く。

「駆」

「あぁ、寧音さん。いかがでしたか」

「姫の死までのタイムリミットは、この手帳によると2日」

「そんなに短いのですか」

「だから、この手帳の持ち主は救出に失敗したと考えてもいい」

「それと、他には?」

 その駆の言葉に、オレは首を横に振る。

「なにも。短い期間すぎてなにも分からなかったらしい」

「そうでしたか……お役に立てず申し訳ない」

「いや、いい。それで、そっちは?」

「医学的と、魔術的。どちらの視点でも考えてみましたが、いくつか分かりましたよ」

「……そうか」

 駆は夏美に視線を落とすと、口を開く。

「まず、黒印病の原因。姫の体からは、通常の人間の何倍もの負のエネルギーが感じられました」

「負のエネルギー?」

「言うなれば、負の感情……暗い感情ですね」

 暗い感情が、黒印病の原因? 吸血鬼も魔法使いもそうだが、全く突飛とっぴで非科学的な答えだ。

「きっと、負の感情を具現化させ、呼吸で吸い込むことで黒印病をこの身に宿らせた。そう考えると、血液が黒くなっていることも合点がいきます」

「血液が黒い……?」

「試しに少しばかり……姫、失礼します」

 そう言って駆は、夏美の人差し指の腹に傷をつける。ぷつりと出てきた血は、若干赤は残っているものの、ほとんどがどす黒く変色していた。血を見ると吸血衝動に駆られるが、今回はそんなことは全く無かった。

「───……で、負の感情の取り除き方は」

「血液に含まれているのであれば、答えは簡単ですよ。寧音さん」

「……オレが吸い尽くせば」

「えぇ。ですが血液が無くなれば人間は死にます。負のエネルギーが、姫が1人で生きつつ受け止められる量になればいい」

 ……でも本当にそれで? その疑問が顔に出ていたのか、駆は薄く笑ってこう言った。

「確証はありません」

 その言葉にかぶりを振り口を開く。もうこうなったら、確証が無くても試してみるしかない。

「……やるしかないだろ」

「0か100の博打ですが」

「100があるなら、オレはそれに賭ける」

「……そうですか。ご無事を祈ります」

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