Op.6 Reproduction

1. Healing

 * * *


 夏美は、寧音センパイの話に続けて、自分の考えを話してくれた。

「みんなに、協力してほしい」

 そう言った彼女の瞳は、潤んでいる。夏美なりに悩んだのだろう。ためらいと、恐怖と、義務感の狭間はざまで、この結論を出したのだろう。

 自らの死を捧げ、全人類を救う。なんと大きな、残酷なさがなのだろうか。

「……その選択をして、夏美は後悔しない?」

 ゆらが、そう聞いた。少し、決意で固かった目が揺らぐ。あぁ、完全に決意が固まっている訳では無いのかと思った。

 そりゃボクだって、吸血鬼だけど、いつかは死ぬときが来る。それがいつかなんて分からないけれど、だからこそ怖い。

「───……死ぬのが完全に怖くなくなった訳じゃないから、後悔はするかもしれない」

 小さく、ぽつりぽつりと言う夏美。

「でも、私の未来が消えて、70億の人の未来が残るなら、それなら私の未来が消えても、何も嫌なことはない……かな」

「それが、夏美の決意なんだね」

「───……うん」

 表情は浮かないままだが、もう、決心しているらしい。

「じゃあ、もう何も言わない。皆さんも協力してくれますよね」

「───えぇ、それが涛川さんの望みならば」

 博人センパイの言葉に、皆が頷く。もちろん、ボクも。

「みんな、ありがとう」

「何が必要なの?」

「麻酔だけだな」

「……あ、ボクの救急箱に入ってるかも。見てくるね」

 ボクはそう言って、部屋へ戻る。

 どうか入っていませんように。ここで見つかってしまったら、もうなにも、引き止める術すべが無くなってしまう。あぁ言って了承したが本当は、夏美が死ぬのなんて見たくない。


 救急箱を漁る。

 2段あるその救急箱には、様々な怪我や状況に対応できるものが入っている。すみずみまで探すと、今まで全く気づかなかったが、2段目の隅に鍵付きの小さな薬入れがあった。

 嫌な予感がするが、最後まで探して無かったらちゃんと無いと言おうと決めたのだ。開けるしかない。

 試しに開けようとするが、やはり鍵がかかっているようでびくともしない。

「鍵なんてどっかあったっけ」

 小さく呟きながら鍵に触ると小さくカチャ、と音がした。……あぁなるほど、この鍵は。

「開いた」

 吸血鬼にしか開けられないのだろう。中には注射器と、英語が書かれた小さなボトルがある。

『anesthesia』

 ───見つけて、しまった。



 ボクは沈んだ気持ちのまま、ダイニングへ戻った。だが、夏美の不安そうな面持ちを見て、自分くらいは明るくいなければと思い、極力明るく話し出す。

「ただいま」

「巳雲。どうだった?」

「特殊な術みたいなのがかけられた、小さい薬入れを見つけたんだ」

 指先で、薬入れの大きさを示す。

「鍵に触ったら、開いた」

「そういう鍵だったんだろうな」

「これが、入ってた」

 ボクは落胆が見えないように、あくまで自然にその小瓶を見せる。

「……麻酔」

「あったんだな」

 寧音センパイ、少し悲しそうだ。ちらりと他の面々の顔にも視線を走らせるが、皆浮かない表情を浮かべていた。見つかったなら仕方がない、と踏ん切りをつけたのか、夏美が言った。

「じゃあ、始めようか」

 あぁ、もうこれで。


 リビングの真ん中に座った夏美の背中は、いつにもまして小さく見えた。──やっぱり、怖いんだ。自ら始めようと言ったのも、決意を揺らがせないためだと思われた。

「……世界の人を、救いたい」

 夏美の小さな呟きを最後に、寮に静寂が降りた。そして次に夏美が動くまで、十数秒。いつの間にか、寧音センパイが教えてくれたあの本の内容と同じように、黒い霧のような“なにか恐ろしいもの”が、夏美の周りに立ちこめていた。

「……あの本のままだ」

「運命は、やっぱり変えられないのか」

「やっぱ、ダメなのかよ……!」

 夏美の体が、ゆっくりと斜めっていく。思わずそちらに駆け出したい衝動に駆られたが、ゆらが腕を掴んで、離さなかった。

 しばらくして、完全に夏美が動かなくなった頃に、やっとボクたちは夏美に近づけた。

「……麻酔無くても寝てる、けど」

「この後の暴走を止めるのが麻酔なんでしょうね。巳雲、できますか」

 全く、博人センパイもこくなことを言うものだ。震える手を気力でなんとかし、ボクは心做こころなしか冷たくなった夏美の腕を持ち上げ、静脈を探す。───……痛いかもだけど、ごめんね。大丈夫だろうと思った位置に、針を立てる。

「ごめん、ね……」

 小さく謝ったのは、誰のためだろうか。

 どうして、謝ったのだろうか。

 それは、もちろん、なにもできずにその運命さだめを受け入れることしかできない自分が悔しいからだ。


 * * *


「ただいま」

「巳雲。どうだった?」

「特殊な術みたいなのがかけられた、小さい薬入れを見つけたんだ。鍵に触ったら、開いた」

「そういう鍵だったんだろうな」

「これが、入ってた」

 小さなボトルを見せる巳雲くん。そこには、『anesthesia』と書いてある。

「……麻酔」

「あったんだな」

 そう言った寧音くんの声には、少しの落胆が伺えた。

「じゃあ、始めようか」



 私はリビングの床に座布団を敷き、その上に座った。病を受け取るには、どうすればいいのだろうか。

「……世界の人を、救いたい」

 胸の前で手を組み、目を瞑り、呟く。私の今の願いは、ただ、この地球に生きるすべての人を破滅から救い出す。ただ、それだけだ。けれど目を瞑ったまましばらく待っても、なにか起こった感覚は、皆無だった。

「───……なにも」

 起きない……? そう思って薄く目を開くと、目の前は真っ暗だった。驚いて、息をひゅっと呑む。

『グルジ……ィ』

『イタイッ、イダイィッ』

『ニクイ……アイツガ……ッ』

 耳元で、様々な声がわんわんと反響する。目の前が恐怖に染まる。人の声、だろうか。辛そうで苦しそうな声だ。

「は……っ、はぁっ」

 恐怖で、呼吸が乱れる。それを治そうと深く息を吸う。けれど空気にも、その声の持ち主というのか、病の元凶が含まれているのか、ただ苦しくなるばかりだ。

 嫌だ…!! 強く思って頭を振ると、途端に声は消えた。けれど、ただ体がだるい。──あぁ、苦しいまま死ぬのか。嫌な最後だ。そう思って薄く笑う。

「……ありがとう」

 小さく呟いた私の体は、ゆっくりとかしいでいった。

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