4. Unknown

「今日の授業は跳び箱です」

 次の日、私は一限の体育の授業で先生の声を聞きながら、ぼうっとしていた。昨日までの余韻がまだあるのか、頭がふわふわとしている気がする。

「……それでは、起立して各自始めてください」

 そう言われて立つと、少しフラついた。

「っ、と」

「夏美ちゃん、大丈夫?」

「うん、平気だよー」

 まだ来るには無理があったかな、でも来たからには頑張らなきゃ。そう気合いを入れて移動しようとしたとき。


「───……っ!」

 がくん、と体が沈む。

「夏美ちゃんっ!」

「夏美?!」

「涛川さんっ、大丈夫?!」

 クラスメイトや、先生の声が遠く聞こえた。


 * * *


 クラスメイトの、涛川夏美さんが倒れた。

「倒れた…?」

「誰か、保健室に!」

 僕は、“指令”の実行は今しかできない、と名乗りでた。

「僕が行きます」

「あぁ、じゃあお願いできる?」

「はい」

 僕が頷くと、先生は微笑む。

「じゃあ、お願い」

 その声を聞きながら、僕は膝をついて夏美さんを抱える。そして、体育館を出た。


 * * *


「……ん…?」

 うっすらと目を開けると、白い天井が見えた。

「あら、起きたわ。導琉みちるくん、涛川さん起きたわよ」

「あ、はい」

「私、どうなって……」

 ぼうっとして呟く私。

「貧血で倒れたんだよ、大丈夫?」

「えっと、はい」

 誰だろうかと頭の中にはてなマークが浮かんだ。

「導琉くん、戻っていいわよ?」

「心配なので、まだ残ってます」

 と、みちるという人は保健医の申し出をやんわり断る。

「あら、そう? 私、このあと向こうで職員会議があるから、少し空けるわね」

 保健医は職員室の方を指差し、そう言った。

「よろしくね、導琉くん」

「あ、はい。じゃあ、先生が来るまで待ってます」

 帰ってくるまでと言っただろうか、そうなると結構な時間になるはずだ。

「えっと、あ、あの」

「あ、僕? 橿原かしはら導琉です、よろしく」

 よく考えてみると、彼はクラス委員を務めている男子だった。

「橿原さん、戻ってもらっても、よろしいですよ?」

「いや、もう放課後だし」

 そうすんなり言った橿原さん。

「……え、放課後?」

「うん。僕、部活入ってないから大丈夫」

「は、はぁ…」

「じゃあ、導琉くんよろしくねー」

「はい」

 本当に保健医は行ってしまったようだ。気まずい沈黙が降りる。

 なんとかこの状況を改善したいとも思うが、どう声をかけたら良いか分からず、結局黙ってしまう。私は何度か口をぱくぱくさせてから、もう少し寝ようと思って枕に頭をのせた。ふぅ、と息をつく。やっぱり無理を押して来ることも無かったのかな、と少し後悔した。


 それから少しして。

「……涛川さん」

「はい、何でしょうか」

 私は寝返りを打って橿原さんの方を向く。

「僕が何だか、分かる?」

「────は、はい?」

 質問の意図が読めずに反射的にそう返したけれど、わざわざ聞くということは、つまり。

「どうして、そう聞くんですか?」

 分かりかけてしまっている自分の頭を整理しながら、私はそう問いかけた。

「どうして、って……なんとなく、分かってくれるかなぁ、って思って」

「そ、そうですか」

 でも、どうなのだろう。

 私が吸血鬼だけが住む寮にいることは、皆にバレているのだろうか。そもそも、この人のことはあの寮では見かけないのに…この学園には吸血鬼がまだいるのか?

「───……人間じゃ、ないんですか?」

「ん、そうだね。人間ではない」

 だとしたら、彼も彼らと同じように。

「吸血鬼、ですか?」

「ほら、やっぱり分かってくれた! そう、僕は吸血鬼なんだ」

 そう言うと、橿原さんは私の方に手を伸ばす。

私はほぼ反射的に、その手から逃れようと少し後退る。

おさ、“指令”の実行、開始します」

「しれい……?」

 指令ってなんだろうか、そう考えつつ私はまたも後退るが、後ろに壁があり逃げられなくなる。恐怖に顔が引きつった。顔に手を伸ばされ、その指先が、顎に触れる。橿原さんがベッドに膝を乗せると、スプリングがきしむ音がやけに大きく聞こえた気がした。

「い、や……っ」

 もう片方の手が、ブラウスのボタンにかかる。

「やめて……っ!」

 ぐっと目をつむると、シャッとカーテンが開く音がした。首元にあった手が外される。

 恐る恐る目を開けると、そこには剣呑けんのんな表情をしたゆらくんが立っていた。


 * * *


「時津くん、涛川さんの荷物を保健室に運んでくれない?」

「いいですよ」

 先生は僕と夏美が同じ寮だということを知っているのか、放課後そう頼まれた。──大丈夫かな、夏美。橿原も全然戻ってこないし……色んな意味で、心配だ。

 僕は夏美の荷物をまとめて、保健室へと向かった。


 保健室のドアは珍しく開いたままになっていた。何かあったのだろうかと首を傾げつつ、両手が塞がった状況には持ってこいだとも思った。

 僕は椅子の上に、夏美のスクールバッグと本が入った小さめなバッグを置く。少しばかり彼女のバッグを眺めていると、ふと橿原がいないことに気づいた。

 僕は周りを少し見回す。すると、ベッドのスプリングがきしむ音がした。

「い、や……っ」

 本当にかすかに、夏美の声が聞こえた気がした。僕は眉をひそめる。

「─────やめて……っ!」

 2度目は、ハッキリと聞こえた。僕は閉まったカーテンに近づきそれをシャッと開けると、夏美の首元に手を置いた橿原がいた。彼は僕の姿を捉えると、不機嫌そうに舌打ちして手を降ろした。

「───あれ、ゆらくん……?」

「夏美、嫌がってんでしょ? やめろよ、橿原」

 僕は橿原を鋭く睨み据える。

「……ハイハイ、すみませんでしたー」

 手をひらひらとさせながらそう言って、橿原は退室する。

「……夏美、何もされてない?」

「え……あ、うん」

「そっか、よかった」

「な、なんでここに?」

 夏美は、おずおずと聞いてきた。

「先生に頼まれて、荷物持ってきた」

「そうだったんだね、ありがとう……」

 彼女は、弱々しく笑う。

「大丈夫?」

「うん、平気」

「貧血は治った? やっぱり病み上がりだから大変だったでしょ」

「うん、もう元気だよ」

「そっか」

 僕は、本当に何もされていないか確認するべく、首元に目線を走らせた。確かに、あれから新しい痕はついていないようだけれど。

 大切な夏美を犯そうとした。それだけで僕にとっては、大罪だった。

「……橿原」

 僕は、憎しみのこもった声で呟く。

「何か言った?」

「ううん、なにも」

「……そう?」

「さ、帰ろ」

「うん」

 僕は、彼女のスクールバッグを持ってあげた。

「ゆらくん、自分で持つよ。大丈夫だよ?」

 その声に、僕は緩く首を横に振った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る